昨日、ブログに以下のように書きました。

多くの健康人は、健康が当たり前です。治らなければいけない、治るはずと信じていると思いますが、病気になれば、その認識は、もはや通用しないのです。


このきつい言い方は、医療者の詭弁と感じた方もいらっしゃるでしょう。でも、このブログでは、病気を得た時の、ひとつの考え方を紹介しています。治りにくい体の病気が起きた時、できるだけ、心のエネルギーをロスしないでほしいからです。


当たり前ですが、病気には重い病気と、それほどでないものがあります。まず、重い病気の場合を考えましょう。医師から「がん」あるいは、「がんが疑われる」と言われた場合を想定します。がんでなくても、他の重い病気、例えば神経難病や膠原病など診断されたとします。その時、誰もが覚悟します。治らないかもしれない、命取りになるかもしれないとの不安です。それでも、多くの人は、一時の落ち込みを克服し、今を大事にすべきとの運命論に達すると思います。医療機関は、患者が治療に取り組み、夢と展望を持つようにサポートします(だから、最初はあまり、悪いとは言わない事が多いです)。

経過が悪くても、人はそれを悟り、覚悟して、同じ悩みを持つ患者会などで救われたりします。こうした類の病気でも、医療不信は起きますが、多くの人は乗り越えて行きます。しかし、そうした見える病気ではなく、心の病や病気の診断がつかない場合では、むしろ、医療不信の解決が難しいです。

とりあえず重い病気ではなさそうだが、症状は良くならない時、人々が感じる医療不信は、どのように考えたらよいでしょうか?

日常的におきる医療不信を、拙著「女性ホルモンという神話」で書いています。

主人公の栄子は、ごく普通の感情の持ち主です。医師や医療に多少の不満はあっても、ドクターショップはしません。主治医を信頼する真面目な性格です。当初、聡明と感じた女性医師の治療をうけ、一時的に体の症状が軽快します。その彼女が、なぜ、医療不信にはまっていくのでしょうか?主治医による診断があいまいであること、治療薬の目的がわからないこと、主治医の説明が理解できないなどにより、栄子の不信が高まっていくのです。

いろいろな人たちが、世の中に広まる医学知識に振りわされています。最新の知識と、一昔前の知識が、ごっちゃに溢れています。間違いが見直され、医学知識は上書きを繰り返しているのです。だから、誰もが、敏感であるべきです。そして、独学の勧めです。

今回の小説では、医学知識が変遷していく象徴として、エストロゲンを上げています。
ですから、”女性ホルモンという神話”というタイトルを選びました。
女性ホルモンが、女性の若さを象徴とする物質とは、単純に考えてはいけないというのがテーマです。今後も、右にぶれ、左にぶれて、エストロゲンの真実が固まっていくと思います。


医療や薬の未来を見通すのは、難しいです。それなら、過去にさかのぼり、医学が手探りでしかなかった時代に思いを馳せてみましょう。過去から学ぶことは大事です。未来の医療を想定するのに役立つかもしれません。
漢方薬関連の医学,薬学の学者が、ウィキペデアに情報をかいてくださっています。その部分をのぞいてみましょう。


昨日、書いた古方派と呼ばれる派閥の話です。江戸時代に活躍した古方派医師の紹介です。代表的な医師のひとりが、吉益 東洞 (よします とうどう)です(1702年―1773年)。 

日本近代医学中興の祖として評価された人。彼は、漢方医学のバイブルとされる『傷寒論』を重視するものの、陰陽五行説を観念論として排した。30歳の頃、万病一毒説を唱え、すべての病気がひとつの毒に由来するとし、当時の医学界の常識を変えた。病気の元となる毒なる物質を体内から出させるため、強い作用の薬剤をもつ攻撃的な治療を行った。こうした方針は、後の学者から、近代的で西洋医学に通じるものと高く評価された。


病気を毒のなせるわざと考え、強い毒で治すとする治療方針だったとのことですが、(怖いなあ~)。真実がわからないから、許される治療でしたね。陰陽五行説というのは、木、火、土、金、水で物事を説明する考え方ですが、当時、これも医学的の考え方の規範とされ、それが矛盾すると唱えることは、勇気がいることだったのでしょう。


この頃って、何もかもわからないことだらけで、本当に混乱していたと思います。誰一人として正解をもたなかった時代なので、派閥、学閥をさばくことができませんでした。現代医学に、派閥がないのは、正解はひとつだからです。この頃は、ひとつの説がまかりとおっても、それを反撃する他説の根拠がない時代ですから、反論は難しかっただろうと思います。

一つ間違えると、何百年もそのままか?こうした時代の専門家は、わからないという認識をもちあうことが大事だと思うのですが、それでは学問ではないと、当時の学者は考えたのでしょう。


拙著「女性ホルモンという神話」に、医師に対して、主人公の栄子が反発する気持ちを書きました。栄子は、限られた診療時間に、多くの情報がほしいのですが、こうした気持ちは医師には伝わりません。主治医の観念的な昔の話を、栄子は受け入れられないと感じます。栄子が、求めているのは、こうした話ではないのです。医師は専門知識を披露したつもりかもしれませんが、あいまいな話に患者は反発します。

実際の診療の場でも、似たような状況はあるかもしれません。医師の目をみて、患者側から、気持ちを伝えていきましょう。そして、気きづいてもらうのです。