荻窪ラーメン  匂い、味の記憶 | 楽典詩人

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前世紀の終わりごろ、たまに仕事がらみで荻窪に行った。

 

あまりはっきりした記憶ではないが、その当時は夕暮れ時には駅前に焼鳥の煙が満ちて、焼き鳥屋が空のビールケースなどを出し、それに客が腰かけて酒を飲んでいたように思う。

 

たぶん、私もそうして何回か飲んだのだろう。

 

当時は、ラーメンは最近のようにひとが群れるほどの人気ではなかったが、荻窪は都内ではラーメンの人気店がある町として知られていた。

 

私も何度か荻窪のラーメンを食べた記憶がある。

 

今日、野暮用で午前中に荻窪に出かけ、用が終わると昼過ぎだった。

ひとりで昼食となって、さてどうしようと思ったが、何十年ぶりかで荻窪でラーメンを食べてみようと思った。

 

駅前をぐるりと歩き、古そうなラーメン屋を見つけ入ってみた。

 

昔はそんなことはなかったが、店の入り口に食券の自動販売機があった。

 

店に入ると、長いカウンターの中で老若3人の男たちが働いていた。

 

丼にスープエキスを入れ、これに大鍋の中の底の部分や表面部分などから何度にも分けてスープを注ぎ入れた。

麺は太い縮れめんを大鍋で時間をかけて湯がいていた。

湯切りをして丼に入れると、ネギ、メンマ、チャーシュー、海苔を入れて仕上げて目の前に出された。

丁寧な仕事ぶりだった。

 

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すぐ箸を割って、麺を口に入れた。

アツイ、と驚いたがすぐに独特の風味が口の中に広がった。

その味、その匂い、その風味に覚えがあった。

 

匂いや味は、記憶の深いところに蓄えられていて、長い時間を経ても蘇ることがあることは多くの人が指摘しているが、まさにそのように思い出した。

 

そんなことを、マドレーヌの香りではなくて、荻窪ラーメンで再認識するとは思わなかったが。