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   sunrise*

        嫌でも明日はやってくる。静かな気持ちで今日もゆく。


その世界では有名、という人は結構な数いる。
自分が今までまったく知らなかった世界で、いままでもずっと凄い凄いともてはやされ、講演会とか勉強会とか開いてきた人がたくさんいる。
自分の職種とはまったく関係のない職業をサブとして取得して、メインとサブを結びつけた変わり種のビジネスやってます、みたいな人。

その人達は、その人達が見て欲しい観点からすれば凄いのかもしれないけど、一般的なスケールで捉えれば「変わり種」でしかない。

僕はいつもなぜかそう考えてしまう。
チーズの入った餃子、みたいな。
物珍しさはあっても、冷静に食べ物として考えると微妙か普通。

保守的だなと自分でも思う。
でもなにか、違和感というか不快感というか、そういうようなものを、どうしても拭い去れない。

結局、餃子も特別美味しいわけでもなく、チーズもまたそうであるのに、合わさっただけでちやほやされてしまう、というのが気にくわないのだ。
別段人よりも秀でているわけでもないのに、平凡な能力を二つ持っているだけで優秀・稀有な存在であるかのように見られてしまうのはずるいとか、そういう風に思っているのだと思う。

あれもこれもと手を出すなら、せめて一方、しかしやはり両方共に、一級品の実力を身に付けなければ別に凄いことではない。

そういう風に考える。
アニメの制作が決まるのは放送の随分前。
そして声優のオーディションが行われるのも随分前。
平均して1年ほど前にはキャストが決まっているという。

つまり、Aという声優が売れてきたとファンが思う約1年前からその声優さんが業界でホットになるわけだし、声優さん自身も売れ出した実感を得る。

とあるアニメで大きな役を射止めたり、演技力を見出されたりする。だから売れるようになる…しかし、少なくともそのアニメの放映から1期おいて、あるいは4期以上置いて(世に出る形では)輝き出す。

ギャップがあるのだ。

だから、声優さんに手紙を書くとき、あるいはお渡し会でしゃべるときファンのいう「これからの活躍を期待している」の「これから」はすでに決定している可能性が高い。

ポジティヴに考えれば声優さんは「本当は次のBというアニメ決まってるんだけど、まだ言えない!もどかしい!」と内心思っており、ネガティヴに考えれば「君たちの声援などなくとも私は自力で掴み取れるのだからかなづるの分際で思い上がるなよ」と内心思っていると思われる。

このようなことを考え始めると…お便りは出しにくいのである…

初めてボルダリングに行ってきた。

胸筋、腹筋、足の筋肉、腕力、これらにおいて人にまさるとも劣らない自信はあった。
実際10~7級まではほとんどのコースで(挑戦したコースではすべて)難無くクリアできた。

しかし、6級からは握力がモノを言うようになってきた。

握るという動作を許される箇所が露骨に減り、掴んだり指先を掛けるだけだったりといった動作が求められるようになった。
握力のない自分としてはスタートすらできないコースも多く、なかなか苦労した(結果いくつかの6級コースをクリアすることができた)。

ボルダリングはテストに似ている。
ホールドの位置には必ず、そこに置かれた理由がある。
身長や体格によって、どういう幅で移動できるのかが決まってくる。
すると必然的に行くべき経路が決まってくる。
これが「問題を作った人間が求める解答を考える」プロセスと似ているのだ。
どこにどう体重を乗せるかで、パッと見ただけではわからない関門が浮かび上がってくる。
その関門をクリアするにはどうしたらいいのか、考える。

筋肉バカなスポーツかとおもいきや、ボルダリングは案外知的なスポーツなのだ。

これからも挑戦していきたいと思う。

まずは握力を鍛えるところから始めよう。

2013年の秋、僕とホウクはイウロップを旅した。
海外に行くこと自体は新鮮でないものの、友人とふたりきりで英語圏外に行ってみるというのは、今思えばなかなかにバイタリティのあることだと思う。当時の僕はそう遠くない将来記憶が薄れてしまって、感動したことさえ、あるいは苛立ったことさえ忘れてしまうと思って、時間を見つけてはポメラにひたすら思ったこと、起こったこと、とった行動について書き綴った。

