おはようございます。
ギャフネットブログへようこそ!
火曜日は せいじ がお伝えします。
昨夜は飲み過ぎました...
先週末の福岡は私に新たな気づきを与えてくれました。
何かゲシュタルト療法のファシリテーターをやればやるだけ多くの気づきを与えてくれます。
それは普段の私が顔を出す場面でしょうか。
私がクライエントの今ここの感覚の中にしっかりと存在する時、私は私ではなく、クライエントの中の私へと向かいます。
逆に私が私の思考の中にいる時、私はただの私であり、私の中へと埋没していきます。
これが顕著にわかるからゲシュタルト療法のファシリテーターとは生半可な感覚では出来ないとつくづく思います。
何か私が安易な方向へと私を導く時、私がクライエントを迷路へと導きます。それは私の迷路でもあります。
そこには図となる解は存在しません。まだ地に埋もれているだけです。
今ここの感覚が最も重要であることはわかりきっているのに罠にはまる場面があります。
この感覚はその時も感じているのに、過去のことに囚われて続け、過去が現在へと続く架け橋であると信じ続けます。
もし過去が完了しているとするなら、そこにアプローチすることはあまり意味を見出しません。
そこには過去としての過去しかありません。だから、現在としての現在へとしっかりとアプローチする必要があるのに過去へと囚われます。
今ここから過去へと続く架け橋を遡るなら、徐々に繋がりのある出来事に出会うのでしょうが。
ファシリテーターでござる的な感覚はやはり戒めなければなりません。
一人の人間としてのクライエントの前に存在する時にしか、そこにリレーショナルなゲシュタルトは存在しないのだと改めて教えをもらいました。
何年やっていても毎回気づくファシリテーターとしての態度。
一つとして同じパターンは存在しない...だから毎回が真剣勝負。
それがゲシュタルト療法の良さなのだと。
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