【GACKTの軌跡】
2012年4月22日
J-WAVE 「ROCKETMAN SHOW」出演
GACKT3回目の出演
お決まりのご挨拶から
「1・2・3・4、JONです、TAKUMIです、GACKTどぇ〜す、YELLOW FRIED CHICKENzで〜す」
ふ「完全にキャパオーバーですね、どういうことですか、まずGACKTさん3回目の来店っていう段階で結構キャパオーバー気味なんですけど」
G「今日は友達を、というか仲間を連れて来て」
ふ「仲間連れて来るくらいこのお店愛してくれてるんですか」
ふ「結構打席数多いですね」
G「今回はね」
ふ「ありがとうございます」
G「もう気持ちも昂ぶってるわけだし」
ふ「昂ぶってるんですね、じゃあちょっとお話伺う前にこちら座って頂いてお飲み物だけちょっと」
G「Jack Daniel's のアルコール抜きで」
ふ「アルコール抜き、難易度高いなあ、抜き方分からないなあ、そちらの方は」
T「僕はね、普通にお茶で」
ふ「だいぶ高低差ありますね、こちらの方は日本の方では?」
G「一応ね壁はあるんだけど日本の心は持ってる」
ふ「心は持ってる、じゃあ飲み物は?」
J「抹茶で」
ふ「持ってる、本当だ」
T「かぶってる」
J「お茶と抹茶、ちょっと違う」
ふ「じゃあちょっとこれ飲みながらで良いんですけども、今日はこの仲間っていうのは何ですか、遊び仲間ですか」
G「本気の遊び仲間、バンド組んじゃってツイン ヴォーカル・トリプル ギター、7人構成の大所帯バンド」
ふ「いつ始まったんですか?」
G「知らな〜い」
ふ「3回目ですよ、急にやる気無くなる感じですか」
T「僕はギターのTAKUMIです」
G「Mr.コシヒカリ」
ふ「コシヒカリ、意外なワード出てきましたね」
G「七光り?」
ふ「七光り、あれ?Jack Daniel's アルコール抜いてなかったかなあ、抜き忘れたかなあ」
ふ「Mr.七光りさんは」
T「親父もミュージシャンなんですね」
ふ「ギターリストなんですか」
T「僕はギターなんですけど、親父はベーシストなんですね」
ふ「ああ、なるほど」
J「HOUND DOG の 」
G「HOUND DOG の息子って言うと、どの息子か全然分からない」
ふ「何となくそういう感じで」
T「そういう感じになってるんですね」
ふ「で?」
J「ツイン ヴォーカルのJONです」
ふ「今ヴォーカルと言わなくてもきっとそうかなあと思ったんですけど、あまりにも声が、ね」
J「そうですか?」
ふ「これ聞いてる人はビジュアル抜きで聞いてるんで、なぜ僕がこんな固くなってるか分かんないと思うんですけど、
これどうやって出会ったんですか」
【出逢いの話】
G「僕とJONは英詞を作る作業、ソロの頃から知っていてこのYFCってバンドを作った時元々5人編成でソロ活動の延長線上で作ってたバンドだったんだけど、これをもっと本気のバンドにしようって思い始めて、それからツイン ヴォーカル・トリプル ギターの構想が浮かんで『誰をヴォーカルにしようかな』と思った時にJONがパッと浮かんで、
JONに『ちょっと一緒に隣立たない』って」
J「その夜覚えてる、『隣立たない?』って言うか『世界取る興味はない』ってメールが来て『一緒にバンドやらない
』って」
ふ「恐ろしいメールですね、どうだったんですか心境としては」
J「それはNO言うわけないでしょ」
ふ「断るわけにはいかない」
J「って言うか、やりたいからさ、そんなメールが来て嬉しいじゃない」
G「競い合ってバンド1番2番決めたいわけじゃなくて、オリジナルのオンリーワンのバンド作りたいなって、ROCKでツイン ヴォーカルって今の世の中無いじゃん、
ツイン ヴォーカルって難しいしアプローチも、これが上手くいけばオンリーワンのバンド作れるなあっていうのがあって、僕の頭の中にはもう描けてたから、あとは良いヴォーカルが居るかどうかの問題で、JONだったら出来るんじゃないかなって、
