哲仁王后感想&考察 『宮廷』という存在 | OLがけっぷち日記

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このままじゃ、まずいよね?

超お久しぶりです!!

最近忙しくて、なかなか記事を上げられてなかったのですが、少し時間があったので書きかけだった考察を仕上げました。

 

今回は13話でソボンが記憶を全部取り戻さないと!!と池に飛び込んで記憶を取り戻した結果呟いた「キム・ソヨンは宮廷に殺されたんだ…」『宮廷』について、考えてみたいと思います。

 

毎度のことながら、がっつりネタバレしているので、ネタバレNGの方はこちらでお戻りくださいね! 

 

………

 

(1)「宮廷に殺された」の意味

ep13でソボンは、キム・ソヨンとして朝鮮時代を生き延びる為に、ソヨンを自殺に追いやった本当の原因を求めて池に飛び込びます。

詳しい内容は人物考察キム・ソヨン編をご参照いただきたいのですが、まぁ、ざっくりまとめると

 

①家門からの圧力(哲宗の監視命令など)
②『中殿』という立場の弱さを痛感
③愛する哲宗からの人格否定
④ファジンにすら人格と権力を否定される

 

という感じですかね。

これらが国婚前日に押し寄せたことがソヨンの自殺の最後の一押しになりましたが、そもそも、ソヨンは国婚前日のあれこれで衝動的に自殺したわけではなく、事前から周到に死ぬ準備を進めていました。

 

その上で、ソボンがソヨンの自殺を「宮廷に殺された」と表現したのは、【根本の原因は『宮廷』という存在そのもの】であり、上記の事象は、その発露としてそれぞれの人を介して表面化したのだということだと考えます。

 

では、そもそも『宮廷』という存在は、なんなのか。

 

宮廷の長い歴史と伝統

宮廷のしきたり

宮廷の人間…

 

長い歴史の中で作られた規律を、そこで働く人たちが日々実践し続けることで、変化しない盤石なものとして存在している『宮廷』。厳格に決められたルールの中では、王や中殿という存在ですら一つの駒でしかないほど、絶対的な強固さを持った存在になっています。

 

この物語は、変化を起こす哲宗&ソボンと現状を維持したい大王大妃&キム・ジャグンの対立構造が主軸となって進みますが、実は哲宗達が変化させようとしたもの=倒そうとした「敵」は、大王大妃やキム・ジャグンといった個別の人物ではなく、既存の『宮廷』というシステムそのものだったのではと考えました。

 

(2)敵としての『宮廷』

①個性は不要の場〜キム・ソヨンの場合〜

『宮廷』という存在の盤石さと強固さは、ソヨンがこれまで抱いてきた夢を打ち砕くのに十分なショッキングな事実だったと想像できます。

 

そもそもキム・ソヨンは、朝鮮時代の人間としては、かなりリベラルな人物として設定されています。

 

「やると決めた事は必ずやり通す」とホンヨンが言っていたように、やりたい事を自分で決めて取り組んでいますし、子供の頃でも「死ぬ時は笑って死ぬ」と言っていたように、死ぬ瞬間ですらも自分が納得しているかを重要視するタイプです。

 

更に、身分の上下をあまり気にしないタイプの人間でもあります。子供の頃のエピソードでも、明らかにみすぼらしい様子のビョンインを嫌う訳でもなく新しい従兄弟として受け入れていましたし、井戸で会った男の子が叛逆者の一族だったと知っても、本人が叛逆者な訳じゃないからと大人たちに禁止されたにも関わらず助けに行っています。家庭環境としても、逃亡して戻ってきた奴婢に対する国舅の態度を見ても、使用人とも人間的な関係性を築いている家庭であったことがわかります。

 

キム・ソヨンにとって、宮廷に入るまでの人生はどこで何をするか、誰とどのように付き合うかを決めるのは自分の意思であって、他から強制されるモノではなかったはずです。

 

一方、『宮廷』は全てが決められた場でした。個人の名前では呼ばれず「妃氏」「媽媽」と肩書きで呼ばれますし、それぞれの身分での振る舞いや禁止事項が事細かに決まっていて、当然のように身分が高いほど厳格に決められたルールの中での行動を求められます。チェ尚宮の小言の多さはネタのように描かれていますが、中殿とは、それくらい一挙一動作が決められていて、それを守って生きなければならないという存在であることの現れでもあります。 

