昨夜は近代美術館で開催中の「Tessai」へ。

 

 

実は見に行ったのは半分が義務感でした。
忙しくて今月は休んでいるけど、書画の会の主宰は鉄斎がお好きです。
某業者発行の鉄斎を使ったカレンダーの、読み解きと解説も主宰でした。

勉強会で取り上げるのは明白だし、骨董屋という仕事柄、鉄斎を避けては通れない。
他の欲望を封印して(←私には映画に行くかこちらにするか、時間的に2択😅)、の行動です。
でも行って良かった!
 
鉄斎と言うと粗っぽさを味にしたような、お軸が浮かんでくるけれど、並んでいるのは余白を計算し尽くした、粗っぽささえ端正に仕上げた作品ばかり。

静謐な世界が広がっています。
流石に最後の文人画家と言われる鉄斎。
会場に流れる空気で、魂が浄化されるよう。
鉄斎美術館の物が主体で、見ごたえのある展示でした。
 
夫も帽子を取り、真剣に見る。
顔を見合わせては(来て良かった!)を確認し合います。
 

思わずエレベーターの中で言いました。
「もしかすると、今まで見てきたのは贋作ばかり?
並んでいる作品が、鉄斎のイメージよりずっと端正で驚いた」
 
「いや、今回は良い作品ばかりなんだと思う。
一般に出回ってるのは、贋作も多いだろうけど、本物でも書きなぐったものもあるはずだ」
 
こんな時、バランス感覚を忘れず穏便な事をいう夫。

ところで先日来、背中が重くなるほど、見て調べた友人のご主人の遺品。
早速成果がありました、😍

よほど好きな字体なのでしょう。
呉昌碩が鉄斎に贈った扁額、直ぐに気が付きました。(←当たり前?😅)
何か嬉しい。

(図録より)

家に帰って図録を見ると、筆のタッチをアップにした画像が多い。
想像力を駆使しても、あの静謐な世界が広がってきません。😰
実物の放つ魂の静けさが、伝わってこないのです。
驚きました。
 
鉄斎は実物を見ないと駄目だ。
良さが伝わらない。
ぜひ会場に足を運んで、圧倒的な世界観に浸っていただきたいと思います。
私の様に中途半端な知識で、鉄斎嫌いな方にこそ、お勧めしたい。

さて、鉄斎は幼少の頃、蓮月と暮らしました。
何か家庭的な問題かと思っていたら、鉄斎の父親が蓮月と親しく、高齢の蓮月を案じての事だと知ります。

でもそのお陰で、鉄斎は蓮月の世界観も身に付けた。
そんないきさつを知っていれば、2人の共作が又違って見えますね。
一部そんな作品も展示されていました。
 
私が持っているのは、蓮月単独の短冊。
この前1つを掛けていたら、即座に見抜いて下さった方がいます。
正確には、「蓮月の本物かどうかより、この字に惹かれた」と言って下さったのですが、もっと適切な褒め言葉ですよね。



ぼろぼろで裏打ちをし直しています。

余談ですが、蓮月も偽物が多い。
蓮月は思いをそのまま描いたのであって、筆運びに注意はしていない。

鉄斎の贋作が荒っぽさを真似るように、蓮月の贋作は、読みにくいクネクネを真似る。
小さく纏まり、何処か固い。
本物には圧倒的なリズム感と、伸びやかさがあります。


鶯のみやこにいてん なかやとに
  かさはやとおもふ 梅咲けり

一生懸命蓮月を勉強した日が遠くなりました。
時々は読み返さなくては、又読めなくなるよ。😅

呉昌碩といい、蓮月といい、実物を見て勉強が大切。
そんな事にも気付かされた、富岡鉄斎没後 100年を記念した「Tessai」でした。