この記事は崖男の治療開始から15カ月
抗がん剤治療→高カリウム血症→腎障害
→透析治療開始の頃のお話です
今、どんな症状?
こんにちは
唐突にやってきた「胃がん ステージⅣ」
昭和18年生まれの父
その名も崖男(がけお)の
闘病・今日までの記録です
崖男、危篤の報
悪天候予報の為、
面会に早めに出発したムスメY。
ムスメKと、どちらが母を迎えに行き、
病院で合流するか?などと列車の中で
やり取りを続けていました。
途中、病院より、ムスメKへ、
「医師より説明したいことがあるので
面会時間内に来て下さい」と
電話が入ったとLINEがありました
もちろん、あまりいいお話では
ないだろうな。と思い、
胸騒ぎを覚えながら、列車内で
過ごしていたところ、
ムスメKからの電話が来たのです。
こちらが乗車中と知りながらも
かけてくるとは、何があったのだろう
慌てて、座席を離れ、電話をとりました。
ムスメKの声は震えていました
「今、病院から
電話があって
お父さん、危篤だって。
これから
すぐ病院に向かいます」
この日は、久しぶりに
ムスメ二人と母の三人で
揃ってのお見舞いの予定でした。
震える手
いつかは、この日が来るのだと
頭では分かっていたものの、
電話を切ってからも、動揺と
震える手は収まらず。
崖男の兄弟には、ムスメKが
連絡をいれてくれました。
私も、自身の家族に、すぐさま
電話を入れました。
平日だったのにも関わらず、
崖男の孫たちは、たまたま休みで、
すぐに連絡をとることができ、
病院へ駆けつけられる
とのこと。安堵したのも束の間。
何しろ、どうやってもこれ以上
急ぐことは出来ない、
列車内の自分。
乗り継ぎで、どれだけ早く行けるか
頭の中でシュミレーションを
繰り返していました。
落ち着かなきゃ。落ち着かなきゃ。
結局、悪天候の影響で
どんなに急ごうにも
いつも通りの経路でしか
たどり着けず。。
むしろ、いつも通りでも
辿り着けただけ、マシだったのかも
しれません。
車中でも、もう、崖男と話すことは
出来ないのか。
意識がないのか。
私が到着するまで、
待っていてくれるのか
そんな想像が頭をよぎります。
着いているはずの、家族からの
連絡もほとんどなく。
私にショックを受けさせないために
病院へ着くまで、あえて
連絡してこないのだろうか。
色々なことを考えていました。
そこへ、先に着いた、孫Aからのライン。
え?え??
そうだったのーーー!
意識不明なんじゃなかったのか
それを早く教えて・・。
みんなが駆けつけた時に
崖男は、こう言い放ったそう。
先生方とお話で別室へ
慌てふためいて、病室に着き
(この時点で個室に移っていました)
崖男の意識、認識を確認して
ホッとしたのも束の間。
私の到着をお待たせしてたという
史先生と、まっち先生からの
お話を聞きに、
ムスメ二人と、母とで、別室に
向かいました。
別室でのお話は、
想像していたより、悪いものでした。
オマケの母エピ