軽いメールを送ったら」
ふ「結構な事態に巻き込まれましたよJONさん、後悔してないですか大丈夫ですか」
J「全然OK」
ふ「でもはたから見てたらGACKTさんソロプロジェクトで充分というか、その新たなものを見せなくても色んなことにチャレンジされて海外にも行って充分じゃないかと思ってしまうんですけども」
G「やっぱり漢ってさ、常に何かこうチャレンジしていく姿勢がないと駄目でしょ」
ふ「出ましたね」
J「マスターどう思いますか」
ふ「急に司会者になりましたね、上手い」
ふ「僕みたいな人間が言っても誰にも響かないんですが、言う人が言うとやっぱ撃ち抜かれますね、TAKUMIさん聞いてました?」
T「聞いてますよ、YFCのコンセプトが「漢」と書いてオトコ、良い漢を作るぞっていうコンセプトがあるんですけど」
【YYFCの「漢」とは】
ふ「今出て来てる「漢」っていうのはどういうものをイメージされてるんですか」
G「これ誰から言った方が良い?僕から言った方が良い?僕から言ったら終わっちゃうけどね」
ふ「ちょっと確認も含めてJONさんから、すれ違いがあれば言って頂いて」
G「多分もう僕途中で寝ちゃうと思う」
J「一応、噂によると俺の話は長いらしい」
ふ「じゃあ極力コンパクトにJONさんの思う「漢」とは」
J「男も女の子も憧れる漢」
ふ「女の子だけにワーワー言われてるのは意外と持久力ないところがありますからね
TAKUMIさんは?」
T「やっぱりね愛するべきものを守れる人が漢かな」
ふ「GACKTさん」
G「心意気だと思うんだよね、今の時代に一番足りなくなっているのは、その心意気で何もかも動かせる、自分自身も動いて行ける、心意気があったらどんな痛みも笑って通り越せる、それが漢なんじゃないかなって」
ふ「はあ〜、いやもうこのまま番組エンディング迎えたい感じですね」
G「よし、じゃあみんな終わるぞ」
J「お疲れ様でした〜」
【YFCを始めた理由、誰かの背中を押すことの意味】
ふ「もうちょい欲しいんですけども、僕も1つGACKTさんに質問したいことあるんですね、ちょっと面倒臭い質問かもしれないんですけど」
G「じゃあやめようかな」
ふ「じゃあ割とコンパクトに、3月11日の地震によって生まれた犠牲、人数とか数で表せないところもありますけど何万人と行方不明者がいるじゃないですか、先日追悼式とかあって日本中がそこに目を向けるじゃないですか、
だけど僕は1年に3万人の人が自ら命を絶ってるっていうことが何年も続いてる、だけどそこにはみんな気付いてるようでどこかで目を背けてるような気がして、
凄い我が儘なことを言えば1日で起きたことじゃなくても年間を通してでも3万人の人が命をなくしているのであれば、そこも追悼という言葉がいいのかどうかわからないですけれど、同じくらい目を向けるべきじゃないかなって」
G「だとしたら追悼っていう形ではなくてどうやったらその人達の心を救えるのか、もしくはその人たちの周りを更に前を向いて歩かせることが出来るのかっていうことを考えさせる何かが必要なんじゃないかなって思うかな、
僕いつも思うんだけど、例えば自分の周りで亡くなった人達が過去にもたくさんいて、
2年前かな、ある少年がずっと僕のファンで、今日もしくは翌日白血病で持たないかもしれない、だから来て欲しいって言われて、来たら奇跡が起こるかもしれないって、
でも奇跡ってそんな簡単に起きないんだよね実際は、けど自分が行くことで何か生まれるんじゃないかなって全部仕事とばして足を運んで病院に行ったら、その少年は寝たきりで管に繋がれてる状態でお母さんが『GACKTさん来てくれたよ』って言って、
『お前何やってんだ』って話をして
『直せるか?』
