この問題は、簡単なようで深刻な問題であると思う。そういえば最近では、「シルバーシート」と言わず「優先席」
と言ってるのだろうか。バス内でも、席にある表示やスピーカーではやはり優先席らしい。まあ確かにシルバー(老人)優先ではなく、優先席(弱者優先)の方がふさわしいと思う。


 しかし、老人ならまだしも、妊婦や障害者などを見極めるのは、あからさまでない限り難しい。そのため、優先席に座っている時にそれっぽい人を見つけ、果たして声をかけるべきか悩んでしまう。もしも違った時、失礼なことこの上ないからだ。また老人にしても同じである。お礼を言いながらやんわりと断る老人もいれば、本気で怒って断る老人もいる。「何故自分が誠意を見せたのに、怒られてしまうのだ。」「これなら声をかけないで座ってた方がましだ。」という
考えに至るのは至極当たり前なことであろう。 


私も高校生の時はそのように考えていた。しかし、そんな高3のある日、バスの中で同じ高校の後輩の女子生徒が老人に席を譲っているのを見た。「あ、ここどうぞー。」老人に言った。するとその老人は、「あぁ、大丈夫ですよ。」とやんわりと断った。皆が(あぁ、この娘かわいそうだなあ。)と言う視線で見ている気がした。しかしその娘はひるむことなく、「いや私もうすぐなんでどうぞどうぞ。」と少し強引に席を譲りきった。なにか清々しいものがあった。その娘は決してすぐ降りる訳ではないと私は分かっていた。なぜならうちの学生は一度駅でバスを乗り換えなければならないと分かっているからだ。そのためその老人が先に降りることとなった。その老人は彼女に、「ほんとにありがとうね。」と笑顔で話しかけて降りていった。なるほど・・老人も遠慮してたんだなと分かった。やはり誠意は誠意として受け取るのは嬉しいものなのだ。こんな良い例もあるが結局このような出来事はごく一部にすぎないという現実である。



所で某ネット掲示板は、この手のネタの宝庫である。
非常識な高齢者
http://white0wine.blog10.fc2.com/blog-entry-101.html
具合の悪い人だって優先
http://2chcopipe.com/archives/51253850.html
2つ目の方は実に良い例である。具合の悪い者だって弱者なのだ。それを外見だけで勝手に決め付けて悪く言う周りの人々。言わずとも視線を送る人々。このような悪い社会環境が、より優先席の存在意義を失わせるのであろう。



特に私が一番印象をもったのがこれだ。

「私の向かい側座席の前には男性1人、女性2人のハイキング帰りらしい高齢者が立っていた。 私に背中を向けているから時たま見える横顔で判断するしかないが、60代半ばぐらいか。 彼らの目の前の座席には若者2人と50代ぐらいの女性1人が座っている。若者は2人とも茶髪、1人はサングラスをしていた。

この人たちに気づいたのは、この高齢者組の男性が「最近の若い者は年寄りを立たせても平気なんだから」 「ちょっと前は罪悪感からか寝たふりをしたもんだが、最近じゃ寝たフリもしないからふてぶてしい」などと、 かなり大きな声で話しているのが耳に入ってきたからだ。どうも自分の前にいる若者に席を譲らせて女性2人を座らせたかったらしい。

ここまで嫌味っぽく言われると、まったく関係ない第三者の私だってちょっと気分が悪い。すっかり眠気が覚めてしまった。 反対側にいる私が席を譲れば、もう1人ぐらい誰か立ってくれるだろうと思って腰を浮かせかかった瞬間、サングラスの若者が口を開いた。

「あんたたちさぁ、山は歩けるのに電車では立てないの? それっておかしくない? 遊んできたんだろ? こっちはこれから仕事に行くところなんだよ。だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日も働いてあんたたちの年金を作ってやってるんだって分かってる?  俺があんたみたいなジジイになったら年金なんてもらえなくて、優雅に山登りなんてやっていられないんだよ。とにかく座りたかったらシルバーシートに行けよ」

細部の表現は覚えていないながら、こんな感じ。チャラチャラしているように見える若者の意外な発言に正直言ってビックリ仰天した。 「お年寄りに席を譲りましょう」とか「お年寄りを大切にしましょう」などというキレイごとを聞いて育ってきた世代の私にしても、彼の言っていることは正論に聞こえた。 あたしって壊れてきているのかな? 浮かせかかった腰を再び降ろしちゃったよ。3人の高齢者は凍りついたように黙りこくり、 次の駅で降りていった。ほかの車両に乗り換えたのかもしれない。 」



確かに若者のわがままに聞こえなくもない。言葉づかいもいいものではない。しかし、彼の発言は非常に道理がなっている気がする。高齢者優先主義は、あくまでも善意であり、強制ではない。譲らない=悪とする高齢者の考えは遺憾なものであろう。しかし、確かに遊びに出たとは言え、疲れている老人に席を譲らないのはどうかと思う。しかし、優先席で寝たフリをしたりオドオドする位ならば、この位の意志を持ってみてはどうだろうか。

今のNHKは、私達はお金を支払うだけで放送内容などはNHKが決め、私達が只のNHKの株主にしかすぎない気がする。この「みなさまのNHK」を、「わたしたちのNHK」に変えるには、私はNHKがもっと国民の意見を取り入れるようにするべきだと私は考える。


