世の中には筆記試験で合格点に達しているのに、面接で不合格にされてしまう者がいます。
不良だから?
いいえ、違いますよ。
女の子だからです。
面接担当者は人を見抜くプロと思いましょう。
様々な質問をして、つまり鎌をかけて受験生の本質を見抜きます。
グダグダ言う性格の女の子が一番嫌われます。
伸びないと判断されます。
それどころかトラブルメーカーとも決めつけられてしまいます。
子を見れば親が分かるので、こんな生徒を入学させたら、入学後にクレーマーやモンスターの親が常に学校に対していちゃもんをつけて、正常な学校経営が妨害されてしまう、そこまで考えるのですよ。
だから、不合格にされるのは当たり前です。
ところが、世の中には筆記試験で失敗しているのに、面接で逆転合格してしまう者がいます。
私もそうでした。
大学院を受ける時に、筆記試験の失敗は明らか。
自覚がありました。
それでも面接をしていただいた教授2人は、募集要項に15分とある口頭試問を何と45分も私にあてたのです。
予定の3倍もの時間を使って私を試していた訳です。
結果は合格。
この実体験があるからこそ、生徒には万が一の時のために性格を治すように指導して来た訳です。
野球で考えて下さい。
「打線は水物」と言う言葉があります。
野球と水にどのような関係があると思いますか。
水物とは水商売のことではないでしょうか。
天気が悪かったり異常に寒かったりすると客足は途絶えます。
天候に左右されて安定していないことを意味しているのでしょうね。
これを野球に当てはめると、どのくらい破壊力のある打線でも相手チームに素晴らしいピッチャーがいるとなかなか打てないことを表現しています。
私の母校でも、甲子園の一回戦で19得点で勝利した時には、翌日のスポーツ新聞の一面がどれも母校のことばかり。
私も優勝を確信していました。
それなのに、二回戦では1点も取れずに負けてしまったのです。
まさに打線は水物ではありませんか。
この打線に相当するのが筆記試験に対する学力です。
偏差値が高い生徒でも、自分が苦手にしている分野が当日出題されたらもうおしまい言えるでしょう。
偏差値の高い学校ほど受験生に学力差がないために、模試でA判定、つまり安全圏であった生徒でも1点損したら確実に不合格なのです。
学力は水物です。
その日の問題に左右されます。
ところが、性格は違います。
人間の性格はいつでもどこでも変わりません。
演技しても本質を見抜かれます。
本人がどれほど巧みに良い生徒であることを演じようとしても、相手は一枚も二枚も上手です。
確実に性格の問題点を見抜きます。
つまり、逆に言えば、これはあがり症で緊張のあまりよく話せなくても、根底にある性格の良さを見抜いてくれるということではありませんか。
学道舎は性格を治す塾です。
しかし、これが大変な作業なのです。
だから入塾制限。
伸びる可能性のない生徒は入れません。
入塾希望で連絡のあった生徒たちに性格の問題のある場合、二つに分けます。
性格に問題があってグダグダ言う生徒と性格に問題はあるもののグダグダ言わない生徒です。
前者は伸びませんから入塾お断り。
他の塾に行っても伸びません。
過去の実例100%では、入試が終わった後に同級生に聞くと、見事なほど伸びていません。
それに対して、後者は伸びます。
グダグダ言わない性格面は他の問題点を治せる可能性が高いのです。
だから入塾を認めます。
グダグダ言わないのは潔さがあるからです。
言葉を変えれば男らしさです。
時代がどれだけ変わろうとも女性差別は待っています。
女だからということで差別されます。
社会から必要とされません。
しかし、男らしい女は社会が必要とします。
必要とするどころか、あちこちが奪い合うまでの存在になるのです。
男にも勝てるのです。
男社会のトップに立っている女性たちはみんなこれです。
セクハラで考えてみましょう。
課長に尻を触られたと騒ぎ立てる女。
課長も罰を与えられますが、もうその組織では必要のない女であると烙印を押されます。
無能で面倒な存在と判断されたからです。
それに対して、尻を触られた直後に「満足した? 次はないよ!」と言い切る女は仕事ができます。
同期の男たちなど相手にならないほど伸びていきます。
騒ぎ立てることにエネルギーを割く女と仕事にエネルギーを集中させる女。
これは子供だった頃から変わることがありません。
「三つ子の魂百まで」
そして、伸びる生徒に欠かせない要素は、自分がいかにダメな奴なのか、自分の現状判断がしっかりできることです。
私の特技は偏差値30台の生徒を偏差値70台の学校に入れてしまうこと。
高望みを後押ししてあげます。
ですが、それも全ての者に対して実現できることではありません。
初めから一切グダグダ言わない生徒は伸ばせます。
少しでもグダグタ言う生徒は誰に教わっても伸びることなんて絶対にありません。
グダグダ言う生徒は自分の足下を見ないで高望みばかり。
無理ですよ。
勝つ者は高望みをしていても、常に足下を見ています。
己を分かっています。
当校では開校して以来、生徒の食費が結構かかります。
特にアイス代です。
実はここでも伸びる伸びないが分かってしまうのです。
ある時、一人の男子にガリガリ君を差し出しました。
大汗をかいてやって来たので、水分と糖分の補給と思ってあげようとした訳です。
ところが本人は受け取りを拒否。
真夏のガリガリ君ですよ。
この瞬間に「こいつは伸びない!」と判断。
もちろん伸びませんでした。
どれだけ私がエネルギーを使っても無駄でした。
彼のために専用の教材も作りました。
それに要した時間だけでも百時間どころではありません。
しかし、その内容を彼は殆ど覚えませんでした。
ガリガリ君一つで何が分かると思いますか。
真夏のガリガリ君を拒否する生徒は、結局何でも拒否するのです。
難しい問題でも簡単に解けてしまう解法を教えても絶対に真似しません。
その生徒の弱点を補うプリントを作ってあげても覚えません。
子供がグダグダ言うのを真に受ける母親は子供の本質、何に対してもバリアを張ってしまう性格に気づいていません。
近くにいる者ほど気づかないのです。
以上、伸びる者と伸びない者の違いでした。