それは「おまえの教え方が悪いからだ!」と私は自分自身に言い聞かせるようにして来ました、約40年も。
それは反省です。
反省しない者には教える資格がないですから。
自信満々で教えていても、果たして今の教え方で本当に良いのかと自分自身を疑うことを絶対に忘れません。
とは言え、現実的には授業内容が理解できない生徒は本人に最大の原因があります。
勉強ができない生徒には見事な共通点がありますから。
そこを矯正してあげるのが優先順位の一番であることは明らかです。
だからと言って、本人のせいにしているだけではなかなか進歩は望めません。
せっかく他の生徒と同額の月謝を支払って来てくれているのです。
たとえ本人に原因があるとしても、それでも何か他人がしてあげられる工夫はないかと自分に問いかける訳です。
それゆえに、教材作りと教材の使い方、そしてもちろん教え方にこだわります。
目の前の生徒を救うためには、既成の塾専用教材が良いとは限りません。
テキストに縛られたら、生徒に合わせているのではなくて、テキストに合わせているだけのつまらない授業になってしまいます。
従って、私はあまりテキストを使いません。
その生徒が分かっていないであろう単元に関して、先ずは問題をその場で作って板書、解いてもらいます。
数分後、たとえ正解していても解き方を説明して、生徒は自分の解き方と比較考察するということです。
算数や数学ならば答えは1つでも、解き方は何通りもあるのです。
比較が済んだら、正解した生徒は次のステップの問題を解いてもらいます。
一方、不正解の場合にはより詳しく説明した後で、同じような問題を繰り返し作って、理解できるまで次のステップには進みません。
「分かったつもり」にはさせないということです。
そして、目の前の生徒の出来具合を見て、生徒が正解でも不正解でも瞬時に次の問題を頭の中で用意します。
こういった流れをテキストなしで、目の前の生徒の出来次第で次の問題を作るということです。
理解度が低い生徒にはこの繰り返しで確実に理解を深めさせます。
テキストが大切なのではありません。
生徒が大切なのです。
だからこそ、冒頭の言葉を自分に言い聞かせることは決して怠りません。