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マーくんの、車いす旅にっき

いままで訪れたところを紹介しながら、感じたことを気楽に書いていきます。
不定期更新になりますが、よろしくお願いします。

14年前の2月のことです。



以前からオーロラを観たいと思っていたのですが、

車いすでそう簡単に行けるところではないと半ば諦めていたとき、

友人のひとりが、

「もうひとり助っ人がいれば、行けるよ」と言ってくれました。

雪が多少あっても、

男二人でサポートすれば何とかなるということで、

長年の夢が実現しました。


北欧のラップランドやアラスカのフェアバンクスも有名ですが、

オーロラの観測率ではもっとも高いと言われる

カナダ・イエローナイフのツアーに三人で参加。



メインのイエローナイフへ向かう前にトロントを経由して、

ナイアガラの滝まで足を伸ばしました。


ナイアガラ1

世界三大瀑布の一つというだけあって、

大きさといい、水量といい、その迫力はもの凄く、

真下に落ちていく様子を目にするだけで、

引きずり込まれそうな恐怖感さえありました。


圧巻はジャーニービハインド・ザ・フォールズというアトラクション。

エレベーターで降りてトンネル内を進んでいくと、

手が届くほどの近さで流れ落ちる滝を真横から見ることができ、

さらにトンネルの奥へいけば滝の裏側に出られるところがあり、

そこはもう、長くいられないくらいの轟音と大量の水しぶきでした。

ナイアガラ2

間近で感じる大自然の驚異に身を震わせる思いをしましたが、

それに勝るとも劣らない魅力が、

滝近くのスカイロンタワーの展望台から見下ろしたときの眺めで、

あのパノラマは素晴らしかったですし、

七色にライトアップされた夜の滝もなんとも幻想的でした。


次の日、いよいよオーロラの地へ。

トロント空港の搭乗口で待っていたときのことでした。国

内線に乗る車いす連れの日本人が珍しかったのでしょうか、

どこへ行くのかと英語のできる友人がカナダの人に声をかけられ、

オーロラを見にイエローナイフへと答えたら、

「え、オーロラ?そんなの、見に行くのかい……」と

不思議がられてしまいました。

ドゥオーモ広場からガッレリアを通り抜けたその先には、

オペラの殿堂として、パリのオベラ座、

ウィーンの国立歌劇場と並ぶミラノ・スカラ座があります。


1778年に落成し、プッチーニの「蝶々夫人」など数々の

有名なオペラの初演の舞台となり、

クラシック好きなら、ヴェローナの円形闘技場とともに、

一度は本場でオペラを鑑賞してみたい場所です。


この時はチケットが入手できなかったため、

残念ながら中には入れませんでしたが、

歴史を感じさせる外観を目にしただけでも、

なぜか満たされた気分になりましたね。

スカラ座

スカラ座の前にある広場には、

レオナルド・ダ・ヴィンチの像が見下ろすように立ってました。


レオナルド・ダ・ヴィンチといえば、

「モナリザ」と並ぶ代表作が「最後の晩餐」。

ここミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエという

教会の修道院にある食堂の壁画で、

「最後の晩餐」を見に行くことが、今回のもう一つの大きな目的でした。

最後の晩餐

以前は自由に出入りすることができたそうですが、

現在は保存のために完全予約制で、

時間も人数も制限がある中での見学でした。



もっとも損傷が激しい壁画としても知られるだけ

に、向かいの壁に描かれた、

ジョヴァンニ・ドナート・モントルファーノ作の

美しい「キリストの磔刑」に比べると、その傷み具合は著しく、

ぼやけて見えづらくなっているところが散見できたのは否めません。

それでも、「最後の晩餐」からの本物のパワーというか、

エネルギーは圧巻で、

観る者を息苦しくさせるくらいの筆舌に尽くしがたい迫力があり、

旅のクライマックスを飾るのにふさわしい体験でした。


中心地から少し行ったところに、モンテ・ナポレオーネという、

高級ブティックが軒を連なるショッピング・ストリートがありまして、

イタリアの美男美女が闊歩し、

