喫茶店で横にいた立教大学の学生の言うことを

下にまとめてみた。



「昨年の地震の時、”節電による経済活動の自粛”を

 批判する人物には信頼できない」


「節電による経済活動の自粛をしたら、自分たちの

 そもそもの経済活動が止まる、集団自殺行為だ」


「節電はそもそも、”止電”という考えとイコール」



・・・・・・。。。。。



すみません。ちょっと、その論

浅すぎませんか?


それだと、本当に表面的なことしか論じられていないよ。


おじさんが答えをあげるよ。



節電による経済活動の自粛は、確かに「愚」だと思う。


しかし、本当に論じられるべきは


「節電が地震の時にしか本格的に論じられないこと」


なんじゃないかな?



そもそも、電気というのは無駄遣い・・・・・いや

もっと根本を言わなきゃいけない。


「余分なエネルギー生産を促すことを禁止すべき」


じゃないかな?


なぜ?



「余分なエネルギー生産は、余分なエネルギー生産リスクを

 増大させるから」


だよね。



エネルギー生産、には必ずリスクが伴っている。

たとえば、原油の輸入や、当然、環境問題もしかり

原子力発電所の過剰な稼働、コスト増・・・・


根本には安全保障もかかわっている。


それらに対するリスクが、余分なエネルギー消費で

増している。


だからこそ、余分なエネルギー生産を

ストップするために、「節電」は普通にしなければならないものなのに

なぜか「消費」だけが一方方向的に

論じられてしまう。



あげく「消費は善」とまで言い切る人物もいる。



立教大学生のロジックだと、「消費は善」ロジックで

ストップして、根本的な生産リスクについて論じられていない。

「節電」は悪くない、「過剰な節電」が悪いとは思うが

そもそも、「節電」していないことについての

批判がなされていない。



それじゃあ。東京電力の片棒担ぐだけだよ。



立教大学は個人的には好きなのだが・・・・


もう少し踏み込んでほしい。



と、横でにやにやしながら、聞くおじさんでした。