本編では書かなかったことが、
まだどこかに散らばったまま残っている。
若い頃の話もあれば、
中年になってからの出来事もある。
笑える日もあれば、
胸の奥が少し痛む夜もある。
時系列も関係なく、
ジャンルも統一されていない。
ただ、そのどれもが
“俺の人生のどこかに確かにあった時間”だ。
ここには、
こぼれ落ちた断片たちを
気ままに拾い集めた記録を残していく。
逃げろ
1983年のある夜。
千葉・本八幡のライブハウス「ルート14」で、
スターリンを観た帰りの話だ。
スターリンといえば、
当時の俺たちにとっては“合法的に理性を吹き飛ばしてくれる装置”みたいな存在で、
ライブが終わる頃には、全員が妙なテンションのまま外へ放り出される。
あの夜も例外じゃなかった。
ルート14を出て、国道14号を渡り、
京成八幡へ向かう細い道へ入る手前。
右手に、ガラス張りの時計屋があった。
今思えば、時計だけじゃなくて貴金属も扱っていたような、
ちょっと高級めの店だった気がする。
で、問題はここからだ。
興奮冷めやらぬエーイチが、
「うおぉぉぉ!」
みたいな謎の雄叫びとともに、ショーケースのガラスに“軽く”キックを入れた。
軽く、のはずだった。
だが──
パリーン。
強化ガラスでもなんでもなかったらしく、
あっけなく割れた。
俺たちは一瞬固まった。
次の瞬間、誰かが言った。
「やばっ、逃げろ!」
そこからは全員、京成八幡駅へ全力疾走。
スターリンの余韻と、
ガラスの破片の音と、
罪悪感と、
笑いと、
恐怖が全部ごちゃ混ぜになったまま、細い道を駆け抜けた。
電車に飛び乗り、ドアが閉まった瞬間、全員が同時に息を吐いた。
「助かった…」
そんな空気が流れた。
ところがだ。
エーイチの様子がどうもおかしい。
顔色が悪い。
足を押さえている。
「おい、どうした」
と見たら──
足から血が流れていた。
割れたガラスを蹴ったんだから、そりゃそうだ。
幸い、縫うほどじゃなかったが、まあまあの切り傷。
あれは完全に“天罰”だった。
今なら確実に警察沙汰。
防犯カメラもあるし、SNSで拡散されて、
翌日には俺たちの人生が終わってたかもしれない。
でも80年代は、街も人も、今よりずっとゆるかった。
若気の至り。
あの頃の無敵感。
そして、ちょっとした天罰。
全部ひっくるめて、あの夜は今でも忘れられない。