こんにちは、大代表の匠美です。
地震びっくりしましたね!思わず机の下に隠れてしまいました。
大きな被害は出ていないようで何よりです。
さて、私の好きな言葉に「唐突」という言葉があります。
手元にある国語辞典によると、
「唐突:突然で違和感を与えるさま。だしぬけで場違いなさま」(旺文社国語辞典第9版より)
とあります。
辞書的な定義だけを見ると、唐突と言う言葉のイメージは
「脈絡がなく良くも悪くもない、意味がわからない」感じをあらわしているようです。
すでにこの定義の中に、
「全ては秩序の中に納まるべき」というような考え方が見え隠れしているような気がします。
でも、世界がそんなに秩序だったものであるべきか、秩序だっているのかなんてわからないと思いません?
小さい頃、私はお風呂に入っているときに、
「この湯船に斜めに一定の角度で洗面器を入れたら、いつでも同じように沈んでいくに違いない」
と本気で思って洗面器を沈めてみたのですが、
予想に反して、深く沈むときもあれば、浅く沈むときもありました。
なんでも決まった一本道で進んでいくとは限らないのです。
しかしながら、洗面器が道を外れていくのを見るのと、
自分から道を外れていくのはわけが違います。
というのも、道を外れていく(秩序から外れていく)ということは、
自分の行為の正当性や価値が保証されていないということですから、
不安ですし、そんなことしても意味ないよと他人に笑われるかもしれません。
洗面器はどんな沈み方をしても傷つきませんが、
人間は他人に笑われたら傷ついたりへこんだりします。
なので、普通の人は他人から笑われないように、みんながやっていることをやって、
やってみたいことがあっても、それがみんながしたことのないことだと
「こんなことしたら笑われるかな」「失敗したら笑われるかな」
という不安から挑戦を断念したり、
「こんなことする必要ないよな」「こんなことしても意味ないよな」
と言い訳を作ってしり込みしてしまいます。
こういう「普通の」人の中で、上昇志向のある人とそうでない人に別れます。
上昇志向のある人は、価値が既に認められている競争の中で一番になろうとします。
簡単に言えば学校の勉強や受験やスポーツ(今は就職活動も入るのかな?)
でいい成績を残そうとするということです。
こういう人のことをいわゆる「いい子」と言います。
上昇志向のない「普通の」人は昔の言葉を使ってパンピーとでも言っておきましょうか。
では、みんなと違うことをすることにしり込みしない人はどういう人かというと、
運がよければ大スターになります。
例えばアブリル・ラヴィーンは本当に小さな子供の頃から路上ライブをやったらしいですし、
この前このブログに書いたヘイリー・ウェステンラも友達と一緒に道端でプチコンサートを開いていたそうです。
さて、このとき彼女らを見る人たちには、彼女らはどのような人としてうつったでしょうか?
「唐突に」路上で歌いだした(可愛い)女の子
こううつったのではないでしょうか?
彼女らは「みんなの前で歌ってみたいな」という思いを形にしました。
それはお母さんがやりなさいと言ったからでも先生に言われたからでもないでしょう。
むしろ先生もお母さんも路上ライブ会場を手配したりなんてしてくれなかったはずです。
つまり、「何かをしてみたい」という気持ちはそもそも唐突なもので、
それを形にした場合、周囲からすれば唐突に感じられるのは当然なのです。
でも、有名な人がどのようにして有名になったかという話はそもそもそんなに語られませんし、
語られたとしてもみんなは「有名な人」というレンズを通してみてしまうので、
「有名な人ってすごいなぁ、私にはそんなことできないなぁ」と勝手に思ってしまいます。
私が「唐突」という言葉が好きな理由がもうお分かりになりましたでしょうか?
私がこの言葉が好きな理由は、私がしたい面白いことを形にしようと思ったとき、
この言葉が私の背中をポンと押してくれるからです。
それに唐突なものは面白いです、それは唐突であればあるほど好きです。
唐突なアイディア、唐突な行動、唐突な発言、唐突な誘い、なんでもござれです。
「普通の」人はあまりに唐突なものに対して失笑や苦笑で反応するかもしれません。
でも私は唐突なものを最大の敬意と好奇心でもって歓迎します。
宇宙は130億年くらい前に「唐突に」、それこそ全くの「無」から誕生しました。
これこそ唐突の極みですよね。
宇宙の存在ですら唐突なのに、人間の行動が唐突でないわけがありません。
世間という慣習の塊の中で、比較的多数の人がしていることが唐突に見えないだけです。
「唐突」という言葉、かっこいいと思いませんか?
(ただ、念のため言っておきますが、唐突なことばかりしていても、
それに価値が認められなければ本当にただの自己満足になってしまいます。
唐突で面白いことをするのと、生活をすることは必ずしも直接結びつくわけではありません。
唐突な面白いものに社会的な価値を与えるには、
普通の人たちがそれを欲しがるような価値を与える方法論が必要です。
世間ではそれをマーケティングと言ったりデザインと言ったり経営学と言ったりします)
さて、次は内務部代表の大内君が「忙しさ」について語ってくれるらしいです。
Ci vediamo presto, arrivederci!
