学道舎 入塾案内 学道舎の原点 [2020/02/18再掲載] | 再生学舎 教育工房

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柏 我孫子 取手 松戸 塾 予備校 正しい学校選び 正しい塾選び キャッチフレーズ20.11.04 再生学舎

塾生親子はもちろん、当校と僅かでも接点のある人はこのブログにアクセスしないで下さい。16.02.22.22.47

それは時間講師として勤めていた若い頃に遡ります。

教えていた生徒が一人亡くなっているのです。

落雷による死亡事故でした。

落雷ならば避けることはできなかった?

いいえ、避けられましたよ。

指導者の責任であの落雷事故は避けることができたのです。

一般に、スポーツの指導者はどの競技であっても突っ走り過ぎるところがありませんか。

いついかなる時でも練習や試合をするのが当たり前と思っていませんか。

他人の言葉に耳を貸さない傾向が強くないですか。

自分の満足のために子供たちを利用していませんか。

学歴も学力も低くないですか。

雷の多い地域で生まれ育った私は小さい頃、5メートル先に雷が落ちました。

オレンジ色の光が落ちて行くのを見ました。

怖いなんてものではありません。

おそらく雷に対する恐怖心は誰よりも強いでしょう。

私のような経験をしない限り、大抵の人は真夏に空が真っ暗になって初めて雷雲を意識するはずです。

電車に乗っていて鉄橋を渡る時に、大きな川の河川敷で野球をしている少年たちを土日によく見かけませんか。

雷雨注意報の通りに雨が降っているのに練習や試合をしている光景を私は何度か見かけたことがあります。

あれは指導者の判断でまだ大丈夫だとして雨の中で続けていたのでしょう。

愚かです。

真っ暗になって雨も降っているのに、つまり雷雲が既に真上にあるのが子供でも分かっているのに止めないなんて正気の沙汰ではありません。

では、真っ暗でないとしたら、雷鳴も全然聞こえなければ大丈夫なのでしょうか。

いいえ、どんなに明るくても雷雲が真上にあることは珍しくないですよ。

一般に、雷雨の時に真っ暗になるのは積乱雲の厚みのせいで太陽光線が遮られてしまうせいです。

ところが、時には厚みの少ない雷雨もあるのです。

その場合には真上にあっても明るさは保たれています。

もう30年くらい前になるでしょうか。

夏の高校野球予選茨城県大会で悲しい事故がありました。

空は明るく、試合はふつうに行われていました。

その時に突然の落雷。

塁審を直撃。

残念ながら亡くなってしまいました。

主審は天候に異常を感じられなかったから試合を行っていたのでしょう。

それでも事故は起こりました。

それほど読めないのが落雷です。

とは言え、少しでも危険があるのならば潔くやめるのが指導者、責任者です。

責任ある大人の意思、感覚によって不測の事故は避けられるのです。

亡くなった私の教え子も土日は江戸川の河川敷で野球をしていました。

体は大きくはなかったものの、みんなと一緒に野球をするのが大好きな元気一杯の少年でした。

勉強はそれほどできる訳ではありませんが、塾を休んだことなどありません。

なぜか私に懐いていて、塾に来ると私が仕事中でもじゃれついて来るのがいつものことでした。

私から「クソガキッ!」と言われても満面の笑みだったのを今でも覚えています。

授業中も答えが間違っていても手を挙げて発言を求めるのがいつもの彼の姿勢でした。

そして、ある日のことです。

当時の私は大学院生で、時間講師ゆえに塾は毎日行くという訳ではありません。

休みをはさんで数日後にいつも通りに仕事に行くと、その時の塾長から呼ばれました。

上述の生徒が亡くなったことを告げられたのです。

江戸川の河川敷で野球をしている時に雷が彼を直撃。

意識不明の重体が続いて数日後に亡くなりました。

葬儀の際に塾長がお母さんのところに挨拶に行くと、私に宜しく伝えて下さいと言われたそうです。

たかが時間講師の私。

にもかかわらず、塾から帰る度に彼はその日の私とのやりとりをお母さんに嬉しそうに話していたようです。

お母さんの中には夕飯時にいつも楽しそうに彼が私のことを話すのが思い出の一つとして残ったのでしょうか。

教えていた元気な生徒が亡くなるのは辛いですよ。

言葉では言い表せないほど辛いのです。

じゃれつくクソガキのことを私も忘れられません。

今これを書きながら思い出して涙がこぼれてしまいました。

どうして何の罪もない小学生が命を落とさなければならなかったのでしょうか。

形の上では天災ですから、少年野球の指導者たちは責任を問われませんでした。

しかし、あれは避けられた事故です。

大人の判断で回避できたのです。

だから人災です。

自分たちの欲望を優先して野球を続けさせたがために起こった事故です。

雷雨注意報が出ている時に一番危険な考えは「まだ大丈夫」です。

