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私の朝の出来事についてゲシュタルト療法の考え方をプロセスモデルを用いて考察してみたい。
「朝、いつものように電車に乗った。電車を降りる時、クレジットカードを機械へとかざす。
いつものようにスムーズに決済できない。
車掌の”もう一度お願いします”という言葉に促され、私は再度決済を試みる。この決済はスムーズに行われ、私は電車を降りる。」
この朝の事例において、次のようにゲシュタルト療法における考察を「GT」、プロセスモデルにおける考察を「PM」と記載する。
GT
私はいつものように7:50頃に自宅を出発し、電車のホームへ向かう。ここでは、私の意識は外部環境(外界)と内的感覚(内側)、そして中間領域と言われる思考を行き来している。
これは、正常に機能している私の意識であり、そこには問題となるような出来事はない。
PM
この意識の循環的流れは、プロセスモデルにおける機能的循環であり、この循環はこれまでの私の体験を暗在的に含意しており、身体プロセスを正常に営む機能である。
GT
私はいつものように電車に乗り、目的地で降りようとした時、機械へかざしたクレジットカードがいつものように決済できなかった。
この時、私の意識は「クレジットカードが決済できなかったこと」に固着する。これは図が地に流れず、私の図として留まり続ける状態である。
私のこの意識は、「クレジットカードが決済できないこと」という未完了な問題が完了するまで私の図として留まり続ける。
すると、私の知覚はそのことに囚われてしまい、他のことへ意識を向けることができなくなる。
私はこの時、同時に「イライラした感情やムッとした表情、息を止めたり、身体が固まったりする」という身体反応が現れる。
また、クレジットカードを機械にかざす行為は、環境との「接触」であり、通常、この接触はスムーズに行われ、環境と健全な交流を持つが、決済ができなかった時、この接触は「接触の妨害」となる。
PM
この正常な機能的循環が「クレジットカードが決済できない」という介在する事象(環境変化)により停止する。この時、最初、「イライラやムッとした表情、呼吸の停止、身体の固まり」といった身体感覚が現れる。これにより、「どうすれば良いのかという思考の意識」(繰り返し反復するビット)が生起し、私の意識がこの問題へ固着するのではなく、新たな行動を獲得することとなる。これをスキーマといい、機能的循環の停止により、新たに開かれた機能的循環が機能し、新たな推進としてのリーフィングによって暗在的に機能しており、生起する準備が整う。
GT
車掌の”もう一度お願いします”という言葉を聞いて、私の「イライラやムッとした表情、呼吸、身体の固まり」は和らぎ、行き詰まっていた固着していた私の意識は、再度機械へとクレジットカードをかざす行為へと図が変化する。そして、私はクレジットカードの角度を変えてかざすことで、この行為が成功したことにより、私の図となっていた「クレジットカードで決済する」という行為は背景として地に流れ、私の「クレジットカードでの未決済」という未完了な問題は完了され、私は、新たな図として、「電車を降りるという行為」が現れた。
また、クレジットカードが決済できなかった時、意識は、本来流動的であるべき「自己と環境の境界」を固く閉じ、「クレジットカードが決済できない」という問題に固着してしまう。この固着が、内的な葛藤や身体の固まりとして現れる。車掌の「もう一度お願いします」という言葉は、この閉じられた境界を再び開くための、環境からの新しい「接触」の試みであり、この言葉を受け入れることで、再び環境と交流を持ち、新しい「図」へと意識を向けることが可能になった。
PM
この車掌の”もう一度お願いします”というこの言葉は、停止していた身体プロセスが開かれた機能的循環により相互作用することで、私の身体プロセスを再開させる機能として働く。このことにより、私の身体プロセスは停止から再開へと変化するとともに、身体感覚が和らぎ、機械を再度知覚し、新たに獲得した「クレジットカードの角度を変えてかざす」という行動が生起する。この新しく開かれた機能的循環により、私の身体プロセスは新たな形の推進として再開する。このことにより、私の身体プロセスへ新たなレジストリ(記録の蓄積)を暗在的に含意することとなる。
GT
この時、私の固まっていた身体感覚も正常な状態へと戻り、この一連の問題が完了したことにより、私の図と地の転換はスムーズな流れとなり、この一連の問題を全体的に反芻することができるようになる。そして、この反芻により、クレジットカード決済について、「クレジットカードの角度を変えることが有効である」という気づきを得ることができる。
PM
この新たなレジストリを含意した私の身体プロセスは、過去の出来事すべてを含み、この「過去を含んだ新たな現在」として、「新たな機能的循環」により、電車を降りることや会社へ出社することといった「新たな未来」へと推進するのである。そして、この「新たな推進」は私の過去や現在、そして未来を変化させるのであり、このことにより、私の過去は既に変化した(already my past changed)のである。これは、私の過去に対する認識が既に変化した(already the recognition for my past changed)ことを意味する。
