父のことを少し書いたので、母のことも。
昭和23年生まれ。今年で76才になるのかな。
ある程度物心ついた少年のころから、母が少し変だと感じてました。
言い方悪いけど、ねじが1本抜けてるというか……言ってることの意味が通じないことがあるし、物忘れをけっこうするし、仕事だ遊びだと方々動き回っている。
根は真面目で、社交的で嘘はつかない。
中・高のときは、母には本当に何度も腹を立てました。
怒りで玄関の壁を何度も殴って、ボコボコになってた……💦
思春期の男の気持ちが分かるタイプ、人の心のひだに敏感なタイプの人間じゃなかったんです。
30才過ぎにパトナと一緒に住むまでは、親と同居だったのでもちろん母とも一緒に暮らしてた。
将来が憂鬱でしたね、当時から。
お金の使い方が、荒い。ニートやってたカエサルが言えた義理じゃないですけど、母も金銭感覚はおかしかった。
それに、絶対に母は認知症になる、と思ってたから。介護確定だな、と。
そこから15年ほどは、母とあまり交流がなかった。
いろいろと妹に任せていた感がありました。
なんというか、母を再発見したのが、カエサルのバイク事故後のことです。
ああ人間っていつ死ぬかほんと分からないんだな、とバイク事故で大怪我して思い知ったカエサル。事故の療養中、50前のおっさんが母親とちょっと出かけたりするようになったんです。
身体中骨折してたし、仕事復帰まで半年の時間があった。
お寺へ行ったり、ショッピング行ったり、奈良や京都へも行きましたね。フェリーに乗って、M県の鳥羽から愛知県の伊良湖へ渡ったり。
そして気づいた。
認知症になるどころか、この人、けっこうな才能を持っているぞ、と。
昔の思い出がメインですけど、すごい記憶力を持ってるんです。
こと細かに。
琵琶湖のボートレースへカラオケ仲間と行ったときに、1000円の弁当を奢ってもらった、とか。値段まで覚えてるか、普通?
父が忘年会のとき車で迎えにいった帰り道、山の峠のトンネルで父が降りると言い出してすごく困った、とか。
カエサルが大学を休学して東京へ遊学するときアパートの契約するのに東京へ来てもらったんですけど、そのとき一緒に新宿の映画館で映画を見た、とか(カエサルのほうが忘れていた)
カエサルが20代のころ、小説雑誌に応募して二次選考を突破したことがありました。
本名が、1行、雑誌に載りました。
立ち読みで自分の名前を見つけたとき、正直カエサルは震えましたね。賞は取れなかったけど、なんだかこちらとあちらの世界がつながったような感動を覚えて、とても嬉しかった。
きっと母にも喜々としてそんな話をしてしまったんでしょうね。
そのことを母は知っていた、そして覚えていた。
いまでも、玄関の鍵や自転車の鍵をよく無くすんです、母は。
怒りますよ、そのたびに実家へいって、何度もスペアキーを作らないといけないし、自転車の処理をしないといけないから。防犯の観点から、自転車の鍵って簡単には外して貰えないってことを知りました。
手袋などの物を落としたり、スマホを置いてきたりすることも何回もあります。
そんな人なのに、カエサルがとうに忘れてしまったようなことをちゃんと覚えてたりするんです。地味に動揺しますよね。
奈良に行ったとき。
バスに乗ってたら、たくさんの外国人が乗り込んできた。
母は、平気で話しかけるんですよ。
みんなイタリア人だった。もちろん言葉なんて分からないけど、なんか笑いあって、通じてるんです。繊細さんのカエサルなら、そんな行動絶対無理。というか、本当に息子なのか?(笑)
短い文章では、母の事なんて書き切れないですね。
一緒に行動してて、面白いです。
昔なら受け入れられなかったことも……カエサルが衰えてきたので楽しめるようになったのかな。丸くなったのかな。こっちが先に老いていってしまいそう。
不思議な人だ。
1本ねじが飛んでるのもあるけど、特別な才能も持っている。
サヴァン症候群ほどではないけど、抜けている部分は他に才能が回されているのかもしれない。
知り合った人の血液型を全部覚えてるのって、林家ぺー師匠くらいじゃないの?(笑) なんで母は覚えてるの?
80才くらいまでいろいろ連れまわして人生を楽しませてあげられたら、カエサルの義務もある程度果たせるかな、と思ってます。カエサルが30才になる前に死んだ父に、少しは合わせる顔ができる。
それまで、再発見した母といろいろ動いてみて、その行動言動を観察したいと思います。