指導者が雷の怖さを認知していれば守られた少年の命です。

こういったことを背景にこの塾を開いてから、学校でいじめに遭っている生徒を何人か私はあずかりました。

不登校の生徒たちもあずかりました。

利益優先の塾ならばおそらくはあずからない「面倒な生徒たち」です。

ただ単に面倒だからあずからないのですよね。

私は平気です。

塾には居場所の役割もあると考えていますから、赤の他人の私が守ってあげることができます。

いじめに遭っていた生徒も不登校の生徒も一つ間違えたら自ら死を選びかねない状況にあったので、余計に居場所が必要でした。

おそらく一般には塾で最も大切なものは勉強でしょう。

しかし、命より大切なものなどない、命があってこその勉強、そのように私は考えています。

誰もが知っている有名な塾で、教室内で首吊り自殺した女子小学生がいました。

時間講師が生徒を塾内で殺した事件もあります。

大きく報道されました。

塾の中で生徒が死んでしまうことがあるのです。

だからこそ、自分で塾を開くことがあるとすれば優先順位の一番は生徒の命、そう考えて今日まで来ました。

このような塾は異常ですか。

このような塾はキモいですか。

このような塾は狂っていますか。

このような塾はヤバいですか。

このような塾は恐ろしいですか。

我孫子では中1の女子生徒が自殺未遂に至ったいじめ事件がありました。

我孫子市内の自宅で自殺した生徒もいます。

布佐駅近くの踏切で生徒が飛び込んだ事件もありました。

守ってあげる大人が一人もいなかったのです。

我孫子市教育委員会の職員が逮捕されています。

わいせつ事件が報道されて懲戒処分を受けた小学校や中学校の教員も我孫子にはいます。

夜中に他校に忍び込んだ事務職員もいました。

学校関係者だけでく、我孫子で一番人気のある塾の先生(天王台6丁目に住んでいました)が我孫子駅前で逮捕されています。

さらに、自殺が絶えないある私立の学校が我孫子では一番人気となっています。

こういった事実から、柏市民の私にはまともに思えない街が我孫子です。

命より大切なものはないと考える私の姿勢は、一般的な我孫子市民には異常としか映らないと思っています。

それで構いませんよ。

でも、一軒くらいこのような塾があっても良いのではありませんか。

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↓はお母さん方の反応です。

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命の恩人塾長に出会わなかったら、今の長女の笑顔は見られてなかったと思います。我が子が心を病んだとき、親なのに情けないほど何もできませんでした。「命より大切のものはありません」という言葉の意味を、塾長から身をもって教えていただきました。学校の方針に染まりそうになって、生きながら死んだような目をしていた長男も、塾長の真意にようやく気付いて目が覚めたようです。学道舎という唯一無二の塾に巡り合えた御縁に、心から感謝いたします。

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唯一の塾。お話しに出てくる塾長を慕う生徒さんはそのように亡くなられてしまったのですね。こちらも思わず涙ぐんでしまいました。
大人の都合で子供が命を亡くしたり危険に晒されることがあってはならないと思います。勉強よりも何よりも命を一番大切だと考えそのために徹底してくださる塾長のもとに通わせて頂けることに感謝いたします。

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命を守る。塾長の原点ですね。
すべてにおいて、それを基にご指導、ご指示をいただいていると思います。
亡くなられた生徒さんの命の重みを背負ってこそ、救ってこられた命がたくさんあるのだと思います。
○子さんのコメントからもそれを深く感じました。
命は一瞬を切り取ったものではなく、過去から未来へ繋がっているものです。
その場の価値観で左右されるものではありません。
命があるということは、偶然ではなく、必然で、ある命が守られるのは、守るのは本来当たり前なのです。
しかし、愚かな人間は条件つきで命の重さをはかり、序列をつけて自分を守る、ということをします。今に始まったことではありませんし、親ですらそのようなことを平気でします。
何がいちばん大切かわかっていて、それを実践している人のそばで育つことほど、幸せなことはありません。大切にされた記憶は、またきっと次の命へと伝えられていくでしょう。
多感な年頃に自分自身が得た価値観は、その後の人生で良くも悪くも自分を支えるものとなります。
いつか、塾生の皆さんが社会に出た時に、きっと思い出して、自分を、人を支える言葉としていってほしいなあと思います。