『直す』って
『やってけるか?』
『やってく』
『そうか、じゃあ次のLIVE必ず来い』って、
その後2時間3時間くらいは彼の容態は急に良くなって、家族も奇跡が起きたって喜んでたんだけど、でもその後8時間後か9時間後くらいに昏睡状態に入って、夜中の12時くらいに亡くなったって聞いて、凄い自分にとって力不足っていうか人1人も救えないのかっていう気持ちに、考えるわけ、それこそおこがましい話だなって思うんだよね、
僕がそんなレベルで人を救うって思ってることさえおこがましいって、
でも、それでも少しでもだれかの背中を押していくっていう行為を止めてしまったら、もっともっと駄目になると思うわけこの世の中って、
全員を救うことは出来ないかもしれないけど、1人でも、1人でも多くの背中を押せるんであれば僕は音楽活動を止めないし、自分がやってることに意味があると思ってやってるし、それの繰り返しなんじゃないかなって、
別にこれって音楽に限ったことじゃないんだと思うんだよ、そばにいる人達が誰かの背中を押そうっていう気持ちが、また弱ってる人達や立ち止まってしまった人達の背中を押せるような気がするわけ、そういうことなんじゃないのかなって、
だから弱っている人達だけに目を向けることが僕はあまり良いとは思ってなくて、その周りにいる人達の背中を押すことで、その人達が自分が押さなきゃいけないんだっていうことに気付かせること、そのものが僕は大切なんじゃないのかなって、
それが今ソロになって13年目だけど、YFCをやり始めた理由でもあるし」
ふ「そばにいる人とちゃんと関わり合って大切にして生きて行くっていうところがやがて3万人の心に届くという」
G「僕はそう思う、
人ってそうやって生きてるから、1人じゃ生けていけないし、誰かと必ずコネクトしてるわけで、影響を受け合うじゃないお互い、悪い影響も受け合うんだよね、特に悪いものって引っ張り合うから、いかに1人の強いエネルギーを持った人間がその悪いエネルギーをプラスに変えて行くことが出来るか、ってことだと思うんだよね」
【「笑顔」を届ける大切さ】
ふ「GACKTさん結構最近でも東北の方に行かれてるじゃないですか、日本の中には何かしたいけど結局何も出来なかった、募金こそしたけどどうしてみんなみたいに行ったり出来ないんだろうって、もどかしい気持ちでいる人っていると思うんですよね、
誰もが大金を寄付出来るわけでも無いし、毎日瓦礫の処理とか出来るわけでも無い、結局今までと変わらない生活歩んでるっていう人も結構いると思うんですけど、そういうもどかしさって気持ち的にどう処理したら良いんですかね」
G「まずは俺ってそんなに捨てたもんじゃないなって思う瞬間からだと思うんだよね、例えば動きたい、でも動けないっていうその自分に嫌悪感を感じたり、何で動けないんだろうって、何でやれないんだろう思ってるばっかりで考えてるばっかりで、そのうちそういうことにさえ耳を塞いでしまう、
そのやってる自分に対してさえうんざりする悪循環だと思うんだけど、
ちょっとしたことで良いと思うんだよね、例えばお前の笑顔が必ず誰かに届くし、だから笑え、
その笑顔で必ず誰かが幸せになる、この世界に必要のない笑顔なんてない、その笑顔は必ず誰かに届く、だから笑ってろ、
まずそっから始めろ」
ふ「GACKTさん、僕って割と笑うのが苦手なタイプなんですね、無理して笑う方が良いですか」
G「僕もね元々笑うの凄い苦手で、よく言われたのは『楽しくないの』って言われたわけ、楽しんでんだけどそれは顔に出せなくて『いや別に楽しいよ、面白いよ』と言ってんだけど、それは顔に出てないわけ、
それを亡くなった緒形拳さんにちょうど上杉謙信、大河ドラマやった時に言われたことがあって、
『笑え』
何で笑えっていうのかって言うとね、
