楽しいことはもちろん、失敗すら一緒に笑い合える家族でありたいと思ってます
とうとう
この日がやって来ました
息子くん、
おかげさまで
卒業式を無事に迎える
ことができました
あと、
母も無事に
式に参加することができました
結局、同じような生徒が全体で
15名ほどいて座席を増やしたそう。
やっぱ、出欠連絡必要でした。あぶなっ
出られないかもと焦った
前回のお話はこちら
思い起こせば、高校の入学式
受験を乗り切り、
なんとか
ここまで辿り着いたものの、
中学2年間のおうち生活
という現実
入学できる
喜びもひとしおでしたが、
その反面、
心配なことも沢山ありました
小学生の頃から
授業を受けていて
苦しいと
訴えることがありました
当時、彼は
給食がほとんど食べられず
苦労していました
そして
その苦しいという症状は
給食の前である
四時間目に現れることが多かったです
この症状には波があり、
給食が食べられるようになれば
落ち着くし、
食べられなくなってくると
多く現れているように思われました
そして中学に入り、
授業中に苦しいという症状が
長い時間 出現するように
なりました
と同時に
朝礼や集会のような
人が大勢集まるような場所にいる
ことができなくなり、
いずれ
教室に入ることも
しんどくなっていきました
中3の時、
高校説明会の会場である
体育館にも入れなかった息子くん
無事に
高校の入学式を迎えられたものの、
この会場に
果たしてずっといられるのか が、
式 当日、
私の一番の心配事でした
コロナで家族の出席は一人まで。
式には私が出席し、
彼が集団の中に
いられないことも想定して
夫には
車で近くに待機してもらっていました
保護者席は後方にあり、
そこから見える息子くんは
1㎜も動く気配がなく、
どんな様子かも
わからないままでした
式が終わって
合流した息子くんは
本当にぐったりしてて
一緒に
車の後部座席に乗り込み、
ゾンビのような息子くんをみて
この子はこれから
本当に大丈夫だろうか
と思ったことを思い出します
家から遠い学校だったので
少しでも
彼の負担を軽くしてあげようと
車で送迎すること を
夫と決めました
共働きなので、朝だけ
お互いの
スケジュールを調整しながら
やり繰りしました
「1年くらい通えば、彼も慣れて
『電車で行く』
とか言い出すんじゃない」
な〜んて
お気楽に話していましたが、
その期待は見事に裏切られ
気付けば3年間、
しっかり奉公することに
これは
自分で自分を褒めてやりたい
あっ、夫もね
学校という場所に
再び通うようになって、
「行けるようになった」と言っても
順風満帆では決してなくて
むしろ
動き出してからの方が大変でした
おうち生活も次第に慣れ、
一見、大きな変化もない
安定期のような状態でいた
ところから一転、
高校生活は
止まっていた時が一気に動き出し、
当たり前のように
朝から夜までの学校生活
理不尽だろうが
学校のルールに沿って
動かなければなりません
時に気力と体力を使い果たし、
学校をお休みすることも
しばしばありましたが、
自分なりに折り合いをつけ
卒業まで漕ぎつけたこと、
息子くん、
本当によく頑張ったと思います
実は彼、
学校ではどちらかというと
諸々できる男のキャラなようで
そんなキャラなので、
自分の困りごとについて
担任以外には
話を一切していないそうです
唯一、
彼の状況を知る担任ですら
最後の三者面談で
私にこう伝えてくれました
他の先生方も、
もちろん同級生たちも
全く彼の困りごとに気付いてない
と思います。
そんな大変な思いをして
学校生活を送っているだなんて
想像すらしてないんじゃないか
と。
信頼できる人に事情を話し
理解してもらった上で生活した方が
断然、
自分が楽だと思うのですが、
息子くんは
あくまで
なんにもないかのように装い、
学校も ちょっと
サボる的なスタンスで休む
それが彼の意地であり、
彼のプライドを守る行為で、、
だからこそ
踏ん張れたのかもしれない
とも思うのです
私と違ってまだ若いからね
おうち生活で、
今後の進路を考えた時、
高校に行く理由を
息子くん、こう答えてました。
「友達とワイワイ、
普通に過ごしたい」
と。
彼が当時、
一番望んでいたのは
高校生らしい学校生活でした
一番近くで
見ていた者からすれば、
あなたは
とっても楽しそうだったよ
部活やイベントの時は
もちろんのこと、
学校をいくら休んでも、
浪人だ〜と
絶望していた時にも、
傍にいてくれる友達がいる
きっと 彼らとは
長い付き合いになるんだろうな
改めて
卒業、おめでとう
身体の不調を抱えながら、
それでも よくやりきったね
この経験は きっと後々の
あなたの人生の糧になってくれると
母は思ってます