先日、そういえばいつかここに載せるとホウクに約束していたなあと思い出したので、ポメラに眠っていた旅行紀を載せることにする。
なお、読み返してすぐにげんなりしてしまうほどに自分の拙さがにじみ出る文章ではあったが、それも記録として残してもいいだろうと考え、加筆修正はしなかった。読みにくくてもかんべんして欲しい。

それでは。

あの夏へ。






9月13日(金)
天気:日差しのきつい晴れ、雷雨

今日は朝8時半に起きた。緊張していた割に昨日はすぐ眠れたし、今朝はぱっと起きられた。じりじりと過ぎてゆく時間をアニメをみたりマンガ読んだりして潰し、それでも予定の時間を待ちかねて予定より一時間早く家を出た。

結果として早く家を出たのは正解だった。なぜなら僕は昼ご飯を食べる時間を予定に入れていなかったからだ。成田までの直通バスがでる駅まで移動し、近くでオムライスを食べた。

成田でホウクと落ち合ってからチェックインをすませ、すぐに登場口へと移動した。出発時間の二時間半も前に空港に着いたのに、登場口についたときにはもう搭乗が開始されていた。
飛行機に乗り次第すぐに爆睡し始めた僕たちであったが、一時間ほどたったところで機内サービスに起こされた。機内サービスが乗客の睡眠を妨害するなんてことがあるんだと驚いたが、余すところなくサービスを受けられたから良しとしよう。
それからしばらく携帯で遊んだりホウクの履修科目ガイドブックを読んだりして過ごしていると機内食が配られた。ホウクは機内食というサービスの存在に多少驚いていたようだった。僕は海鮮丼、ホウクは牛飯を食べた。

空港について僕たちは困った。乗り継ぎたいが、どうすればいいのかわからなかったのだ。
とりあえず人の流れに乗って移動し空港を脱出することに成功した僕たちはリニアモーターカー乗り場を探した。

どこだ。

あった!

Maglev ってなんだよ・・・無駄にかっこいい。

しかし中国語なんてなにもわからない僕たちはチケットを買うにもかなり難航した。そもそもネットで見つけた「おすすめ上海プチ観光」に載っていた行き先が読めないのでどこに行きたいかを伝えるにも苦労した。
ようやく購入したチケットは片道50元。高い。5500円で300元だったから、50元といえば920円くらい。
ようやくチケットが買えても当然のごとく僕たちの行く先には難が。つまり、どちらのホームのリニアに乗ればいいのかわからないのだ。適当に人の流れに沿ってホームに行き、そこで駅員にもう一度行き先を確認した。彼女はなぜか半笑いでうなずいた。なんで半笑いなんだろう。
それはこのリニアが空港と龍陽路のみをつなぐ電車であったかららしかった。そりゃあホームは一つで足りるし行き先も書く必要がないというものかもしれない。
無事龍陽路についた僕たちだったが、とにかく駅にはその駅がなに駅であるかを示すようなものが何もなく困った。どれだけ自己主張しないんだこの駅は。
どうにかこうにか地下鉄の券売機までたどり着き乗り換えに成功した僕たちは、今度こそしっかりと行く先を示している電車に乗り込んだ。

いやあ、どうにかなったねえ。これで安心だ。

そう放心した矢先、途中の駅でとつぜん車内の電気がすべて消えた。
音の割れたスピーカーから響く声、ほうぼうからあがる怒号、混乱におちいるホーム、説明する駅員に群がる乗客。