地震びっくりしましたね!思わず机の下に隠れてしまいました。
大きな被害は出ていないようで何よりです。
さて、私の好きな言葉に「唐突」という言葉があります。
手元にある国語辞典によると、
「唐突:突然で違和感を与えるさま。だしぬけで場違いなさま」(旺文社国語辞典第9版より)
とあります。
辞書的な定義だけを見ると、唐突と言う言葉のイメージは
「脈絡がなく良くも悪くもない、意味がわからない」感じをあらわしているようです。
すでにこの定義の中に、
「全ては秩序の中に納まるべき」というような考え方が見え隠れしているような気がします。
でも、世界がそんなに秩序だったものであるべきか、秩序だっているのかなんてわからないと思いません?
小さい頃、私はお風呂に入っているときに、
「この湯船に斜めに一定の角度で洗面器を入れたら、いつでも同じように沈んでいくに違いない」
と本気で思って洗面器を沈めてみたのですが、
予想に反して、深く沈むときもあれば、浅く沈むときもありました。
なんでも決まった一本道で進んでいくとは限らないのです。
しかしながら、洗面器が道を外れていくのを見るのと、
自分から道を外れていくのはわけが違います。
というのも、道を外れていく(秩序から外れていく)ということは、
自分の行為の正当性や価値が保証されていないということですから、
不安ですし、そんなことしても意味ないよと他人に笑われるかもしれません。
洗面器はどんな沈み方をしても傷つきませんが、
人間は他人に笑われたら傷ついたりへこんだりします。
なので、普通の人は他人から笑われないように、みんながやっていることをやって、
やってみたいことがあっても、それがみんながしたことのないことだと
「こんなことしたら笑われるかな」「失敗したら笑われるかな」
という不安から挑戦を断念したり、
「こんなことする必要ないよな」「こんなことしても意味ないよな」
と言い訳を作ってしり込みしてしまいます。
こういう「普通の」人の中で、上昇志向のある人とそうでない人に別れます。
上昇志向のある人は、価値が既に認められている競争の中で一番になろうとします。
簡単に言えば学校の勉強や受験やスポーツ(今は就職活動も入るのかな?)
でいい成績を残そうとするということです。
こういう人のことをいわゆる「いい子」と言います。
上昇志向のない「普通の」人は昔の言葉を使ってパンピーとでも言っておきましょうか。
では、みんなと違うことをすることにしり込みしない人はどういう人かというと、
運がよければ大スターになります。
例えばアブリル・ラヴィーンは本当に小さな子供の頃から路上ライブをやったらしいですし、
この前このブログに書いたヘイリー・ウェステンラも友達と一緒に道端でプチコンサートを開いていたそうです。
さて、このとき彼女らを見る人たちには、彼女らはどのような人としてうつったでしょうか?
「唐突に」路上で歌いだした(可愛い)女の子
こううつったのではないでしょうか?
彼女らは「みんなの前で歌ってみたいな」という思いを形にしました。
それはお母さんがやりなさいと言ったからでも先生に言われたからでもないでしょう。
むしろ先生もお母さんも路上ライブ会場を手配したりなんてしてくれなかったはずです。
つまり、「何かをしてみたい」という気持ちはそもそも唐突なもので、
それを形にした場合、周囲からすれば唐突に感じられるのは当然なのです。
でも、有名な人がどのようにして有名になったかという話はそもそもそんなに語られませんし、
語られたとしてもみんなは「有名な人」というレンズを通してみてしまうので、
「有名な人ってすごいなぁ、私にはそんなことできないなぁ」と勝手に思ってしまいます。
私が「唐突」という言葉が好きな理由がもうお分かりになりましたでしょうか?
私がこの言葉が好きな理由は、私がしたい面白いことを形にしようと思ったとき、
この言葉が私の背中をポンと押してくれるからです。
それに唐突なものは面白いです、それは唐突であればあるほど好きです。
唐突なアイディア、唐突な行動、唐突な発言、唐突な誘い、なんでもござれです。
「普通の」人はあまりに唐突なものに対して失笑や苦笑で反応するかもしれません。
でも私は唐突なものを最大の敬意と好奇心でもって歓迎します。
宇宙は130億年くらい前に「唐突に」、それこそ全くの「無」から誕生しました。
これこそ唐突の極みですよね。
宇宙の存在ですら唐突なのに、人間の行動が唐突でないわけがありません。
世間という慣習の塊の中で、比較的多数の人がしていることが唐突に見えないだけです。
「唐突」という言葉、かっこいいと思いませんか?
(ただ、念のため言っておきますが、唐突なことばかりしていても、
それに価値が認められなければ本当にただの自己満足になってしまいます。
唐突で面白いことをするのと、生活をすることは必ずしも直接結びつくわけではありません。
唐突な面白いものに社会的な価値を与えるには、
普通の人たちがそれを欲しがるような価値を与える方法論が必要です。
世間ではそれをマーケティングと言ったりデザインと言ったり経営学と言ったりします)
さて、次は内務部代表の大内君が「忙しさ」について語ってくれるらしいです。
Ci vediamo presto, arrivederci!