課題:自分の身の回りに存在している「ガバナンスのタネ」について説明してください


 官(ケースワーカー) 民間(NPO)


ケースワーカーとは福祉事務所の現職員の通称であり、生活保護を受けている人をケアする仕事である。定期的に生活保護者を訪れ、相談にのったり、手続きの手伝いをしたり、病院の付き添いをしたりなど仕事は多々ある。


NPOはNon Profit Organizationの略称であり、日本語では「非営利組織」と言い、その名の通り利益を目的としない組織である。数多くの分野で活動している。


ケースワーカーの家庭訪問は、特に決まりがなく、本人の裁量の元で訪問数が変わる。そのため、月に1回は訪問する人もいれば、年に1回しか訪れない人もいる。また、相談など乗らずに、何かあればすぐ連絡するようにとだけ伝えて帰ってしまう人も少なくない。そのため中々ケースワーカーに心を開けず、問題を抱え込んでしまう生活保護受給者もいる。確かに、ケースワーカー自身が悪い面もあるが、ケースワーカーの中には
1人で400人担当している人もいるのだ。400人の人を、月1で訪問するのは確かに難しいだろう。これは、深刻なケースワーカー不足であろう。



そこで、それを補うのがNPOである。あまりケースワーカーが訪問してくれない生活保護受給者の元にNPOスタッフが訪れ、変わりに相談にのってあげたり、仕事の斡旋をしてくれたり、また生活保護受給の仕方が分からず悩んでいる人にやり方を教えることにより、ケースワーカーの手がまわらない部分を補うことができる。もっとも、役所とNPOは基本的に連携をしている訳でわない。しかしある地域では、処理困難なケースにおいて、本来は
SV,家長、ケースワーカーがチームで検討会を行う所に、NPOなどを参加させて、協力して解決しようとする動きがあるのだ。


そのような連携がとれている地域こそ、まさに「ガバナンス」であると言える。まだまだ成長できてない「タネ」のガバナンスであるが、このタネが成長し広まれば、生活保護受給者の生活がより良くなるであろう。


参考リンク:行政機関による支援の限界、民間との連携の可能性と課題



 波乱を呼んだ鳩山総理の裸踊りのツイート。 鳩山総理は、自分のことを裸踊りをした「勇気あるバカモノ」
に例えた。しかし、彼は本当に「勇気あるバカモノ」であろうか。

 「バカと天才は紙一重」という言葉がある。「普通」というものからかけ離れた奇行を行った時、誰かが同意すれば「天才」であり、誰も同意しなければ「バカ」となるのだ。確かにバカと天才は紙一重で、その紙一重を決めるのは「勇気あるバカモノ」ではなく、彼の周りにいる者たちだ。つまり「勇気あるバカモノ」は、「勇気ある天才」にもなりうる。果たして鳩山総理はどちらだろうか。


 私は、鳩山総理はどちらでもないと考える。鳩山総理が「バカモノ」と「天才」のどちらよりかと言えば、皆が「バカモノ」であると答えるだろう。鳩山総理が「天才」であるならば、辞任などという結果にはならないだろうから。しかし私が考えるのは、鳩山総理が「勇気ある者」であるかという所だ。「勇気ある者」は、あくまでも自分の意志で踊っているのだ。だが鳩山総理はというと、自分の意志で踊るというより、小沢さんによって踊らされていたのでわないか。つまり鳩山総理は「はめられたバカモノ」だと言えるだろう。


 また、「勇気あるバカモノ」に追随する、最初の人物こそ最も重要な人物であるだろう。「勇気あるバカモノ」のバカを、天才に変えたのは間違いなく最初に追随した人物だ。確かに、彼はただ単に同意し、乗っかっただけの男であろう。しかし、「勇気あるバカモノ」が「勇気ある天才」であることを見極めなければならない。「バカモノ」が本当にただの「バカモノ」ならば、例え彼を天才に持ち上げても、その流れはすぐに終わってしまうのだ。そして追随した彼も、「バカモノ」の一人になってしまう。つまり「勇気あるバカモノ」は、あくまでも「天才」でなければならないのだ。そしてそれを見極めた人物こそが、成功する人物なのだ。


 鳩山総理が宣言した「新しい公共」は、その内容を見てみるとどうも国民にまる投げした感がいなめない。今まで国が貯めに貯めた爆弾を、政府では処理しきれなくなった。そのため、国民の手を借りようとしている。なんともバカげた話であろう。確かに現状では、それが叶うことは解決策の1つであろう。しかし、そんな話を、いったい誰が乗るのだろう。鳩山総理の宣言書の中の例えに、阪神大震災を支援したボランティアや、徳島県上勝町のコミュニティ・ビジネスの話があった。しかしこれらは、日本人の慈愛の心や、老人の楽しみなど、あくまでも理由があったからだ。しかし「新しい公共」というものをいきなり投げ出された国民が、なんの理由もなしにいきなり
受け入れるはずがない。普天間基地問題でもあった、鳩山総理十八番の「説明のない政策」であろう。やはり鳩山総理の行いは「バカモノ」であろう。


