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回顧録ーMemoirs of the 1980sー

激動の80年代、荒れる80年代。
ヤンキーが溢れる千葉の片田舎で、少年たちは強く逞しく、されど軽薄・軽妙に生き抜いた。
パンクロックに身を委ね、小さな悪事をライフワークに、世の風潮に背を向けて異彩を放った。
これは、そんな高校時代を綴る回顧録である。

本編では書かなかったことが、
まだどこかに散らばったまま残っている。

若い頃の話もあれば、
中年になってからの出来事もある。
笑える日もあれば、
胸の奥が少し痛む夜もある。
時系列も関係なく、
ジャンルも統一されていない。
ただ、そのどれもが
“俺の人生のどこかに確かにあった時間”だ。
ここには、
こぼれ落ちた断片たちを
気ままに拾い集めた記録を残していく。

 

45歳、離婚と再出発と西船橋の夜

 

45歳の頃、俺は離婚を経験した。


離婚って、経験者にしか分からない苦しみがある。
悲しみ、切なさ、感情の浮き沈み、言い出したらキリがない。


結婚式で祝ってくれた人たちへの申し訳なさ。
自分の両親、相手の両親への負い目。
そして何より、娘に悲しい思いをさせたことだろう。


それに金だ。


相手にはそれなりの額を置いてきたし、
ここから娘を4年間大学に通わせる学費、養育費。
さらに自分の新生活の資金も必要だ。
もう、にっちもさっちもいかない状態だった。


首が回らない。
首の皮一枚だけで生きているような、そんな45歳の崖っぷち。

 

そんな時、俺には小さな──いや、とても大きな幸運があった。


幸運という言い方は少し違うかもしれないけれど。
長年しがみついて働いてきた大手企業で、
人員削減のための早期退職募集が始まったのだ。


俺は迷わず手を挙げた。
そして、かなりの金額を手にした。


もちろん不安はあった。
今後の就職、生活、娘の未来。
でも、娘の大学の学費も、養育費も、自分の新生活の資金も払って、
それでも十分に残るだけの額だった。

あの時の俺には、それが命綱だった。


そして俺は、西船橋の賃貸マンションで新生活を始めることになった。
足枷の外れた俺は、新たな自由を得た。

 

45歳の再出発だった。