北上川の河口にある学校でした。
諸学校の裏が山になっているのでここに避難することができたのですが、もともとの避難場所がこの小学校であったこと、第2避難場所が少し離れた平地であったことが被害を大きくしました。
ここまで津波が押し寄せてこないだろうと想定だったからです。
現実は小学校の周りには1つの街が形成されたいのがすべて壊滅しています。
それほどに大きな津波が東からと北上川の津波が北上してきたから海水がこの地域を襲ったわけです。
校舎と体育館を結ぶ通路が倒壊しています。
それだけの強い津波が押し寄せてきたということです。
保護者の迎えがなかった78名中74名の児童が、11名中10名の教職員が犠牲になった。
ここまで津波が来ないだろうという想定、避難訓練が十分でなかったこと、津波に対する認識の甘さと判断される。
多くの場所ではとにかく高台に逃げていて難を逃れている。
いろいろなことが重なり、誠に残念なことであります。
訪れたところではここが一番心に刺さりました。