 

ソヨンが宮廷で知ったのは、父の言っていた「中殿になればなんでもできる」というのは嘘であり、身分が高いほど「自分らしく生きる」ということが困難になるという現実です。

 

ソヨンは子供の頃から中殿になることを夢見てきた人間ですから、中殿の生活には多くの制限がある事は理解していたと思います。しかし、それは権力を得る対価として宮廷に定められたルールを守るというような認識であって、個人としてのソヨンが不要で、単なる駒としての存在になるとは思っていなかったからこそ、ショックが大きかったのだと推察します。

 

②身分制度の逆鞘現象

外から見れば明らかに弱い立場である、内侍や女官といった『宮廷』で働く名もなき人々。

 

弱い立場の彼らは、宮廷内で見たこと、聞いたことを武器にして、自身の出世や生き残り戦略を立てて暮らしています。

 

権力者のスパイとなって情報収集することはもちろん、ドソリのように自分の権限の中で不正を働いていたり、自発的かはさておき、時には呪いを手伝ったり、毒を盛ったりして権力者の命を狙う事もあります。多くの人々は、そこまで直接的な事はしていなくとも、日常生活の中で情報収集を常とし、誰もが積極的に噂を広めています。噂は彼らのネットワークを通じて一瞬で広まり、時には王すらも窮地に追い込みます。

 

作中には、宮廷で働く人々がたくさん登場しますが、かなり登場頻度が高いにも関わらず、大半の人は作中で名前が呼ばれず、固有名詞で呼ばれていたとしても肩書きの場合がほとんどです。彼らの名前が出てこない事を不思議に思っていましたが、考察をする中で、作中では敢えて名前を出していないのでは…?と思うようになりました。

 

それぞれの名前を明確にせず、宮廷で働く人々を具現化した人物として描くことで「こんなによく見るし、影響力がある事をしてるのに、名前すらわからない…」という、まさにソヨンが感じていた、誰が敵かわからない、敵の正体が掴めない、『宮廷』という場所の恐ろしさを間接的に視聴者に伝えているのではと考えます。

 

もちろん、宮廷で働く人々は自分たちが権力者たちにとっての脅威であると自覚して暮らしている訳ではなく、『宮廷』というシステムの中で、結果としてそういう役割を担っているという点も付記しておきます。

 

③ソヨンを追い詰めたモノの正体

ソヨンにとって、そんな女官や内侍たちに囲まれた宮廷での生活は、24時間常に監視された状況で、少しの失敗も許されない場所であったと想像されます。


たとえ、ソヨン自身が失敗をしなくとも「実力ではなく家門の力で中殿の座に座るのだ」とか「哲宗は側室のファジンを一番大切にしている」とか、外的な要因でソヨンを貶める話題はいくらでもあります。

 

そのため、ソヨンは常に周囲に注意を払わなければならず、音に敏感になり、鼻をすする音や笑い声すらも聞くべき音を邪魔するものとして、より不快に感じたのだと思われます。

 

常に監視されていると思うと、ひそひそ話が悪口に、笑い声は嘲笑に聞こえてしまうのも無理はなく、そうやって過敏になると、人との関わり自体を避けたくなって、行きついた先が横暴な態度で人を遠ざける事であり、キム・ソヨンがあの時点で『宮廷』と距離を取る為にできた唯一の抵抗だったと言えます。

 

キム・ソヨンとしての人格を一切排除させられ、そこで働く人々からの監視を含めた、見えない大きな力によって言動をも支配される生活。『宮廷』は、一人の人間がもがいたところでどうにかなるような脆弱なものではなく、活発で明るかったソヨンを蝕み、追い詰め、これまで信じてきた自分自身を見失わせ、自殺へと追い込んでいったと言えます。

 

(3)『宮廷』に翻弄される人々

よく考えるとキム・ソヨン以外の『哲仁王后』の主な登場人物たちも、みな『宮廷』に翻弄されていると言えます。

 

①哲宗

哲宗は、宮廷の権力争いの中で家族が謀反の罪で殺され江華島に流されるも、またも宮廷の都合で都に呼び戻され、王に据えられました。

 

