色んなことが急に決まってこの6月が急に忙しくなった。まあ4月、5月と勝手な事ばかりして来たので、公式に色んな仕事が組まれるのはありがたいと思っているけど、色んな用意もあるので実質何もない日でもずっと家で作業や準備をしないといけない。この6月の後半は重要だ。こういう時期を楽しんで活動できる余裕ができると精神的にももっと良い方に進むからね✨

 

今日は親父が亡くなってからちょうど1年になる。このブログを書き終えたら実家に少し寄って行こう。1周忌は5月のうちに終わらせたので今日は特に様式的な事は何もないんだけど、やはり父の事を思い出す。亡くなる数年前から認知症で寝たきりになっており、最後も誰のことも認識してない状態でなくなったのだけど、なんか臨終する最後の瞬間、僕とか母親とか姉貴の事をわかっていたんではないかなと思わせてくれる表情をしてた。みんなの方をぐるっと見渡して目から涙が出ていた。実際介護の大変さから母も相当疲弊していて、このままもっと長くこの状態で父が生きていると母が病気になってしまうんではないかとそちらの心配の方が数年勝っていた僕としては亡くなった寂しさとともに少しホッとしたという気持ちも正直あった。僕も姉も実家を出ているのでそんなに父の介護を手伝える環境ではなかったので、なんか親父は母の事を思って亡くなってあげたんではなかろうかとそんな感じにも思ってしまった。僕も姉も親父が大好きだったし、ほぼ怒られたという記憶がない。とにかく家の中の人間には優しかった。世間で言う反抗期というものも僕にはほぼなかったと思う。思春期もずっと父が好きだったし、本当にこの両親も元に産まれた事を誇りに思っている。でも反抗期はなかった自分だけど、父の友達とも会わない、仕事をして家に帰ってくるだけの事を365日している生活を見て、僕はもっと色んなところに行って色んな人と出会う大人になりたいという気持ちはあった。実際バンドをして全国津々浦々廻るようになって父とは違う「昔理想としていた生活」は手に入れたのだけど、年齢を重ねていくごとに全く似てなかった父に少しずつ似てきている自分を凄い感じている。父が生きてきた道というものを一度見直す時がきているのかも知れない。親父が何を大切にして、そして生きるということにどういう感情を持っていたのか!?人生論とかを語る人では全くなかったので、言葉少なかった親父の言葉を思い出して、そして自分のこれからの人生にも役立てていこうと思う。それが1周忌にする僕の親父の存在に対する恩返しのような気がしています。

 

 

今日は松原裕がこの世に誕生した日でもある。親父の命日と松ちゃんの誕生日が同じというのもなんか個人的には巡り合わせを感じてしまう。松ちゃんに対しても、もっと今なら彼の言葉を汲み取ってもっと一緒にやれることあったのに、僕は何をしていたんだろうか!?という感情がどうしても残っている。酒と睡眠薬でパッパラパーの頭になっていなければという悔しさが凄いある。色んな人に迷惑ばっかりかけて、本当ならもうこの業界から追放されててもおかしくなかった僕を松原は責めなかった。もっと責めてくれてもよかったのにと思うのだが、それが僕と松原裕の関係だったのだろう。とにかく僕は松ちゃんの優しさに甘えていた。それは親父に対してもそう。親父の優しさに甘えても過ごしていた‥。もう今さらこういう事を言っても仕方がない事だと分かってるんやけど、今日は6月15日なので少し言わしてもらいました。

 

 

人に助けられて生きてる自分をちょっと自立させる時がきてっるのかも知れないなと感じている今日の夜。

 

 

自分磨きの本番はこれからかも知れない。心のTBCを見つけて綺麗になるよりも、自分の力で自分を磨いていって、そして綺麗にならないといけないんやね✨当たり前やけど(笑)。うん、これからの人生、自分の力で綺麗になっていくんだ。この忙しくなる6月後半を頑張ろう。多分この仕事も親父や松ちゃんがくれたものやろうから。これからの人生の宿題!

 

 

 

「なるだけ物事から逃げない」

 

 

齢40が言うことではないけど‥。笑。