おはようございます。
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火曜日は せいじ がお伝えします。
今沖縄です。まだまだ暑いですね...
先週末の自主勉強会で私の感じたゲシュタルト療法ファシリテーターに必要なことを改めて書いてみたい。
やはり1番重要なことはクライエントの流れを止めないことだ。
それはクライエントが感じている感覚の流れにファシリテーターがしっかりとついて行くことが重要である。
クライエントの世界を共に歩むということができるなら、クライエントの行き先を邪魔するようなことはしないだろう。
私たちファシリテーターはややもするとクライエントの世界を共に歩むことができなくなる。
なぜなら、1つには、ファシリテーター側の感覚がそれを邪魔するからだ。それはクライエントの感覚を感じることを拒否するファシリテーター側の問題が浮上してくることによる。
2つ目には、ファシリテーターが歪曲した感覚を持つ場合がある。
クライエントの世界を共に歩むということは、ファシリテーター側の感覚を持って共に歩むということである。
しかし、ファシリテーター側の歪曲した感覚ではクライエントの感覚に近づくことはできない。
それは単なるファシリテーター側の勝手な感覚でしかないからだ。
ファシリテーター側の感覚はクリアでなければならない。クリアとは感覚が開かれていることを意味する。
開かれているとはクライエントを含むその場全体に対して開かれていることであり、その場の一部としてそこに存在する。
どんなクライエントの価値観をも受け止めるだけのファシリテーター側の価値観を持たなければならない。
価値観を横に置くなどと言う絶対に無理なことはするべきではない。もし、そんな芸当ができるなら既にファシリテーターは1人の人間としてクライエントの前に存在することは不可能だ。
人間とは価値観を持ってこそ、人間である。
そんな共に歩むことができるなら、クライエントは安心してその場で自己をさらけ出すことができるだろう。
クライエントにはファシリテーターがそこに存在することこそが本当に必要なことであり、ファシリテーターはまさに先導者である必要がある。
クライエントが向かっている感覚に時間と場所というスペースを十分に提供するなら、地から図へと何かが必ず浮かび上がる。
その浮かび上がったものを大切にし、それに時間と場所というスペースを提供する。
クライエントの身体は進む方向を既に知っている。だからまだ浮かび上がっていないものが浮かび上がるのを助けるだけで次の一歩は動き出す。
ファシリテーターとはそんな役割なのだ。
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