中高年になってから女性は、男性より、統合失調症が起きやすい。

全年齢で、女性はうつや不安障害が多いが、中高年女性のメンタル障害は、それまでの生きざまが、大いに影響するだろう。


女性のメンタル障害を考える時に、新聞の人生相談や投稿欄は、参考になる。そこには、女性たちの素直な感情が書かれているからである。


新聞の投稿欄には、一般人からの投稿文章が載る。じっくり読むと、示唆に富むものがある。
その示唆とは、必ずしも、書き手が意図したことではなく、副次的なものである。
つまり、投稿文の作者である女性は、大事な部分にきづかず、”頭隠して、尻隠さず”的な投稿をしているのである。

最近、経験したことを紹介したい。投稿文章を書いたのは70代女性、夫婦円満で満足した老後性格を送る人のようであった。

夫と、時々、美術館に行って充実した時間を過ごしているという。その彼女が、美術館に出向く時は、スニーカーを履いて行く。その理由は、足音がうるさくないようにとの、他人への配慮である。

彼女は、普段、少し高めのヒールをはいておしゃれを楽しむ人か、普段もぺったんこの靴かは、書いていない。年齢からは後者の可能性が高い。

日ごろから、この彼女は、美術館で女性の歩く時のヒールの足音が響くのが、とても不快であると感じている。
そして、他の人も同じように、美術館でのヒールは、他人にとても迷惑をかける行為なので、止めて欲しいと書いてある。

この文章を読んで、私は思う。


彼女は、夫と美術館の中で、会話は交わさないのであろうか?おしゃべりはしないのだろうか?

日本の美術館は、話をしながら観賞している人がかなり多い。外国とは異なり、美術館内の私語や音に、日本人は甘いのである。

確かにヒールの事はうるさいかもしれない。
しかし、ひとりで観賞している人にとっては、人の声の方がうるさいと感じるかもしれないし、ヒールの機械的な音はあまり気にならないという人もいるだろう。

実際にはさまざまな音のある美術館で、ヒールの事の不快感は、人それぞれである。
若く美しい女性のヒールの音は、男性にとってはトキめく思いかもしれないし、不快ではないかもしれない。

投稿主のこの女性が、ヒールの音の方がより不快と感じるのはかまわないのだが、他の人も同様により不快であるはずと決めつけていることは問題である。

この投稿主の女性は、幸せな人であり、夫に感謝して人生を過ごせていて、人のいやがることはせず、品行方正な生き方を目指し、実行している人だ。

しかし、加齢女性が、ヒールが不快と訴えれば、ヒールを履く(若い)女性へのジェラシと、他人から思われかねない。

もし、この女性がヒールの女性に注意したとする。すると、ヒールの女性からこう言われる。「すみません、でも、ヒールの音って、そんなにうるさいですか?」

すると、この女性は、「うるさいでしょう。どうしておわかりにならないの?他の音に比べたら、ヒールは異様に響くのだから、びっくりしてしまうのよ?他の方に対してだって、申し訳ないと思わないの?」


こうなると、ヒールの女性も負けてはいない。
「じゃ、あなたがさっき、御主人としゃべっていて、私はうるさかったのですが、そちらはどうなんですか?」

さらに、注意した女性は答える。
「私が主人としゃべったのは、短い時間で小さな声です。あなたのヒールの音は大きいのよ」


すると、ヒールの女性は答える。
「おしゃべりの方がずっとうるさいです。私は普段でもヒールを履いています。ヒールを履いていることは私にとって普通なんです」

まあ、こんな具合に、二人の女性の確執はさらに、エスカレートしてしまうかもしれない。

しかし、こうした場合、最初に注意した女性が、ヒールは他人に迷惑だと、必死に主張すればするほど、味方は少なくなるだろう。

美術館での言い争いはうるさいし、ヒールを履けない女性は、ヒールを履く女性にジェラシーしていると、感じる人がだんだん増えていってしまうのではないか?と思うのである。

たまたま、そばにいた第三者の男性が言う。「お二人さん共、うるさいですよ。」程度の注意ならましだが、
場合によっては、「ばあさんよ!、自分がヒールがもう履けないからって、そうひがむなよ!」かも・・。


しばしば、世間の男性は、若い方の女性の味方なのである。

女性はこうした世間の評価には気付かず、ご自身の信じる価値観がすべてなのである。自分が正当なのである。しかし、世間の思惑は違う。

ご自身の価値観にとらわれて、投稿をしたり、注意したり、主張したりの行為は、その先を良く予想することが大事だ。それは、自分自身を傷つけないためである。

自分の持つ価値観を信じすぎる女性は、厳しい世間の波にもまれていない影響かもしれない。

女性に生活力のある夫がいれば、女性は守られる。世間は、女性に失礼なことはしない。


すると、
相手の思惑を想像する能力が育たない、
自分の能力を試される機会がない、
人から文句を言われにくい立場にいる、
そんな人生となる。

こうした状況で長く人生を送ると、自慢話をしているのに、自慢話であることに気づかない、ジェラシーからくる行動でも、自分自身のジェラシーに気づかず正当化する。


それは、自分自身の価値観を見直す自分がいないことである。

それで済んでいるうちは良いのだが、夫の社会的立場が低下したり、夫の死別などがあれば、女性には、想像できないような環境の変化が起きる。

そんな時、今までの価値観が通らなくなる。ストレスが積み重なれば、メンタルがやられ、不眠、うつなどで苦しむようになるかもしれない。

自分自身の立場の低下や、価値観の変化で起きる気持ちの落ち込みは、うつや不安症として、治療の対象になるかもしれないが、こうした女性は、医者や薬に頼り過ぎる傾向があると思う。

こんな時になって困らないように、女性たちは、未婚、既婚にかかわらず、自分の価値観に固執せず、男社会の理不尽さを見つめつつうまくスルーして、価値観の修正を意識的にしていくことが必要なのだと思う。