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尊い命。雷で突然亡くなってしまった生徒さん、夢や希望が一瞬にして失われてしまった無念さ、親御様のお気持ちを考えると涙が溢れます。大人が子供達の命を軽んじてはならないです。自分の都合最優先の指導者ばかりの我孫子において、生徒一人一人に無条件に愛情たっぷりに接してくださる塾長の下で学ばせて頂いている子供達は本当に幸せであり、感謝しかありません。

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全ては命があってこそ。塾長が塾生に対してとても愛情深く感じるのは落雷で命を落としてしまったその生徒さんの事があったからなのですね…
この塾でどれだけの辛い思いをされた生徒さんを救って来たのでしょうか。どんな生徒も決して見放さず、塾長は温かい愛情を注いで下さいます。そのような恩師に出逢えて愚息達は本当に幸せだと思います。

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落雷により生徒さんが亡くなってしまったお話し涙が出てしまいました。大人の危険な判断で子供の命を奪ってしまうことがあってはならないことです。命を一番に考えてくださり、何よりも生きることの意味を教えてくださる塾長の下で学ばせていただけることに感謝しかありません。

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命があるから勉強ができます、変わることが出来ます、将来があります。大人の欲望のために子供の命が失われてしまう事は決してあってはなりません。「まだ大丈夫」という根拠のない判断ではなく、命を守る潔い決断を大人が持っていなければならないと思います。
生徒の命を第一に考えてくださる学道舎で学ばせていただける事に感謝いたします。

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学道舎の原点、落雷で亡くなられた生徒さんのお話は、うかがう度に涙が出てしまいます。命よりも大切なものなどありません。学校や指導者の名誉のために生徒を利用するなどあってはならない事です。生徒の命を最優先に考えて下さる学道舎があることは、様々な事に惑わされてしまう我孫子市民の唯一の救いです。

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雷で命を落とした生徒さんのエピソードからも、塾長が生徒の命を何よりも大切に考えて下さっていることが強く伝わり、そのような塾で学べることをとてもありがたく思います。学校や塾など教育現場で生徒の命が失われる等あってはなりません。学道舎が異常なのではなく、他が生徒の命に対して鈍感すぎるのだと思います。過去にわいせつ事件を起こしながら、未だ教育現場で生徒を指導する教師がいる事についても考えたくもありませんが、現実なのですね。そちらの方がずっと異常です。

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落雷でお亡くなりになった生徒さんのお話は存じております。大人が真剣に子供の命を守ろうとしないがために、すぐ身近でも起こっている子供の不幸には胸が痛みます。
間柄がどんなものであれ、子供たちにとって塾長のような方がいてくださることはとてもありがたいです。塾長に深い感謝と尊敬を。

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↓は講師の反応です。

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一般的な塾では、生徒一人一人の生活より成績や数値を見ています。例えそこで繰り広げられている事がどんなに酷くても成績が悪ければ見放されます。生徒自身の事をある意味よく見えていないのかもしれません。
私は、生徒として在籍していました時、避難所は塾でした笑。辛いときは思いきり泣きましたし色々と吐き出す場としてとてもありがたい存在であると思いました。
今講師として働かせていただいていますが、生徒の事を考えるのは簡単なようで難しいと感じています。ですから、これからも沢山学ばせて頂きます。

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↓は生徒たちの反応です。

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命のありがたみ。
命があるからこそ今の自分があります。
やりたい事などが出来ます。
今の記事を読んで命のありがたみが分かりました。
これからの人生まだ長いので、大切にしていきたいと思いました。

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人は「何事もまず命があってから」ということを忘れがちになってしまうと思います。
先生は、身近な人の死を経験したことで、そのことを誰よりも理解していて、だからこそ生徒の命を一番に考えられているのだと思います。
我孫子色に染まった自分を正しい方向に導いてくれる学道舎の生徒であることが恵まれたことだと感じました。

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今、こうして自分が生きているということは奇跡に近いことだと思います。世の中には生きたくても生きられない人が沢山います。命、というのはいつなくなってもおかしくない状況に生きています。ただ生きているだけ、と思うことがありましたが、それがどれだけ素晴らしいことなのかということを改めて感じました。自分の言った一言でその人の人生を変えてしまうことがあるかも知れません。だから、言葉を発するときには、相手のことを考えた上で発するようにしていきます。
これからも、命という大切なものを大事にしていこうと思います。
命の大切さを教えてくださる塾長に感謝しています。たくさん学んでいこうと思います。