フェラーリやランボルギーニの高級車が止まっている間を、

車いすで歩きました。


ミラノ1

どのお店も庶民の私には敷居が高く、

場違いな気恥ずかしさもありましたが、

少し背伸びして贅沢なウインドショッピングを楽しみました。



また、ミラノのどこを歩いても、建物はもちろん、

街灯ひとつをとってみても、実におしゃれでしたが、

ふっと目をほかに向ければ空きになってたり、

売りに出されているテナントが結構ありましたし、

物乞いする人も見受けられ、

観光客で賑わっているようにはみえても、

実情はどの国も厳しい時代になっていことを実感しました。

光と影ですね。


フィレンシェからヴェネチア、ヴェローナ、ミラノまでの文化、

歴史、芸術、すべてにおいて私の知的好奇心を大いに駆り立ててくれて、

期待以上に楽しむことができた旅となりました。

誘ってくれた仲間に、改めて感謝したいです。

最後の訪問地ミラノ、やっぱり大都会ですね。



フィレンシェやヴェネチア、ヴェローナに比べれば、

圧倒的にビルが多く、人も車も数がぜんぜん違って、

地方の町とはまた異なる魅力にあふれているところだと、まず感じました。


ランドマーク的な建物が立ち並ぶドゥオーモ広場は、

ミラノの中心というだけに多くの観光客で賑わってました。

日本語も耳に入ってきたりして、

フィレンシェやヴェネチアではあまり気づかなかった

日本人がけっこう見受けられました。


3日間の滞在で、毎日通ったのですが、

端っこで売られていた焼き栗の香ばしい匂いに誘われて、

ついつい買ってしまい、寒空のもとで頬張ったときの、

焼き芋のように甘く、ホクホクとした柔らかな食感は

いまも忘れられません。

ドゥオーモ1

広場に面しているのが、ミラノ・ドゥオーモ(大聖堂)。

500年近くの歳月をかけて完成し、

ゴシック建築の傑作ともいわれるドゥオーモは、

見る者に威圧感さえ与える存在感を放ってました。



外壁の修復中の期間だったのか、

残念ながら正面には白幕がかかっていて、

側面からしかその威容を見ることはかないませんでしたが、

それでも壮麗さは伝わってきます。

白幕をスクリーンにした映像と音楽のイベントが毎晩、

数分間行われており、広場を訪れた人たちを楽しませてくれました。


広場に隣接するミラノのもう一つのシンボルが、

東京ディズニーランドのワールドバザールのモデルにもなった、

2つのアーケードからなるガッレリア。

高級ブランドショップやレストラン、カフェ、バーがあり、

中央にツリーが飾られていて、

ガッレリア全体がクリスマスムードに包まれていました。


ガッレリア2

お茶しようと、一軒のカフェに入ってメニューを見たら、

当然、イタリア語。

食事はつねに仲間と一緒でしたから、

多少のイタリア語と英語ができる人に頼っていたのですが、

この時は自由行動で、英語もろくに話せない私たちは

身振り手振りでなんとかしようとしていたら、

店員が日本語が書かれたメニューの裏を見せてくれたのです。

ホッとすると、店員もニコッとしてました。

いかに日本人旅行者が多いか分かりましたね。


イタリア語で分かるのは、グラーツェ(ありがとう)、

ボンジョルノ(こんにちは)、チャオ(いやぁ~)、その程度で、

ほとんどは「あれ、これ」と指をさすだけで

表現するしかなかったのですが、

それでも少しずつ慣れてくると、

ショッピングもそんなに不自由なくできました。

ガッレリア1

食事についても味覚に合っていたのでしょうか、

フィレンシェやヴェネチアでも感じたことですが、

パスタやピザ、リゾットなど、どこのお店に入っても

美味しくいただけたのは、ちょっと驚きでした。

日本の定食屋やうどん屋のように、お店ごとに味が少しずつ違うのに、

それぞれ私の舌を満足させてくれたのです。


ただ一度だけディナーコースを頼んだとき、

その量が半端ではなく前菜とパスタだけでお腹いっぱいになり、

メインのお肉はもちろん、デザートも手をつけられませんでした。
とても美味しかったのに、ああ、もったいなかったなぁ。





一泊だけのヴェネチアを堪能したあと、

ミラノへ向かうため、ホテルのロビーに集合していた時でした。


私と母だけが先に呼ばれ、