哲宗も、ソヨンと同じように個人の人格や思想は無視され、家臣たちが操りやすいからという理由だけで『王』でいるという身分の逆鞘の最たるものの状態にあります。哲宗が戦っている相手は、表面的には腐敗した権力者たちですが、哲宗の「国は民の物である」という考え方は『宮廷』システムの否定であり、これがわたしの【最終的な敵は『宮廷』そのものである】という分析の根源でもあります。

 

②チョ・ファジン

ファジンは、哲宗を支えたいという気持ちだけで宮廷に入ってきた人物でしたが、結局は宮廷内の派閥争いの駒としてチョ大妃に利用される事になります。「宮廷では心を無にして常に中庸でいる事」という父親からの助言を実践できず、唯一の拠り所であった哲宗の気持ちすらも信じられなくなって、ソヨンと同様に自分を見失うことになります。

 

③キム・ビョンイン

ビョンインは、そもそも唯一愛する存在であるソヨンを『宮廷』に奪われた存在です。ソヨンが池に飛び込み、その結果、中身が別人に変わっているという受け入れ難い状況の根本的な原因は、ソヨンを追い込んだ『宮廷』です。

 

ビョンインはソヨンの為に自らも宮廷に入りますが、『宮廷』という枠の中でソヨンを守ろうとした為に悲劇的な最後を迎える事になります。

 

④大王大妃とキム・ジャグン

大王大妃とキム・ジャグンの二人は、変化を嫌うことで、結果として現状の『宮廷』を存続させるための駒になっています。

 

大王大妃は、宮廷での暮らしに満足しており、その暮らしを変えたくないが為に、変化を起こそうとした先王を毒殺するなどしています。キム・ジャグンは、姉の希望を叶える為には、後ろ暗い事も平気で行いますが、大きな力を求めるのは変化を起こすためでなく現状を維持する為でした。

 

『哲仁王后』という作品を通して見た時に、主人公の敵役である大王大妃やキム・ジャグンの敵役としての迫力や追い込み力を物足りなく感じる方もいるかもしれませんが、その理由は【本当の敵は『宮廷』そのもの】であるからだと考察します。

 

(4)意味深な『宮廷』の描かれ方

物語の中で、『宮廷』にフォーカスしたと思われるカメラワークが何箇所かあったのでご紹介します。

 

①ビョンインの目の前で閉まる門(ep4)

宮廷で夢を叶えたと思ったソヨンが、自殺するほどに追い詰められていた事を知るも、すでに中殿になってしまったソヨンを連れ出す事も出来ないビョンインが宮廷を出て振り返るシーン。

 

ゆっくり閉まる門の重厚さと大きさが、ビョンインとソヨンを宮廷の中と外でキッパリと分ける印象的なカメラワークです。

 

②噂が駆け巡る宮廷(ep5)

大王大妃に逆らった哲宗の噂が瞬く間に宮廷中に広がる様子をコミカルに描いたシーン。

 

噂が広まる過程で尾ビレが付き、歪曲されながらすごい速さで広まっていく様子を宮廷を上から覗くような形で描写されています。

 

ジャグンに告げ口した後ファジンが見た宮廷(ep13)

哲宗を裏切り、哲宗の宴会を中殿が手伝っていた事をキム・ジャグンに告げ口したファジン。キム・ジャグンの「殿下が中殿に心を寄せたか…」という言葉と哲宗を裏切る自分の行動に、改めて哲宗と自分の関係が完全に変わってしまったと気付き、外から宮廷を眺めながら涙するシーン。

 

ファジンの追い詰められた心境と死にかけている哲宗の状況にも関わらず、いつもと変わらない泰然とした宮廷の様子にファジンが『宮廷』の恐ろしさに気付いたシーンであると思います。

 

④宮廷の地図を切り捨てるビョンイン(ep17)

ep17でソボンの妊娠が発覚した際に、ビョンインが怒りに任せて宮廷の図面を一刀両断するシーン。

 

単なる八つ当たりシーンのようですが、斬りつける前にそれが宮廷の図面である事をしっかり見せるカメラワークは、ソヨンをどんどん手の届かない場所に奪い去っていく『宮廷』に対するビョンインの怒りを表しているようです。

 
⑤ラスボスに向かう二人が見つめる宮廷(ep20)

外からは東匪たちが攻撃をしていて全軍で応戦中、中では王を殺そうとした人々が新たな傀儡を王に据える為の即位式を行っているのですが、そうとは思えないほど泰然といつも通りの佇まいを見せる宮廷の姿があります。