世紀末だろこれ・・・

そうこうしている間に向かいのホームに電車が到着し、駅にあふれた乗客はみなその電車に我先にと乗り込んだ。
とりあえず右ならえの精神で僕たちも乗り込む。しかしなにがなんなのか全くわからなかったので、近くにいた英語の話せそうな乗客に事情を聞いた。
どうやら悪天候で電車がそれ以上先に進まなくなったため、引き返す以外の選択肢を奪われたというようなことらしい。

なんで地下鉄が天候に左右されるんだよ。マジで世紀末だろこれ。時が1999年ならパニック起こしてたぞ。

とりあえず飛行機に乗り遅れる事態だけは避けたかったので、すぐに龍陽路に引き返した。味千ラーメンとかいう熊本ラーメン屋を見つけ(ただし日本語は通じない)、そこで腹ごしらえをした。さいわい値段はだいぶ良心的で、ラーメン一杯500円ほどだった。

ちなみにあまり美味しくなかった。

空港に戻りチェックインをすませた僕たちはどうにかこうにか時間をつぶし搭乗開始を待った。

しかしなんだか周りに人が少ない。本当にゲートここであってるんだろうか・・・

ちょっと見てくるね。

そうホウクにいって電光掲示板を確認しに行った僕に、電光掲示板はパリ行きの飛行機は22番ゲートだと告げていた。

えっ16番ゲートってチケットに書いてるのにゲート変更とも書かないで変更されちゃってるわけか。マジか。

驚異の国、中国である。

驚きはその程度では終わらなかった。

飛行機がこないのである。

搭乗時刻も嘘かよ・・・。

外は確かに雷雨であるが、それほどひどい天気とも思えない。こんなことで止まっちまうのかよ・・・。

結局飛行機が着たのは予定時間を二時間も過ぎてからだった。






9月14日(土)
天気:

こどもの金切り声で目を覚ましたところから今日は始まった。前の席に座っている家族がうるさいのである。子供は好き勝手騒ぎまくり、親は止めずにあやすだけ。途中まで我慢していたが、子供が後ろの席、つまり僕たちの席にゴミを投げ込んだところでブチ切れた。
親はそこでようやく自分たちが子供を静かにさせる必要があると気づいたのか、子供をなだめ始めた。その行動に免じてゆるしてやろう。

ホウクとぷよぷよのパクリゲーやテトリスで遊んでいるうちに飛行機はパリに着いた。

空港をでたときすでに時計は10時を回ろうとしていた。ようやくの思いで乗り込んだ列車が北駅について

歩いてYH探した。
近くのカフェでランチ。俺はアボカドとエビの前菜、ダックの胸肉焼き。ホウクはステーキとチョコレートケーキ。
電車に乗ってシャンゼリゼ大通りの近くまで行った。
オベリスクと噴水を見て、シャンゼリゼ大通りを通って凱旋門へ。
凱旋門を見てから電車でマルモッタン・モネ美術館へ。
見終わってからエッフェル塔をみた。
ロダンはあきらめた。
そのあとシャトル広場に移動し、Fショップを探したが見つからず。
途中で傘を買った。
ちかくでパスタを食べた。俺はペンネボロネーゼ、ホウクはビーフラザニア。
メルシーといったらyour welcome.
帰ってきて部屋に入った。
四人部屋。
酒は買ったが飲めず。
予定を確認した。






9月15日(日)
天気:肌寒くもここちよい快晴と、迷子の不安をあおる小雨。

朝食を食べた。
ルーブルに行った。
早く並ぶことができた。
一時間ほどでみたいものを見終わった。
一時間ほどエジプトぶーすをみた。
カフェで食事した。
オルセーを見て回った。
オルセーの方がおもしろかった。
オルセーに傘を忘れた。
オルセーの外でイチゴジャムのクレープとカプチーノ。
ピカソ美術館の場所がわからず、最初は逆の道へ、つぎは道に迷い、通り過ぎ、戻りすぎ、ようやく見つけたら閉まってた。
トイレ行きたさにrepubliqueまで歩いた。
公衆トイレの使い方わからなかった。
そのままFショップへ。
クラークを買った。
テンションあがってもう一つのFショップに行った。
閉まってた。
散歩した。
途中で服を買った。
その後散歩して道に迷った。
どこにいるのかわかったところでカフェでご飯。
パンとスープの前菜に、鳥のもも肉のパプリカソースがけを主食に食べた。