消防士のような格好の人に連れ出されてしまったのです。

わけも分からず案内されるままに行くと、

車いすごと乗れるリフト付きの救急ボートが待っていて、

そこに乗せられてしまいました。


後で分かったことですが、

水上タクシーでは乗り降りが不自由なので、

1隻しかないリフト付きのボートをわざわざ手配してくださったものでした。

無事に仲間と落ち合えたのはもちろんなんですけど、

仲間と離された時は心細く不安でいっぱいでしたね。


ミラノまでの移動は日本人ガイド付きの貸し切りバスで、

途中、ほぼ中間地点にあるヴェローナに立ち寄りました。

ヴェローナ1

ヴェローナでの散策は、町の中心のエルベ広場から始まりました。

広場の中央にマドンナの噴水が、

奥には17世紀に建てられたというバロック様式のマッフェィ宮殿があって、

この日は噴水を挟んで出店が並んでいましたね。

ジュリエットの家

次に案内されたのが、

シェークスピアの「ロメオとジュリエット」の舞台になったジュリエットの家。

ジュリエットのモデルとなったカプレーティ家の娘の家で、

映画などで有名なバルコニーや、前庭にはジュリエットの像があって、

ガイドからスリには気をつけるよう言われていただけに、

たくさんの人で一番賑わっていましたね。



世界遺産をもっとも多く有する国、イタリア。

古代ローマ遺跡や中世の街並みが残るヴェローナの旧市街地もまた、

2000年に登録されたひとつだったのです。


ヴェローナ2

なかでもヴェローナのシンボル的存在を見せていたのが、

紀元前1世紀に作られたとされ、

現在は毎年6月から8月にかけてオペラ公演が行われている、

アレーナ・ディ・ヴェローナ(円形闘技場)でした。


バックスタンドでもステージ上の息づかいが聞こえるほど、

音響的にすぐれ、

舞台の巨大さからスペクタクル演出も呼び物とあって、

著名なオペラ歌手の出演が多いヨーロッパ屈指を誇る

人気の音楽祭になっています。


ヴェローナ3

近づいてみると、

すでに来シーズンのプログラムが貼り出されていて、

歌手たちの美声や聴衆の歓声が、

いまにも聞こえてきそうな存在感に圧倒されました。

このように、車いすでは不便なところを旅行するたびに、

いつも脳裏に去来するものがあります。



18歳からの約10年間、

自分の体のため、将来のためにと自らが選んだ、

足と腰の十数回に及ぶ手術とリハビリの辛い日々の記憶です。


身体の成長とともに曲がってきた足腰を伸ばす手術は

想像を絶するほどの痛みで、

一度で10kg近く痩せるくらいでしたし、

その後のリハビリも苦痛の連続でしたから、

今でも、我ながらよく耐えたなぁと思いますね。


ヴェネチア4


家族や友人たちの支えがあったからこそ、

耐えられ、頑張れたことは確かです。



人は誰かの愛や支えがなければ、

頑張れないし、生きられませんからね。

もう一つ、私の心の支えになったのが

将来の強いビジョンでした。



少しでも動ける身体にしたい、いつまでも元気な身体でいたい、

という強い願いがあったからです。

もし手術もリハビリもしなければ、30代には動けなくなるほど、

足腰の関節の拘縮(コウシュク)は進んでいて、

人生も大きく変わっていただろうし、

当然、ヴェネチアに来られたか分かりません。



18歳の決断が、10年間の日々が人生を変えたのです。

そう思ったら、全身が震えてきますし、

本当に決断してよかったと、耐え抜いてきてよかったと、

心底から痛感します。

あの決断を先延ばしにして、どうにならなくなった時にやろうとしても、

無理な話で終わってしまったことでしょう。



物事には“旬”というものがあって、

その時でないとできない絶好のタイミングがあるような気がします。

私の場合、まさに18歳の時でした。

自分の10年後、20年後を大きく変えるチャンスが

目の前にあると意識したら、

何かを犠牲にしても、どんなに苦しいことが待ち受けていようとも、

自分自身に体力があり、両親もまだ元気な今、

このタイミングを逃すわけにはいかないと真剣に考えたのです。


ヴェネチア5


決断から25年あまり、そんなこんな遠い日を思い出しながら、

アドリア海からヴェネチアを眺める私がいました。