 

広間に並んで立ち、その姿を見ながら、ソボンと哲宗が「ラスボスだ」と話をするのが、まさに【本当の敵は『宮廷』の存在そのものである】という意味であると考えます。

 

(5)敵から変化した『宮廷』

このように、本当の敵としての『宮廷』がある一方で、物語を通して哲宗とソヨンの関係性が変化するにつれて『宮廷』は別の顔を見せるようになります。

 

ボンファンの魂が入ったことで、宮廷の規律をぶっ壊し始めるソボン。女人禁制の水刺間にも出入りするし、ソヨンが神経をすり減らした宮廷の人々にも飴と鞭で適当に対応し、噂を流されたら流し返し、むしろ噂や宮廷の人々を利用し始めるといった風に意図せず自分流で『宮廷』に自分の居場所を作り出していきます。(ep1〜ep13)

 

ep13でボンファンが現代に戻らずキム・ソヨンとして生きる事を決めた事も影響してか、ep14からep17では『宮廷』は、ソボンと哲宗のフィールド感を強め、ソボンを後押しする様に映る場面が増えてきます。

 

例:キム・ジャグンとの対決の場面↓

ep18では、ソボンが哲宗がいなくなった宮廷を散歩して哲宗との思い出を思い出して寂しさを感じているように、宮廷に対して愛着を持ち、誰が敵かわからなかった宮廷の人々も、情報収集をする習性を逆手にとってキム・ジャグン達の動きを探る為に利用できるまでになっています。
 
ep19では哲宗と再会し、宮廷に戻る朝のソヨンのセリフに「もう家に帰る時間だ」というセリフがあります。ソヨンを自殺にまで追い込んだ敵でしかなかった『宮廷』が哲宗との関係性の深まりとともに『家』という最も安心できる場所に変化した事が伝わるシーンです。『宮廷』に翻弄されるだけの存在だった哲宗とソヨンが、ボンファンを得たことで自分の人生を取り戻すべく行動し始め、結果として絶対的で強固な存在であった『宮廷』に変化をもたらしていきます。
 
ep20の後半でソヨンが大王大妃と対峙し「内命婦の主人はわたしです」と宣言するシーンと、哲宗が大臣たちを断罪するシーンは『宮廷』に支配される側から『宮廷』を支配する側になった二人を表している象徴的なシーンであると言えます。

 

(6)まとめ

「哲仁王后」では、物語を通じて本来、国民がより良く豊かに生きる為に国を統治するための場所であるはずの『宮廷』が、『宮廷』を『宮廷』たらしめる為にそこで生きる人々を始め国民を犠牲にしている本末転倒な状況になっているのが、あるべき姿に戻るまでの過程を描いていますが、ポイントは『宮廷』が主体じゃなく「人」が主体なのだということだと言う事です。

 
わたしは、この物語の中で「偽りの自分を捨てる」というキム・ソヨンの遺書の言葉が大事な意味を持っていると思っているのですが、『宮廷』に偽りの自分で生きる事(また宮廷の現状維持の為に死ぬ事)を強要されたキム・ソヨンや哲宗が、その束縛を打ち破って、自分がしたいことができる人生にしようとした結果、長い歴史の中で本来の目的を見失っていた『宮廷』もあるべき姿に戻った。ボンファンが最後に話していた「自分の人生を変えるために努力すれば、いつの間にか世界も変わるものだ。俺や哲宗のように」というセリフの通り、この「一人一人の行動」が結果として「世界を変える」の流れが大切なのだと思っています。
 
『宮廷』は物語の中の特殊な環境ですが、現代の『社会』や『世の中』に通じるものがあります。コロナ禍で行動も制限され、進まない国の政策などに無力感を感じる事も多い日々が続いています。コロナ以前の普段の生活の中でも、社会の凝り固まったルールや考え方、固定概念の中で個人の人格を否定されたり、自分らしさを見失ってしまうことは日常的に起こっている事です。
 
そんな中で、この哲仁王后のストーリーは、国や社会をどうこうしようと言うような大きな事は考えていなくても、自分の人生を良くするためにちょっとした努力をしていく事が、現状を打破する小さな一歩になるんだという脚本家から視聴者へのメッセージのように思えるのでした。

 

 

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※あくまで個人の考察です。
※画像はお借りしました。