ここで水を注文したり26をいってみたりした。
帰ってきた。
ロビーでグダった。






9月16日(月)
天気:イライラするほどふったっりやんだりする雨

パリを出発した。
電車賃シカトした。
空港で迷子になりかけた。
2GまでN2に乗って8分ほど。
飛行機で爆睡してよだれ垂らした。
チューリッヒの気温は13℃だった。
S Barn とかいう電車の電車賃のはらいかたがわからなかった。
鞄買いまくった。
夜ベルンに移動し、スパゲッティ食べた。
夜は連邦議事堂の裏でチェスした。
部屋は狭くて共同シャワーは汚かった。
家族連れが多かった。






9月17日(火)
天気:思わせぶりな雨、気持ちのいい快晴、何も見えない吹雪。

7時半に起きた。
雨が降っていたのでインターラーケンを観光する予定だったが、雨が上がったので予定通りメンリッヒェンへ向かった。
メンリッヒェンは若干吹雪いていたが、絶景が見えるというハイキングをどうせならしたかったので、装備を間に合わせて歩いた。
ヨーロッパ最高峰のヤングフラウヨッホにも行きたかったが、体力的にも時間的にも厳しかったので断念して下山した。
ベルンに戻ってきてからは文房具屋Warserと酒屋vonFassを見て回った。酒屋には樽がいっぱい並んでいて、それぞれの樽から栓をひねれば酒を汲めるようになっていた。
夜ご飯は駅近くのスイス料理屋で食べた。
チューリッヒに戻ったところで問題が発生した。宿が見つからないのだ。
ここ数日僕の携帯料金で調べていたので、ホウクに調べてもらうよう頼んだらなんだか怒り始めた。
どうすれば機嫌よくなるんだろう。

とにかく、チューリッヒ湖の反対側だと知らずに取ってしまったYHをひたすら目指した。

身震いするような寒さと降りしきる雨の中僕たちはついに最寄り駅についた。
雨に打たれてざわつく湖面を眺めながら僕たちはスーツケースを引きずりながら歩き、YHに到着した。なんの問題もなく部屋に入りたいと思う僕の気持ちもむなしく、またもや問題があらわれた。YHが閉まっていたのだ。EMERGENCYとかかれたボタンを連打すること数分、ようやく中から反応があった。チェックインは10時までだったらしく、もう終わったから入れられないということだった。時計を見ればもう11時を回っている。チューリッヒの駅を10時ごろに出たのだから、どうがんばっても間に合わなかった寸法だ。チェックイン時間なんて知らされてなかったし、僕たちは途方に暮れた。しばしの沈黙ののち、管理人はあきらめたようにちょっと待ってなさいと僕たちにつげ、ドアを開けてくれた。

部屋はふたり部屋で、昨晩のベルンのYHに比べものにならないほど小綺麗だった。僕たちは言葉少なに荷解きをし、寝るための準備を整えた。
部屋でwi-fiが使えたことや、充電器を貸したことが功を奏したのか、しだいにホウクの期限は戻っていった。
しかしほっとしたのもつかの間であった。今度は部屋のブレーカーが落ちたのだ。僕たちの部屋だけではなかった。左右の部屋からなんだどうした、というような声が聞こえてきた。
理由は簡単である。
僕たちがハブで様々なものを充電しすぎたせいである。具体的にはmac book pro の充電器が爆ぜたせいである。
これはまずいとおもい、そのまま僕たちは狸寝入りを決め込んだ。






9月18日
天気:気持ちのよい晴れと、気持ちのよい小雨。

朝起きても電気は復旧していなかった。
チーズとパンの朝食をすませて、僕たちはすