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今日からは、現象学の方法論について書いてみたい。
まず、これまで近代哲学における根本問題であった主観/客観問題について書いてきた。
現象学の根本課題は、まず、主観/客観の一致を目指す伝統的認識論は成立しないこと、さらに、論理的には成立し得ないはずの人間の共通認識が実際にはそれなりに成立していることの理由、また、認識の意味を明らかにする点にある。
このような現象学のモチーフをよく了解するために、「還元」や「諸原理の原理」の意味するところに長く時間を割いて説明した。
フッサールは主観/客観の難問をどのように解き明かしたのか。
これまでも書いてきたように、主観は自分の外に出て自分の認識能力の正しさを確かめられないから、主観と客観の一致は確証できない。
これが始めに与えられた難問であった。
この問題は、原理上客観から主観を説明するのではなく、主観から客観を説明する以外にないとフッサールは考え、次のように解いた。
フッサールが考えたのは、主観/客観「一致」の確証はあり得ないのに、なぜ人間は客観の実在を疑えないものとして受け取っているのか、という点にある。
この時、可能な答えはただ一つしかない。
それは、人間は自己のうちに、自己の「外側に」あるものを確信せざる得ない条件を持っているということである。
この条件が「原的な直観」としての知覚直観、本質直観である。
これらはいずれも自己の自由にならない対象として人間に現れ、そのことで、人間に「外部」にある物の存在、実在を確信させる。
後ほど出てくる現象学的還元の考え方は、主観/客観問題のこのような解明にのみ関わるものであって、それから切り離すと単なる独我論と区別できなくなる。
現象学の方法について考えてみたい。
フッサールは、我々が普段持っている「ごく自然な」世界像、世界の見方を、「自然的な態度」と呼ぶ。
自然的な世界像は、その底に主観/客観図式を暗黙裡の信憑(確信)として持っており、その要点を3つ挙げることができる。
1.まず、世界とは、「私が今ここにある」という意識の在り様を中心として、空間的には、「ここ」➡︎「そこ」➡︎「あちら」➡︎「ずっと遠く」という上下左右前後の地平へ伸び広がる。
時間的には、「ずっと前」、「さっき」、「今」、「このあと」、「ずっとさき」という前後2方向の地平に伸び広がる。
また、そういうただ一つの世界として、私に現れている。
そして、この伸び広がりの「向こう」は私にとって原理的に未知であるが、それは確かに存在するものとして続いていると感じられる。
つまり、空間、時間の地平の広がり、その唯一同一性、それが原理的に未知性を含むこと、しかし、未知の部分も確かに存在するものだという確信、これらが「自然的世界像」の第1の特徴である。
2.二つめは、「この世界は私にとって、1つの単なる事象世界として」存在しているのではなく、「価値世界、財貨世界、実践的世界」としても存在する点である。
「自然的世界像では、世界は単なる自然存在(=物理的存在)ではなく、様々な価値やエロスを孕んだ、それ故に実践的な働きかけの対象として存在する。
3.最後に大切なことは、このような、自然存在=価値-エロス存在としての唯一の世界の中に、私は、私と同じ心を持った他者たちとともに存在するという確信を持っている点である。
現象学では、上記3つが「ごく自然な普通の生き方をしている人間」なら誰でも世界に対して持っている、ごく当たり前の確信である。
しかし、主観/客観問題を解くためには、独我論的前提から出発しなければならない。
そのためには、この「自然的態度」を「徹底的に変更」し、そこでの素朴な確信を「遮断」、「括弧入れ」、「エポケー(判断停止)」するという方法を敢えて取る必要がある。
「還元」とは要するに、「自然的世界像」のうちに暗々裡に含まれている素朴な確信を全て「疑ってみる」ことを意味する。
それは、主観/客観図式を取り払うためである。それは、「客観が存在する」ということを前提する限り、自分の認識の正当性の根拠を検証できない。
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