人はどんだけ心の中に楽しいとか面白いとか思っててもそれは笑ってることにならない、
笑うっていうのは自分が笑ってるっていうことを人に届けて初めて笑うっていう行為が完結する、だから笑え
その行為の意味最初全然分かんなくて、とにかく練習したわけ、どうやったら笑えるのか分かんないから、顔を鏡で見て、『どうやったら笑ってるように見えるんだろう』と思って、最初は筋肉を動かしながら『こういう感じかのかな』って、
最初はなんかひきつったりしながらもやってるわけ、けどそのうちにLIVEでね気付いたことがあって、
ちょうど僕がRЯII っていうLIVEをやってる時に、ファンの子に対して笑顔でいようって意識してステージに立ってる時に、その顔を見て笑ってるファンの子達を見た時に、これが1番大切なことなんだなって、
要は笑顔って伝染するものでしょ、自分が苦手かどうかなんて関係なくて、自分が笑うことによってその笑顔が人に届くことっていうのは本当にただあって、
それを繰り返していくうちに今まで僕は凄い笑うのが苦手だったんだけど、気が付いたら自分が楽しいと思うことや面白いって思う時には、その笑うって気持ちを人に届けることが出来るようになってて、気が付いたらよく笑うようになってて、
JONに良く言われんだけど僕『いつも笑ってんね』って言われるわけ、でも多分ね、昔の僕のイメージってファンもそうだし一般の人達も多分笑ってないってイメージの方が強かったと思うんだよね、凄い苦手だった、全然笑えなかった昔は、
でもさ、拳さんに
『人から可愛いって思われることは本当に意味のあることだからまずは笑って可愛いって思われる、男からも女からも可愛いって思われる男になれ』って」
ふ「はあ、笑う門には福来たるとは言いますけども、やっぱりそれは真実なんですかね」
G「僕はそう思う、本当にそう思うし、
しかも彼が最後に残してくれた言葉だったから、とにかく練習してどんな時でも笑ってよう、そう思うようになって、いつの間にか自分がそうやって笑顔を届けることが出来るようになってきた時に、『こういうことだったのかな』って『何でもっと早く気が付かなかったんだろう』って、
そう思うようになって、でそのYFCのツアーの時にJONに
『Gっていつも笑ってるよね』って言われた時に
『あぁ、笑ってんだ』って、
自分のことをそんな風に客観的に見ないでしょ、だから
『そうか笑ってんのか』って、
そんな時ふと拳さんが現れて『うん、悪くない』って言ってくれてる気がして」
ふ「僕なんかずーっと怖い人がこっち見てんなと思ったらガラスに映る自分の顔って良くありますからね、こんな怖い顔してんだと思って、眉間にしわ寄せてしまうタイプなんで」
ふ「今の話聞くと普段笑顔でいようと心掛けることがもうこの国全体の前進につながりますよね」
G「だと思う、まずはそこからじゃないかな」
ふ「そうですよね」
G「難しいことを何か1つ大きなことをやろうって凄い大変だけど、でも例えばこの笑顔の話をするとさ、『そんなちっぽけな』ってみんな思うかもしれないけど、
全然知らない人に対して笑顔で「おはようございます」って言うのって結構勇気のいることだったりするじゃない」
ふ「要りますね」
G「すれ違う人にニコって笑って会釈することってなかなか出来ないことだったりするじゃない、でもこれの繰り返しだと思うんだよ」
ふ「そうですよね、本当不思議ですよね、何でニコッとされてこんなに気持ちが潤うんだろうっていう、別に何を貰ったわけでもないのに」
G「そうなんだよね」
ふ「どうしてこう笑顔を見ただけでこっちの心が満たされるんだろうっていう、
まあそれが分からないから良いんでしょうけど」
G「だからなんかねえ、その笑顔の為にLIVEも命かけてやってるようなところあるかな、
