先週末から、右下腹部に痛みが出た。

最初のうちは、これまでに経験したことのない、鈍痛。

それが、2日で、触ると飛び上がるくらいに痛くなった。

朝、ベッドから起き上がる時も、痛くて、身体をねじるようにして、そっと重心をずらさなくてはならない。

何となく、これは盲腸かもしれない、と感じた。

骨折で入院した病院の内科を受診。

医師は、触診後、CT、血液、尿、の検査を指示。

盲腸かもしれないね。もし、そうだったら、外科になるよ、と告げられた。

盲腸だったら、入院は何日くらいになりますか?

1週間だね。お気の毒に、と言った感じで答えが返って

きた。

検査が終わり、内科の待合室で結果待ちをしていたら。

看護師さんに名前を呼ばれて、外科待合室に行くように

と指示を受けた。

あ~、盲腸だったのか、とガッカリしながら、トボトボと歩く。

相変わらず、鈍痛は続いていて。外科待合室の椅子に座る時も、ズキンと刺すような痛みが走った。

その後、外科で結果を告げられた。

CT画像を見ながら、盲腸のような所見は見当たりませんね。

血液検査でも、炎症は出ていません。

ビオフェルミンと、腹痛時に飲む薬を処方された。

2日間、これを飲んで、また来てください。

呆気にとられる。

普通なら、これで、ホッとするんだろう。

あ、大したことなかったのね、良かった、になるんだろう。

でも、私は、いきなり後ろ蹴りをされたような衝撃を

受ける。

検査をしても異常なし。

ということは、とりもなおさず、それが、線維筋痛症の

痛みだと知るということだから。

こんな未知の痛みも、自分は抱えているのだ、という

絶望にも似た気分。

 

線維筋痛症に罹患して12年。

これだけの年数を経ても、まだ、経験のない痛みを

知らされる。

そして、それは、一過性のものではなく、持病として

抱えているという現実。

 

以前、夜中に胸痛があり、救急車を呼んだことがある。

この時の痛みは、例えるなら、背中は固いコンクリート

の壁で。

胸をブルドーザーで、ぐいぐいと押し付けられている

ような圧迫感が伴う痛み。息が止まるかと思うほどの痛み。

あ、私、死ぬんだな、と思った。

とても自力では起き上がれず、夫に頼んで水を持って

きてもらい、リリカを服用。

救急搬送先で検査。異常なし。

リリカが効いてきたようで、治まる痛み。

帰り際、夫が言った。

良かったな、心臓に異常なくて。

全然、良くはない。愕然とする。

っていうことは、この痛みは、線維筋痛症。

そういう痛みの種類を知っただけ。

 

痛みを学ぶ、ということは、この病気を持っている

人間にとっては、残酷なことで。

それは、あまり、知られていない。

 

子供の頃から、私たちは、ケガや病気について、身を

もって学んできたはず。

どういう行動をしたら、ケガに繋がるとか、経験を

重ねることで、注意をする。

風邪を引かないように、予防策を取る。

健康に気を配り、食生活、睡眠、運動で、バランスを取る。

がん検診は、早期発見、早期治療で快復を見込むことも

できる。

 

自身や、家族の努力で、ある程度、痛みはコントロール

できるという認識。

 

線維筋痛症は、脳が誤作動を起こして、痛みを感じて

しまう。

痛みのコントロールは効かない。

私の場合、幸いなことに、リリカに救われているけれど。

それでも、効くまでの30分~それ以上は、ずっと、痛み

を耐えるしかない。

 

なので。

メンタルのコントロールも難しい。

結果、私は、不眠症で、気分障害。

鬱病までには至らずも、些細なことで落ち込んだり、

気分の浮き沈みにより、引きこもり気味になってしまう。

 

私は先日、転倒して、左ひじを骨折した。

その痛みから、あ、これは、骨折したな、と自覚も

していた。

結果、骨折との診断。

その時、私がどう思ったか。

あ、良かった。ちゃんと、骨折していた。

この痛みは、線維筋痛症の痛みではなかったから、

治ったら、この痛みも治まる。

そういう安堵感。

これは、この病気を罹患した身でないと、絶対に理解は

できないと思う。

 

その後、痛み増幅、という形で、線維筋痛症だと思い

知らされた訳ですけれどね。

 

生きている限り、逃れられない。

この病気と共に生きる、ということは、正直、しんどい。

 

痛みは他人には分からないし。

全身、包帯でグルグル巻きで、ベッドに寝ているとか、

そういう判りやすい病気ではないので。

理解されにくい、という側面もあるので。

 

結構、孤独です。

で、だからといって。

同病者を探して、お互いの傷を舐めあうというのも、

それはそれで

違うと思うので。

 

こういった発信が、少しでも、この病気を知るきっかけや、罹患者を支える家族や友人の参考になれば、と思って。