最近ちょこちょこ顔を出してきて、自分で自分の事を少し驚いてしまう事。それが「偏って(かたよって)ない自分」というものである。なんか物事が動いても、どちらに加担するでもなく「まあまあ、どちらの意見もあるよなあ〜」と心が動かない時が増えてきた。それによって過去の自分が、めちゃくちゃ感情移入しやすくてすぐにどちらか極端な方に肩入れしてしまって、偏った発言をしてしまう事ばかりだったなあと回想する。歳をとって平和主義になったとかそういう事でもないような気がする。単純に言える事ではないかも分からないけど、あんまり物事に一喜一憂しなくなった。大人しくもなったのかもしれないけど‥。表現する人ってある程度偏ってて、そこが面白い所やと思ってるんですけど、普段の自分はどんどん世の中の基準にしっかりと馴染んで行ってて、それについてもあんまり疑問を抱かない生活になって来てることに気づいた。これが「大人になってきた」という事なんですかね!?笑。


人と会話してる時も知らないうちに「聞き手」になってる事が多くなった。昔は口から先に生まれてきたくらいに一方的に喋っていたのに‥。口数が少なくなったのは、物事をすごい熟して考えてるからとかとは真逆で、頭が単純に回転してないんだと思う。偏った考えの時って、それを少しでも多くの人に自分の考えをわかってほしいという欲求もあるから自然と口数も増えるし、ちょっと攻撃的にもなる。ちょっといき過ぎた時にゃ選挙の演説の様に主義主張を偉そうに口走ってたり、口八丁に知識を利用して理論武装に出たりしてた。酒飲んでた頃は思考が偏ってたから言わなくて良い事まで言って口論にもなっていたしね。偏ってない自分が顔を出す事が多くなったことについてはまあこれで良いんじゃないという感じなんですが、新しいアイデアややりたい事も浮かばなくなってきてるのはちと困ったなあという感じ‥。自分の表現もここまでなのか!?なんて考えても、「まあここまでで良いんでない_:(´ཀ`」 ∠):」って思ってしまうし‥。逆に考えたら極端に何も考えなくなってしまってるという事も考えられる。そう考えたら今のこの状況もまた偏ってるのかも知らないなあと思ったり💫。とにかくまとまりのつかない訳の分からない文章になっていますが、言うなればちょっと寂しさを感じてますね。笑。もっと昔はアイデアマンで尖ってたのになあと思ったりしてます。ハイ。


オリックス負けても腹立たなくなってるもんなあ‥。野球にも一喜一憂しなくなった僕に明日はあるのか!?🤔。


また適当に楽しめたら良いかな( ´∀`)。