この2つの考察を総合的考察として、次のようにまとめてみたい。
【ゲシュタルト療法とプロセスモデルの統合的考察】
朝の出来事を例に、両理論を重ね合わせると、次のようなプロセスが見えてくる。
1. 正常な機能的循環と健康な図と地の転換(normal fanctional cycle and healthy figure-ground-shift)
朝、電車に乗るまでの日常的な行動は、ゲシュタルト療法(GT)でいうところの「図と地の流動的な転換」がスムーズに行われている状態である。意識は外界と内側の感覚、思考の間を自由に巡っている。
これをプロセスモデル(PM)の視点で見ると、これは「機能的循環」が円滑に機能している状態であり、この循環は、私の過去の体験から形成された、身体の営みを正常に保つための「暗在的な含意」によって支えられている。これは、意識せずに呼吸をするのと同じように、私たちの身体プロセスが自然に「今、すべきこと」を実行している状態である。
2. 接触の妨害と機能的循環の停止(contact obstraction and stoppage of functional cycle)
クレジットカードが決済できなかった瞬間、GTでは「クレジットカードが決済できない」という未完了な問題が「図」として意識に現れ固着し、他のことを知覚できず、「図と地の流動的な転換」が機能しなくなる。この時、外界との「接触(contact)」が妨害(obstruction )され、身体は「イライラ」「呼吸の停止」「身体の固まり」といった形で反応する。これは、意識と身体の境界(boundary)が硬く閉じられ、流動性が失われた状態である。
この時、PMではこの外部からの予期せぬ出来事(介在する事象:環境変化)によって、これまでの正常な「機能的循環」が停止(stoppage)する。この停止は、単なる停止ではなく、むしろ次のステップへと進むための重要な段階であり、身体に生じる「イライラ」「身体の固まり」といった感覚は思考や感情に先行する、言葉になる前の「感じられた意味(felt sense)」として現れる。この「感じられた意味」が暗在的(implicit)に機能することで、「この状況へ対する新たな身体的プロセス」が推進(carrying forward)する。
3. 新たな接触とリーフィングによる新たな推進(new carrying forward by new contact and leafing)
車掌の「もう一度お願いします」という言葉は、GTにおいて、硬く閉じていた境界を再び開くための「新しい接触」となる。この言葉によって、固着していた意識は解放され、新たな「図」として「再度クレジットカードをかざす行為」が現れる。「角度を変えて試みるという行為」もこの新たな「図と地の流動的転換」が機能し、私の気づきが進展したことで現れる。この試みの成功により、私の未完了だった「クレジットカードが決済できない」という問題は完了し、「電車を降りる」という次の行動へと図が転換する。
PMの観点では、この車掌の言葉は、停止していた身体プロセスに「新たなエネルギー」を与える「外的な介入」として機能する。これにより、身体プロセスは再開し、「感じられた意味」から、「クレジットカードの角度を変えてかざす」という具体的な「スキーマ(新しい行動様式)」が「リーフィング」として生み出される。この新しい行動は、機能的循環における過去の失敗(停止)からもたらされ、開かれた機能的循環が機能することで、現在の状況が統合された、「新たな推進(new advancing)」となる。
4. 過去の変化と新たな未来の創造(the change of past and the creation of new future)
一連のプロセスが完了し、GTでは、図と地の転換がスムーズになり、この出来事を全体的に反芻することができるようになる。この反芻によって、「クレジットカードの角度を変えてかざす」という新たな気づきが得られる。
PMでは、この一連のプロセスを通じて、身体プロセスに「新たなレジストリ(記録)」が暗在的に蓄積される。この「過去の体験」と「新たな体験」が交差することで「過去を含んだ新たな現在」が形成される。この新たな現在を生きることで、身体プロセスは、過去の失敗にとらわれることなく、「電車を降りる」「会社に行く」といった「新たな未来」へとスムーズに推進していくことが可能となる。このプロセスを通じて、単に問題が解決しただけでなく、過去の出来事に対する意味づけや認識そのものが書き換えられたため、「既に私の過去は変化した (already my past changed)」と言えるのである。
この考察は、ゲシュタルト療法が『今、ここで何が起こっているか』という体験の全体性を捉えるのに対し、プロセスモデルは『それがそのようにして起こるのか』という、より深い動的なプロセスに焦点を当てることを示している。両者は、人間が体験をどのように体験し、成長していくかを理解するための、異なる視点からの洞察である。
