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今日、土曜日はくにこが担当します!
父を見舞っての帰り際、毎回かけることばがあります。
その中に、「元気でいてね」への反応は心なしか大きく力強いうなずきのように見えます。
一呼吸おいて、「また、来るね」というと、しっかり短めにうなずきます。
ことばとうなずきのやりとりの瞬間は、衰弱していく父の存在を感じながらも、唯一、元気だったころのことをわずかに思い起こさせてくれる反応です。
ただ、「元気でいてね」を言うには、少々、抵抗を感じ躊躇する気持ちがあります。
それでも、今、かけることばとして、思わず出てくる言葉でもあります。
すると、これまで、「死」について向き合い父と話しをしてこなかったこと、それでいいと思える気持ちがゆらゆらとあります。
これまでは暗黙のうちに、限りある命であり、致し方ないこととしながらも様々な思いが渦巻く中、幾多の死を見送ってきました。
一緒に住んでいた期間は短くても、終生にわたる親子の関係は深く密度の濃い関係。
生涯にただ一度ある親との別れは別格です。
死期迫る父のバイタルサインは至って良好とは言い難いものです。
それは、透析中の血圧低下、完全栄養食を摂取し始めたころの血色のいい、つやつやした顔色と違って土色に近いものがあるからです。
顔は左上斜めから正面の動きに限定され、観たくても見られなかった外の景色を堪能できる陽あたりのよい部屋からの眺めが、ことさら生と死の境のように思えて、見舞う度に覚悟めいた面持ちになります。
エスカレーターの中の鏡に映る私の顔は、かつてないほど緊張しています。
ふと思い出されます。
父が望んだ第一子は男の子。
その叶わぬ思いは、母が一手に引き受けざるを得なかった、凄まじい出来事の数々。
望まれて生まれた長男ではなく、長女として、今なら、おやじと言ってみたい気がする。
そんな心意気を逞しくも優しい触れ合いから育てくれた父に、私からは「とうちゃんありがとう」と。
お別れに向き合う時間が与えられています。
今しばらく、揺れながら居続けましょう。
静に心置きなく父と向き合う時間を感じながら...




