古い陶印が纏まって出た。

陶印は文人たちに人気だ。

文人に憧れるミーハーな私も、そそられる。

なかなか出ないから、このチャンスを逃してはいけない。





分からないまま、何時もの如く「エイヤッ!」と、競り勝った。(←高かったあ😭)


手入れして、こびりついた朱肉をとる。
押してみた。
辛うじて読める、「至急」や「親展」の字面に、冷や汗がタラリ。

郵便局の業務用かな?
だったら売り物にならない。😱😭😰
でも、冠帽印に使えそうな物もある。
と、心はチチに乱れる。

ため息混じりに眺めていると、中国の少女がやって来た。
上海から遊びに来た友人と一緒だ。
広げたこれを、目ざとく見つける。


「ワオウ〜!大好き!」

2人で歓声を上げ、座り込んで判読を始めた。

上下も曖昧なまま、いい加減に押している。

回しながら3人でああでもないこうでもないと読み、印談義です。


この場合、私は合いの手を入れるだけ。

彼女たちの提示に、

「あ!

そうなるんだ!

日本でもそんな熟語があるわ」


つまり感心するだけ。

情けない限り。😅😆😂

彼女の友人は、医学を勉強しながら、漢詩に嵌ってるとかで、印の前から離れない。

スマホで何時までも調べ続ける。

理系と文系、二刀流だけあって、流石に勉強家です。


この陶印の意味は良い。



「下筆如有筆」

杜甫の詩の一節で、読み下すと、
「筆を下せば、神有るが如し」

前の句と合わせて、
万の書物を読んだら、書く言葉に神様が宿る

となるそうだが、私は少し納得がいかない。意味は課題にしておきます。
でも冠帽印に良いなあ。

中国でも古い陶印はないのだそうだ。

篆刻の文字も時代によって変わるらしい。

調べて字が分かると、2人で歓声を上げハイタッチ。


「疲れるから、いい加減にすれば」

「ゲームみたいで、メチャクチャ楽しいのよ。

私達は大好き!」


20才前後の若さで、こんな謎解きが楽しいなんて!

私なんて直ぐに疲れ、諦めるのに。

彼女たちの知性に完敗です。




昨日はその後も、中国の方に感心しきりだった。

デザイナーの奥様が、坪庭の小さい石仏が欲しいと言う。

取り出して、諦めを施す。

「でも持って帰るには重いから…」

「大丈夫です」


ご主人も持ち上げて頷く。

「うん、大丈夫」


三千院で石仏を見た帰りなのだそうだ。

その写真を見せて下さり、私に(あ〜あ)といった表情をして言う。

「彼女は気に入ったら諦めない。

それがインスピレーションの元だから、仕方ないです」


前進する事に貪欲な中国の女性たち。

尊敬しかありません。


明日からはそんな方々を相手に、切った張ったが始まる。


「ファイト!」

と、自分にカツを入れてます。