こんにちは、りこみです。

 

4月あたまの1人さんぽの記録です。

三十三間堂に行った日。

私の中でキャパオーバーにならないように

有名どころな寺社は1日に1つにしようと

できるだけ決めており…。

 

歴史にあまりにも疎すぎる私なので

行く寺社を決めたら事前学習をする。

ガイドブックに

大きく載っているような寺社は

かなり真剣に見ることになるし

1ヶ所でかなりお腹いっぱいな気分になります。

 

 

そんなわけで三十三間堂を拝観した日は

ガイドブックでも

小さくしか載っていない寺社へ。

おまけといってはあまりにも失礼ですが…。

 

【新日吉神宮】(いまひえ神宮)

後白河天皇が創建したそう。

この後も、このお方の名前をあちこちで

見聞きすることになりました。

こうやって私の中で

歴史の点と点がつながって

いつか線となるといいなぁ。

 

 

ここは猿が神の使者だそうで

狛犬がわりに狛さるなのが興味深い。

全ての源という、口を開けている阿形と

全ての終焉という、口を閉じている吽形。

 

動物園のように金網に入っているのが

不思議でもありますが

神の使いが盗まれないようになどの

意味があるらしい。

 

 

訪れる人はまばらな

とても静かな寺社でした。

ここの背景を知ると秀吉との関わりが

ドラマチックでもあり。

 

京都には無数に寺社がありますが

観光客が集中するところと

誰も訪れないところと両極端なんですね。

 

この誰もいない京都の寺社の空気は

結構好き。

 

 

神の使いである

真猿(まさる)って人名みたいで

興味があり見てみたかったけど

こんなに小さいとは!!(右)

やや拍子抜けしましたが子猿のようで

だんだん可愛く思えてきました。

 

真猿→魔が去る→勝る…

そんな語呂合わせもあるようです。

 

 

本殿の欄間にも猿の彫刻があるらしい。

正面からは見えず脇にまわると

ご丁寧にも双眼鏡が用意されていました。

 

カメラのズームで捉えてみました。

これ、かな…?

何か手にしてかじっているようにも見えます。

でも猿には見えないな。

 

…と後から調べたらこれではないらしい滝汗

となるとこれは何だったのか。

 

細部に隠されたこんな秘密を

探し出すのがちょっと楽しみの一つ。

今回は探せなかったけど…。

 

 

さてもう一か所。

【方広寺】です。

 

ここの鐘が有名らしく見にきました。

 

 

秀吉が建立を始めたそうですが

アクシデントが続き、息子の秀頼により

ようやく完成。

 

が、この鐘の銘文が家康を激怒させ

大阪冬の陣の契機の一つとなり

豊臣家が滅びるきっかけになった

というのがざっくりとした背景らしい。


 

これですね!

問題となった文字は…。

 

家康さん、そんなに目くじらたてなくても…

言いがかり?!とも感じますが

よく知らない現代人が

軽々しく言えないですね。

こんな細部をつつかれて

戦いに発展してしまうような緊張感

ありすぎる時代だったんだなぁ。

 

 

上を見上げると鐘楼内の天井が鮮やか。

伏見城から移築したものだそう。

 

京都の拝観料は

全体的に高いなぁと感じますが

こんな風に無料で拝観できるところも

少なくないようでありがたい。

 

 

 

(隣接する豊国神社。秀吉が祀られる)

 

歴史が動き出すきっかけになった場所に

少し触れることができました。

 

さぁさぁ私ももっと歴史を学ばねば。

関西に住む予定である4~5年の間に

人並(欲をいえば人並以上…。欲張り過ぎか)

日本史の知識を身につけるのが目標です!