 国を率いる者はあくまでも、「勇気ある天才」でなければならないのであろう。また、総理大臣の周りには、彼を天才にひきたてる追随者が必要であろう。総理の「奇行」を批判する、党民達。果たして彼らは、総理の行いが「バカモノ」か「天才」か見極めているのだろうか?


管総理大臣の新政権。管総理大臣が「勇気ある天才」であり、また彼の周りの官僚達が、「天才」を見極められる追随者であって欲しいものだ。

この問題において、まず市のごみ袋についてのページ を見た。それにより、今回のレジ袋をごみ袋に使用しないという行いの目的を知った。
1、レジ袋の削減
2、ごみ分別の徹底(資源ごみの再利用)
恐らくこの2つが大きな目的であろう。結果的には、ゴミの減量というのが大きな要因であると言える。確かにこの行い自体は素晴らしいものであると思う。エコブームの今、エコバックを持っているのが当たり前となってきている。うちの大学の学生の大半が利用する某スーパーでも、レジ袋の有料化を行っている。そのため、うちの大学の学生にも、エコバックを所持している人は多いだろう。だが結局は、時代の波に乗っかり、あまり考えずに始めてしまったことが、今回の失敗であろう。そのためにいくつもの問題が浮上してくるのだ


 1つ目は、赤尾先生 が言っている 、告知不足であろう。このために市民が反発してしまうのは無理がない。
 2つ目に、モリ― さんが言っている 、市販ごみ袋の大きさであろう。これは、自宅生の僕には思いつかなかいものだった。確かに、1人暮らしの大学生からしたら、ゴミ袋というものは確かに大きいのだろう。そもそも、
今回の問題において、大学生はまさに中心にいる存在だと思う。初めての1人暮らしで、慣れないごみの分別、難しい新しい土地の分別ルール。そのために、ごみの分別を怠り、またレジ袋の利用する大学生は多いだろう。
間違いなく、この大学生達への対策が最優先されるべきだと思う。だがしかし、ゴミ袋の大きさなどの問題を解決しなければ、今回の行いは上手くいくはずがないだろう。


また、市のページのQ&Aを見ていても課題を感じた。

『Q:生ごみや汚れものなどを出す時に、内袋を使って出してもいいの?
A:レジ袋をできるだけ使用しないようにご協力ください。
生ごみや生理用品、紙おむつなどを出すときに内袋を使用する場合は、できるだけレジ袋以外のエチケット袋などの小さなポリ袋や汚れた紙袋、新聞紙などを使い、必要最小限となるようにご協力をお願いします。生ごみは水切りをして出してください。
なお、汚れたレジ袋を燃えるごみの内袋として使用する場合は、最小限にお願いします。
※市は、ごみ減量のため、生ごみ堆肥化容器の無料配布や家庭用生ごみ処理機の購入補助などを行っています。』


  プライバシーの権利が重要視される今、不透明なレジ袋を内装に使うことは仕方ないだろう。その変わりに別なものを使うように書いてあるが、結局1人暮らしの大学生の家にそれらがないことも十分考えうる。結果的に、すぐに手に入る、レジ袋を使ってしまうのだ。


『Q:レジ袋でごみを出した場合、どうなるの?
A:4月から6月までの3ヶ月間にレジ袋をごみ袋として出した場合は、使用しないように周知していきます。
7月以降は、指定ごみ袋以外で出されたものは、出された方への啓発のため、次回の収集日までごみ集積所においていくことになりますが、ごみ集積所の状況を見ながら周知期間の延長を弾力的に考えていきます』

 このような期間を置くのは良いことであろう。しかし、このことはきちんと市民に告知されているのだろうか?今レジ袋を使用し、回収されたら、「なんだ回収されるものなのか」と勘違いしてしまうのではないのか?さらに、7月以降はごみを放置すると書いてあるが、夏場に生ごみの入ったレジ袋が何日も放置されることになるのだろうか。なんて恐ろしいことだ。


このように、浜松市のレジ袋問題は厳しい現状にある。確かにエコは大事であるが、市の行うエコは、「うちの市ではエコを推進しています。」と、全国にアピールしたいだけであろう。これはエコではなく、ただのエゴであろう。