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命の重み、命があるから勉強ができます、今があります,将来があります。命は何にも代えられません。だから大切なのだとこの話を読んで思いました。大人の意思に振り回されずに自分の意思をはっきりと持てるように、これからも塾長の下で学ばせていきたいと思いました。

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この塾に通い始めたのは、姉の存在があったからです。今まで通っていた塾とは何もかも違っていました。その良さと塾長の真意に気付くのに何年も時間がかかってしまいました。勉強、偏差値、進路を重視する学校で、自分を見失いかけていたと思います。大切なことに気付かせてもらうことが出来る塾で、塾長の指導を受けて成長出来るように頑張ります。

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落雷に関しては、自分が教えを受けた指導者は全員とても注意深いところがあり、自分の人生の中でそれに関しては非常に恵まれていたなというふうに感じます。これから先、いつ落雷が自分の身に降り注ぐか分からない中、私は自分の身は自分で守っていかなくてはなりません。また、自分より年下の人を守らなければならない年齢になってきているのかもしれません。しかし、今の自分を振り返って見てみるとまだまだ未熟であり、学ばなければいけない事もたくさんあります。その第一歩として今自分が実際に取り組んでいるのが部活動の部長であり、学生の部活とはいえど自分の決断にはそれなりの責任が伴います。ブログに書かれている行き過ぎた指導をしてしまった野球の監督を反面教師にしながら、残り少ない期間自分のできることをしていきたいと思います。
全ては命有りきという考え方はもっともなことだと思います。命がなければ何も出来ません。しかし、命が大事だからという事を理由に全てのことから逃げていてはダメです。私は、今後は命有りきという考えも持ちながらその反面で、命を無くさない程度で尽力するという考えも持ち合わせて行動していきたいです。
最後になりますが、今回のお話は自分にとってとてもためになりました。ありがとうございました。この話を忘れることなく、自らの教訓として今後の生活に活かしていきたいと思います。

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塾長が何より生徒の命を考えてくださっていることが改めて伝わってきました。私自身入塾当時からずっと助けられています。何度バカげたことをしようとしたことか…。
また「まだ大丈夫」、そんなちょっとした油断で全てが終わってしまうかもしれないことを心にとめておきます。

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どんな状況でも必ず部活をやろうとする顧問がうちの学校にもいます。包丁を持った人が学校付近で包丁を振り回していてもいつもと同じ時間まで部活を続けるし、数時間の勉強を命よりも大事にしているように感じました。もし、それで被害者が出たら取り返しのつかないことになるし、なんでそんなことも考えられないんだろうと思いました。なので塾長のような生徒の命を一番に考えてくださる指導者に出会えたことに感謝しながら生きていきたいと思います。

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命の大切さ、今回の話を読んで改めて命の大切さについて考えさせられました。
世の中には色々な理由で生きたくても生きられない人はたくさんいます。その中で私は幸運にも塾長と出会い命を助けていただきました。そして今、別の世界を見ることで多くの驚きと発見を体験しています。それもこれも、命があって今を生きているからこそ出来ていることだと思います。
生きていることが当たり前ではありません。いつ何があってもおかしくない。そのことを噛みしめながら、塾長に助けていただいた命を大切にして今を精一杯生きようと思います。

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命がなければ何もする事はできません。
自分の命は自分で守ろうと思います。
そして信頼できる素晴らしい指導者についていこうと思いました。

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何をしようとも命が無ければできないのは周知の事実だと思います。そんな当たり前のことを崩そうとする環境や人間はいいように振る舞うのが日常になってしまってるんだと思います。私は身近に命を守ってくれる人がいて幸せ者だと感じます。もしそのような人に出会っていなければ、いいように流され、悪い方向にまっしぐらだったかもしれません。今までの人生どんなに人に助けられ、過ごして来れたかを深く噛みしめ、自分もそのような人物になれるよう、日々を大切に過ごしていきたいと思います。

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勉強の成績もこれからの人生を考えるにあたっても当たり前ですが命があるからこそ、自分で行動出来るし自分で考えられます。生きていないと何も始まりません。
学道舎に入って命の重さについて沢山考える機会が多くなりました。
これは他の塾ではないことだと思います。前に通っていた塾では教えてくれないです。
生徒の命を考えてくださる学道舎でこれからもたくさん学ばせていただきたいです。

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