今日は去年亡くなった父の納骨をしてきました。

なんか納骨する事で改めてもう、この世にも実家にも親父は居なくなってしまったなという思いになって少し寂しさが押し寄せてきました。

昨日のコザ語りはとても自分的には納得のいく出来で、なんかそれも父が背中を押してくれたのかなという気がします。

でも大事なんは亡くなった人をいつまでも忘れずに心に置いておく事なのかなとも感じています。

家族にはこれほどか!?という程優しい親父でした。

僕自身もほとんど怒られた記憶はないし、1人で自営で工場をしていたので基本的には凄く生真面目で外から見ると堅物に見えた父親やったかもしれませんが、本当に身内には愛しかなかったです。

NAGATOWNという曲をまだ親父が認知症になる前に発表できたのが僕にとっては1番の親孝行やったかもしれません。他は迷惑かけてばっかりで、もっと今になったら色々とできる事があったのに本当に親不孝な奴だと自分で思いますわ。

前にも少し書いた事あるのですが、僕と親父は全く性格が正反対で、親父は静かに自分の事を黙々と誰にも寄せる事なくやり続ける職人肌。僕はその親父を見て「なんでこんな損な生き方をしているんだろう?俺はもっと社交的に人と交流して華やかに生きてやる!」と思春期に思い、親父の工場を継ぐなんて事は微塵も考えずただひたすらなんの基礎もないのにアホみたいな事をやってその場限りの周りの注目を浴びる事に夢中になって行きました。

でも親父はそんな僕を見て一切否定する事がなかったんです。工場を継げ!なんて事も一言も言われた事ないし、自分の人生やねんから好きな事をしたらええ。と言葉にはしないもののそういう目で僕の事を見ててくれました。

でも最近になって自分が「親父に似てきたな」と感じる事が凄い増えてきたんですよね。

あんだけ真逆の考え方を持って行動してきたのに、自然とする仕草や発言が少しずつ血は争えない感じになってきてる。親父の無口な感じにも少しずつなってきてるし、あの当時の親父の気持ちというものがぼんやりとですが分かる様になってきたのです。僕は親父の事は大好きやったけど、どうしても親父の生き方にだけは共感できなかった。それが自分がこの世界に足を踏み入れた動機といっても過言ではないのに、今はその動機さえも忘れてしまうくらい違う感覚でやっているし、元来持っている自分の性格が私生活にもステージにも滲み出てくる年齢になってきたんでしょうね。

派手さは昔ほどはないけど、丁寧なステージが演りたいなんて思うのはまさに親父譲りになってきたなあと思います。

天国の親父にしっかりとやってる事をこれから見せていって、僕は僕なりの全力を尽くして行きたいなあと思う所存であります💫

明日はガガガSPで心斎橋クアトロでライブです。明日も終わった後に自分ををほんの少しだけ褒めてやれる良いステージをするべく明るく頑張ります!


PS.なんかこういうブログの内容を書くと凄い心が綺麗な奴みたいに思われる可能性がありますが、僕の心はドロドロですよ( ´ ▽ ` )。いつか心が綺麗になれます様に‥。槇原敬之さんの歌詞の様なPSで本日のブログを終わります。笑。明日オヒマがある方は是非お越しくださいませ🙇‍♂️
ガガガSPは17時からの出演を予定しております!気張ります🌟