おはようございます。
ギャフブログへようこそ!
今日は せいじ がお伝えします。
新型コロナウィルス感染の勢いは増すばかりです。
熊本でも11/27に1,000人を超えて以来、既に1,630名ほどの感染となりました。
この1月で600名以上が感染したことになります。
今年の年末年始は帰省がなかなか難しいですね。
久しぶりに、”ゲシュタルト療法 その理論と実際”を読み返している。数年ぶりかも知れない。
読み返すとそれまで焦点ではなかった文脈や言葉が私の目に入ってくる。
その一節を紹介する。
“考えることと行為の間には中間の段階がある。
いわば演じてみる段階とでも言うべき段階がある。
このことはセラピーにおいてよく観察すればクライエントが多くのことを演じていることに気づく。
もし、セラピストがクライアントの気づきを喚起することができさえすれば、クライエントは自分の行為やファンタジー、演技している仕草の意味を知ることができる。
そして、ファンタジー、演技、行為の三段階にわたる自分自身の経験を通して、自己理解を醸成することができる。
その時、心理療法は退行現象、エディスプ的葛藤、心的外傷体験など過去を発掘することではなく、心理療法という現象学的場における「今-ここ」の経験となる。
この心理療法における生の経験を通して、クライアントは思考、感情、行為を統合することを学習する。
それと同時に、それは日常生活へと般化される。
言うまでもなく、神経症の患者は、自己を統合された存在として感じられないことがわかっている。
しかし、たとえそんな自分であっても、一人の人間には変わりなく、弱いところや欠けたところを含めてまるまる一個の人間なのだという自己肯定が見られ出すと、統合された存在として本来の感覚を取り戻すことができる。(P29)”
この一節はこれまで私は読み飛ばしていた。今読むととても重要な一節であることがよくわかる。
そして、この一節はゲシュタルト療法にとって重要なことをいい含んでいるばかりではなく、心理療法とは何なのか、セラピストとは何者なのかという基本姿勢をもいい含んでいる。
これは、”セラピストがクライアントの気づきを喚起することができさえすればクライエントはその意味を知り、自己理解を醸成することができ”、
また、”過去を発掘するのではなく、今-ここにおける生の経験を通して、思考、感情、行為は統合され、日常生活へと般化され”
そして、”自己を統合された存在として感じられなくとも弱いところや欠けたところ含めて一人の人間として理解することが統合された本来の感覚を取り戻す”
ということである。
いつも言うように、ゲシュタルト療法はただ単なる、”今ここにおける気づきの療法”である。
それ以上でもそれ以下でもない。
クライエントが今ここで気づきさえすれば、クライエントは自ずとその意味を知り、自己理解を醸成するのだ。その触媒としてのセラピストがそこに存在するだけである。
そして、統合とは全てが統合されていなければならないと言うことではない。
統合するとは存在する様々な私を理解し、その存在を受け入れる行為である。
このことによって、クライエントは安心安全な場所で演技している自らをさらけ出し、演技している自分にも気づくことができるのだ。
セラピストがクライアントの問題を解決するのだと今でも理解しているゲシュタルト療法家がいるならば、それは寂しいことであろう...
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