連休になって、国内のグループも入って来られます。
今朝のグループは、リーダー格の女性が凄かった。
店内のお品を触りまくり、仲間に中途半端な解説をします。
口を挟む余裕もありません。
挙げ句に、こうのたまった。
「これ、買うなら負けてくれるの?」
「う〜ん?、どれでしょうか?」
それには答えず、
「半値位か?」
流石にこちらにも余裕が出来ます。😳😳😡
笑いながら言い返しました。
「まあ!
中国の方でもそこまでは言いません。
纏めて買うし、少し安くしてと言われる事はありますが」
聞き流すかのように、相変わらず帯留めなどが入ったケースを持ち上げては、仲間に説明する。
最初から買うつもりなど無く、私も分かってるから、少し離れて自由に見て頂いているのに、何でだあ?😡😳
中の1人.2人が、申し訳ないと思うのでしょう。取り繕うように、
「素敵な物ばかりて、目の保養になりました。有難う」
勿論リーダーは何処吹く風です。
肩で風を切って出ていきました。
次の2人連れも強い。
店内を見回し、
「うちにも人形があるの。
娘が生まれた時に実家から買って貰って、2、3回飾っただけのお雛様。
確か島津か何かの立派なものよ。
もう要らへんし、ここに持ってきたら良いんやね」
う〜ん?😳😅😰
もう1人が勝ち誇ったように言います。
「こんな店をしてると、買うだけでなく、売りに来る人もいるでしょう?
家にあるからね」
そう来るか!
私にも覚悟が出来ました。😡😳
しっかり言おう。
「そうなんです。
たまにそんな方がいます。
でも普通のお家に、骨董屋が欲しいようなお品は、まずありません」
向こうも負けていない。
「普通のうちでは無理よね」
言外に自分のうちは普通ではないと。
「うちで扱うお人形は、ほとんどが江戸期の物です。
たまに、明治のお品も扱いますが、それはよほどの名品だけ。
お雛様は戦後豊かになって、沢山出回りました。
頭は型で繰り返し作られています。
どんなに大金を出して買われたお品も、そのお家で要らなくなったら、お金を添えて、供養寺に持っていくしかないのが実情です」
付け加えました。
「私の雛人形も大好きだけど、売物にはなりません。自分の家で大切にするしかなくて」
私も逞しくなったものです。
こうしてオバタリアンは作られていく。😭😱😰😡
陰険な骨董屋も出来ていく。😰
骨董屋に入ってきて、まるで喧嘩をうるような態度。
どうして、普通に見れないのだろう?
本当に凄いお家なら、審美眼やさり気ない会話で、こちらも気が付きます。
欧米系の方の上から目線どころではない、日本のおばさんの勘違いと、負けず嫌い。
何でだあ?