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回顧録ーMemoirs of the 1980sー

激動の80年代、荒れる80年代。
ヤンキーが溢れる千葉の片田舎で、少年たちは強く逞しく、されど軽薄・軽妙に生き抜いた。
パンクロックに身を委ね、小さな悪事をライフワークに、世の風潮に背を向けて異彩を放った。
これは、そんな高校時代を綴る回顧録である。

本編では書かなかったことが、
まだどこかに散らばったまま残っている。

若い頃の話もあれば、
中年になってからの出来事もある。
笑える日もあれば、
胸の奥が少し痛む夜もある。
時系列も関係なく、
ジャンルも統一されていない。
ただ、そのどれもが
“俺の人生のどこかに確かにあった時間”だ。
ここには、
こぼれ落ちた断片たちを
気ままに拾い集めた記録を残していく。

 

アッキョ、激走200m

 

紆余曲折あって、俺の勤務地は
江東区 → 品川区 → 気づけば船橋市の工場へ。
都落ち、あるいは左遷ってやつかぁ。


しかしまあ、都合のいいことに、
自宅から徒歩40分ほどの距離だった。
健康志向の俺は、毎日往復を徒歩通勤していた。


ところがある時、登山中に足首を捻挫してしまい、
歩くことができず、しばらく自転車通勤をしていた時期がある。


ある日の夕暮れ。
一日の労働を終え、
“一刻も早くビールを呑むべく”家路を急いでいた。
自転車を片足漕ぎで疾走──いや、実際にはノロノロだっただろう。

 

すると、後ろから叫び声。


「おーい待てよー! おらー待てよー!」


……もしかして俺を追ってるのか?
足を止めて振り返ると、
猛然とダッシュしてくる奴がいた。


「おっ、アッキョかよ。何してんだよ」


アッキョは肩で息をしながら、


「(ぜーぜー)なんだよ……」
「(ぜーぜー)もっと早く気がつけよ……」


と文句を言ってきた。
聞けば、工場の東門のところから 200m全力ダッシュ してきたらしい。
よくもまあ諦めずに頑張ったもんだ。


「ってか東門って、俺んとこの工場じゃん。


お前、なんでそんなとこに居るんだよ」

 

さらに聞くと、
繁忙期の季節労働工として雇われているんだってさ。
しかも俺の担当している製品ラインに。


なんてこった。
俺の設計する高度でデリケートな製品が、
アッキョのような無頼漢に組み立てられては
本来の品質・性能が保たれないではないか。


不幸にもアッキョが組み立てに関わった製品を
手にしてしまったエンドユーザーの皆様には──
ご愁傷様……。


……なんて危惧は必要ありません。


「安心してください」
そこは工業製品。
どんな馬鹿野郎やぼんくらが組んでも、
ちゃんとした製品が出来上がるようにできてます。
ご心配なく。

 

……うーん、本当かなぁ?