昨日の大行列は、江戸城内でこんな儀式に列席する為でした。
同じく揚州周延「千代田之御表」より、「将軍宣下」をご覧ください。
 
 
昨日の続きになりますが、「将軍宣下」は、徳川将軍が天皇より征夷大将軍を命じられる儀式です。
三代将軍・家光までは、天皇のおられる京都へ自らが上洛して行われました。
 
四代将軍からは江戸城に勅使が訪れ、そこで拝命されるようになります。
 
揚州が描くのは、当時の関係者から聞き取り、史実の確かめやすい江戸後期や幕末なので、これは江戸城の大広間ですね。
昨日の駕籠に乗っていた大名も、ここでは両脇に並び傅いているはず。
 
檀上が将軍、下で頭を下げているのが勅使という解釈で良いのかな?
いや、勅使と言えども後ろにおられるのは天皇だから、檀上が勅使?
迷うところです。😅
 
 
こんなことを書いて、日本の政治について目が向きました。
 
今の内閣総理大臣も、服装こそ違うものの、天皇陛下から拝命されて後、正式な立場になる。
これは戦後の「君臨すれども統治せず」になってからでしょうね。
 
それまでは大政奉還以来、日本のトップは文字通り天皇陛下だった。
江戸期以前も、権力の座を得る為に、何方に天皇が付いているかを争ってきました。
 
日本の要は常に天皇陛下にあったという当たり前の事を、歴史音痴の私は,今頃になって思い知ったという訳です。
 
 
 
 
今迄ビジュアル的に見て、黒地に見えながら光沢によって浮かび上がる模様を、描き分けている揚州に感じ入っていました。
このシーンに漂う厳かな雰囲気も、何かを感じさせますが。
 
 
全てのことが深すぎます。😳😱
まだまだ、揚州周延の込めたメッセージの半分も受け取ってはいない。
それだけは分かるのでした。😅