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回顧録ーMemoirs of the 1980sー

激動の80年代、荒れる80年代。
ヤンキーが溢れる千葉の片田舎で、少年たちは強く逞しく、されど軽薄・軽妙に生き抜いた。
パンクロックに身を委ね、小さな悪事をライフワークに、世の風潮に背を向けて異彩を放った。
これは、そんな高校時代を綴る回顧録である。

本編では書かなかったことが、
まだどこかに散らばったまま残っている。

若い頃の話もあれば、
中年になってからの出来事もある。
笑える日もあれば、
胸の奥が少し痛む夜もある。
時系列も関係なく、
ジャンルも統一されていない。
ただ、そのどれもが
“俺の人生のどこかに確かにあった時間”だ。
ここには、
こぼれ落ちた断片たちを
気ままに拾い集めた記録を残していく。

 

実録・外道非道・自転車競技部列伝(前編)

 

パンクに憧れ始めていた俺だけど、

その裏ではもうひとつの夢があった。

日本一周。
自転車でで日本をぐるっと回る、あの旅への憧れだ。


だから高校を選ぶとき、

実は“自転車競技部がある学校”を基準にしてた。

競輪選手になんてなるつもりは無かったけど、

自転車競技部で体を鍛えることが日本一周に繋がると思ったからだ。
本当は県立の強豪校に行くつもりだったんだけど、

まあ、いろいろあって失敗した。


でも今思えば、それで良かったのかもしれない。
県立に行ってたら、エーイチやアッキョとは出会ってない。


そんなわけで、入学して数日後。
自転車競技部に入ろうとしていた何人かと一緒に、放課後の部室を訪ねた。


そこで待っていたのが、2年のイノウエ君だった。

 

■ 初日から“昭和体育会の洗礼”


部室に入った瞬間、イノウエ君が言い放った。

 

「1年は全員坊主だ」


いきなりバリカンを取り出して、

 

「今日中に床屋行けねー奴は、俺がやってやる」


まだ入部するって決めてもいないのに、だ。
でもその勢いに押されて、ほとんどの1年が「床屋行きます」と答えた。
これがイノウエ君の作戦だった。


そして“初日のシゴキ”が始まった。


•     腹筋100回×2
•     背筋100回×2
•     腕立て100回×2


手を抜くと竹刀が飛んでくる。
昭和の体育会は、そういう世界だった。
だが、本当の地獄はその後だった。

 

■ スクワット1000回の地獄


1年全員で輪になって手をつなぎ、完全にしゃがみ込む昔ながらのスクワット。
回数は言われない。
100回やっても終わらない。
200回でも終わらない。


泣き出すやつが出てくると、竹刀がうなる。


最終的に500回×2セット。合計1000回。
 

足がつって倒れるやつ続出。
俺もそのひとりだった。
ようやく解放されたと思ったら、イノウエ君が言う。

「1年は帰っていいぞ。床屋、わかってるな」

家が遠い連中はもう床屋が閉まってる時間。
つまりバリカン確定。


俺はギリギリ間に合う時間だったけど、
まともに歩けない。
階段なんて登れない。
何度も足がつる。
それでも這うようにして床屋へ向かった。

 

■ そして翌日、“バリカン刑”が執行される

 

翌朝の朝練は、昨日の半分のメニュー。
半分でも殺す気かと思った。

 

放課後、イノウエ君が言う。

 

「床屋行ってないやつは座れ」

 

最初の犠牲者はスドー君だった。
切れ味の悪いバリカンで、
5分刈りどころか5厘刈り。

 

頭は傷だらけで血がにじんでいた。

 

イノウエ君はニヤニヤしながら、
スドー君の頭にオロナインを塗っていた。

あの光景は、今でも忘れられない。

 

■ そして俺は、2〜3ヶ月で辞めた

 

いろいろあった。
書ききれないほどいろいろあった。

 

そして俺は、
2〜3ヶ月で自転車競技部を辞めた。

 

理由は簡単だ。

 

根性がなかっただけ。

 

でも、あの地獄を経験したからこそ、
その後の俺はパンクスへの道を一直線に進むことになる。

 

高校時代の外道・非道・自転車競技部列伝。
これはまだ前篇だ。
後篇は、また追い追い。