明日は命日よりは半月程早いのですが、親父の一周忌です。もう親父がこの世から居なくなって1年近くの日が経つのかと、時間の進む速さと去年と今年の色んな状況の違いに感覚がちょっとおかしくなってるのかもなあと思いました。去年は4月に松原裕ご亡くなり、6月に親父が亡くなり、12月にイノマーさんが亡くなった。自分の人生においてとてつもなくお世話になった人が3人立て続けに亡くなった1年だった。個人的には精神面や生活面は比較的安定していたけど、大切な人が3人亡くなった事はかなり辛かった。でもそれと同時にこの2020年をもし3人が生きていたら凄い辛い状況に立たされていたに違いないと言う気持ちにもなってしまう。

もし、松原裕が病床で今を生きていたらこのコロナの状況でどう立ち回っていたのだろう。松ちゃんが健康で生きていたならこの状況でも色んなことを考えて新しい事にも果敢にチャレンジしていたと思うんやけど、身も心もボロボロな状態で生きてて、カミング神戸の中止や太陽と虎の営業が出来ないのをただただ見ているだけの状態なら少しゾッとしてしまう。

親父にしても、最後は看取る事が出来たけど、認知症からの肺炎を患っていて3月、4月辺りに母親が見舞いに行けない状態が1年違うかったら続いていたのだろう。コロナの状態で見舞いにも行けない病院でもしかしたら亡くなってたかもしれないと思うとゾッとしてしまう。

イノマーさんにしてもそう。結果的に最後になった豊洲PITのステージに立てたのは凄い事なんやけど、もし今この世にいてオナマシもライブが出来ない状態で凄い悔いを残して逝ってしまうなんて事を考えるとちょっとゾッとしてしまう。イノマーさん自身は豊洲を人生の最後とは考えていなかったかも知れないけれど、とにかくあの大きな自主企画を今生で無事やり終える事が出来たというのは良かったと僕は思っている。あのイベントの時期を今年にしてたら体調関係なく中止になっていたりしただろうから。


当たり前やけど別に3人が去年のウチに亡くなっておいて良かったなんて事は思ってないし、でも取り方によっては変な事をもしかしたら僕は書いているのかも知れない。でもなんとなく分かってくれるかな‥!?。3人はもちろん色んな「悔い」を残して亡くなっていったとは思うんやけど、今年亡くなっていたらもっと悔いを残していたに違いない様な気がしている。僕も今死んだら凄い悔いが残る。もう一度ライブが出来なかったと言う事に。頃合いの良い「死期」なんて絶対にないんやけど、気苦労をどんどん増やして行く恩師の姿を見たくはなかったなと正直思ってしまったりもする。凄い難しいデリケートな事やからこうやって日々の徒然日記に書くことではないんかもしれないんやけど、親父の一周忌の前夜にちょっと考えてしまった。コロナは確かに恐いし、用心しないといけないし気をつけないといけないんやけど、本当に恐ろしいことって実は他のことやったりするんではないかなと思ったりもした。

なんかちょっと重い内容になってしまいましたね‥そんなつもりで書き始めたつもりはなかったのですが。


ともかく明日は親父を想って過ごそうと思います。