具体的には、受信料を支払う国民には意見用紙を渡す方法だ。この意見用紙には、「放送希望内容」(ジャンル、もの)、「放送に対する意見」などを記入してもらう。そして、これを参考に番組を構成していくのだ。例えば「放送希望内容」では、「ハンドボールの○○大会を放送して欲しい。どこの局も放送してくれない」や、「放送に対する意見」では、「毎週木曜のドキュメンタリー番組なんだけど、必要なのですか?誰が見てるのやら・・」などである。そしてこの意見を元にアンケート用紙を作成する。「今後放送して欲しい番組・・・1○○、2××」や、
「NHK放送に必要のない番組・・・1○○、2××」などのアンケート用紙の集計結果を元に番組を形成した方が、NHK側も国民の声を取り入れやすいであろう。


そもそも、今のNHKが耳に入れている国民の声は、クレームだけであり、そのようなことはしないが、意見のある国民はたくさんいる。それらの国民の意見をとりいれるようにすれば、民間放送にはできないような、「わたしたちのNHK」を作ることが可能であろう。


また、NHK受信料の在り方については、僕は吉田先生担当回のガバナンス演習で、これについて調べた。
そしてその時いくつかの案を考えた。
1つ目の案としては、公共放送の立場としては、やはり受信料の支払いをを義務化することだ。受信料を義務化することにより、今まで以上のお金が集まる。そうなれば、1人1人の支払い負担を減らすことができるだろう。
また、受信料を一律口座引き落としにすれば、受信料の徴収や、催促などに使う人件費が削減することができる。
2つ目の案としては、これは公共放送としては良くないことだが、国が補助金を出すことだ。国と関わりを持つことは公共放送として問題であるが、これによって、1人1人の支払い負担を減らすことができる。最も国はNHKに補助金を出すだけで、その他一切の関与は認めないようにする。


この1つ目と2つ目の案を同時に行えば。NHKの受信料問題は
解決されるのではないか。



またガバナンスの観点では問題ありだが、NHKを契約放送の番組にするのはどうだろうか。そもそもNHKは、国民全体が平等に情報を受け取るために創設されたであろう。しかし今の時代、テレビだけではなく、インターネットなどからでも簡単に情報を手に入れることができる。またNHKは、公共放送と言うよりも、どこかお国よりの面も見られる。ならば今の時代、NHKは果たして必要なものであろうか?こう考えた結果、NHKの存在自体が問題である気がするのだ。もっともこのやり方は今回のテーマにはふさわしくないものであるが・・・・。


NHK受信料を義務化するというのは、少し強引な方法に見えるが、実際問題大多数を占めるしっかり支払っている人からしたら当たり前なことである。また低所得者への配慮、1人暮らしの学生への配慮はきちんと行うべきである。そしてしっかりと安定した資金を得ることができてから、きちんと受信者の意見を取り入れるようにし、「わたしたちのNHK」をつくるのべきなのだ。


課題「日本でパブリックアクセスを根付かせるためには、どんな番組をどんな組織で作るべきだろうか?」




パブリックアクセスは、テレビないしラジオ、新聞などで市民が放送する、報道をする権利である。確かに、市民が参加するということは良いことである。しかし実際はどうだろうか。そもそも私からしたら、素人の自己満な放送を見る気はないだろう。テレビにしろラジオにしろ、私が思うに視聴者が求めるものは実に単純な2つのことだと思う。



1つはその情報が有益であること。歴史番組・知識番組などで新しい知識という有益を得たり、またお得情報番組・通販番組など金石的な有益を得たりすることであろう。つまりその情報を受信することが、自分に有益であることである。

もう1つは単純におもしろさである。バラエティ番組などの「笑い」、ドラマの「感動」、ホラーの「ドキドキ、スリル」などである。



結局視聴者が求めるものはこういうものであるだろう。しかし、素人が作る放送に後者は望めないだろう。所詮は、お遊戯会では、舞台には勝てないのだ。ならば、素人でも勝負できるのは、前者の有益さではないのだろうか?



そもそも。パブリックアクセスというものは所詮ローカルで行うしかできないものであろう。パブリックアクセスが根付いてこればもしかしたらもう少し規模が大きくなるかも知れないが・・・。まあそれはさておき、あくまでも小さな地域でしか放送はできない。それでいて視聴者に有益な情報と考えると、地域のお店のリポートが良いのではないか?地域のお店のリポートは、お店の了承がとれればタダで行える。それでいて、地域のお店の情報を知ることができる。また、地域のお店の協力が得られれば良くあるグルメ番組で「~~を見た」と言えばお得になる!!というものを使うことができて視聴者の視聴意欲を向上させるということも可能ではないか。自分の地域のことしからやらない番組なため、これほど視聴者に有益な番組はない。最も、いつかはネタが尽きてしまうという限界はあるが・・・。そこは、同じ店でも、メニューが変わったなどで再度放送ができるという方法で乗り切れるだろう。また、製作日数も少なくいけるためこれほど素晴らしい番組はないのではないだろうか。最も、これではただの地域版ホットペッパーに過ぎない。そのため、この番組と連動して別の種類の番組を作っていくべきであろう。



さて、この番組をどんな組織が作るかというものだが、これには組織など必要ないであろう。強いて言えば地域で作っていくものであろう。リポーターも毎度同じである必要はなく、市民参加型で、誰でも行えるようにすれば良い。誰でも参加できる番組これこそが本当のパブリックアクセスだと思う。誰でもと言えどそれではやはり自己満番組に終わる恐れがあるため、あくまでもメインに実力のある人をおき、サブに使ったりと工夫は必要である。



パブリックアクセスというものは、一歩間違えればただの素人の発表会である。それを見るのはただの慈善活動である。どれだけ視聴者に有益な情報を伝達できるか、それがパブリックアクセスを根付かせるキーポイントではないのか。