最初LIVEオープニング始まったら凄いぶつかりあいが始まるから最初は笑顔なんてないわけ、みんなを本気にさせるとこから始まるから、けどグワーってボルテージが上がってふらふらな僕をJONが支えてくれて、それで最後にアンコール終わって全部の曲が終わった時に『ふう〜終わった』って思った瞬間にフって笑ってる自分がいて、横見たら笑ってるJONがいてTAKUMIがいて、他のメンバーが笑ってて、パッて客席を見るとみんな笑ってんだよね、
この為にやってんだなって」
T「やっぱり最初にこのYFCに参加してLIVEやってる時って、やっぱ自分の中でROCKバンドは笑ってちゃいけないみたいな、変なイメージがあって、それで例えば叫ぶ仕草だったり、だけどそれも最初のLIVEとかではそんなに腹の底から叫んでなくて、だけどどんどん表現を教えてもらうことによって、本当に叫んで本気で笑って、そうするとやっぱり反応がもう全然違うから、伝わり方が、
あぁやっぱりこうやって本気で笑って本気で叫んで、それで本気でこっちもトレーニングして精神も肉体も鍛えて」
ふ「お客さんて分かってないようでやっぱり全部分かっちゃうんですよね」
T「やっぱり伝わってんなあっていう」
ふ「そうですね、JONさんどうしますか?」
ふ「JONさんも良い笑顔ですね、でも笑顔は本当国境ないですもんね」
J「無いっすね、だからそれがやっぱヨーロッパ行った時も日本でツアーやった時も全然関係無く、俺たちが伝えたいものがあって、そういう気持ちでYFCのものを伝えようとしてて、向こうも本気で笑顔だったりバイブスを返してくれるから、やっぱりクサいかもしれないけど国境は無いと思う、ユニバーサルなもんだと思う」
ふ「なんてこんなにもシンプルでこんなにも身近なものなのに、結局やっぱりそこなんですね、あまりにも身近過ぎてちょっと適当に見てしまいがちですけど、やっぱりそこをちゃんとするところから始まるるんですかね」
G「例えば、親が子供に朝学校に送り出す時に、とにかくまず絶対に朝起きた時に笑顔、送り出す時に笑顔、これ親の務めだと思う、
これって簡単に出来そうでやってない人多いと思う、
これはね義務だと思うんだよ親の、やらなきゃいけないこと、けど忘れてる人いっぱいいると思う、忙しいからとかバタバタしてるからとか、朝行く時に『行ってらっしゃい』っていう声だけ出してしまう人とか、
それじゃ駄目なんだよ、
別に明日出来るからっていう問題じゃなくて、それは必ずやらなきゃいけない通過して行く時間の中で必要な行為なんだよね、それの積み重ねだと思う」
ふ「そうですね、いやあ、笑顔がいかに大事かっていうのは、もう今37歳ですよ、このタイミングで痛感するっていうのはやっぱりそれはそれで良いと思うんですけど」
G「笑える動物って人間だけでしょ」
ふ「そうですよね」
G「だからこそ人間に与えられた財産だと思う」
す「なんか出ましたね今日いくつも、色んなの出ましたね」
J「いつもいつも」
ふ「聞いてました今?大丈夫ですか確認しても、大丈夫ですか今、最後に出た」
J「はい、逆にマスターに聞きたい」
ふ「いや、JONさん今GACKTさんが最後に言った笑顔は」
G「ってか、2人とも聞いてないでしょ」
ふ「僕は聞いてますよ」
J「人間は笑う動物」
ふ「思い出し合い」
J「それは、えっと〜財産」
ふ「英語でいうと何ですか?」
J「えっと、Blessing for Gift」
ふ「急にシアトルが顔を出しましたね」
最後にこれも恒例だった締め言葉
「1・2・3・4、YELLOW FRIED CHICKENzでしたあ〜」
かかった曲
「恋愛DRIVER~Fooさんの歌~」
【20120422 ROCKETMAN SHOW GACKT-YELLOW FRIED CHICKENz】
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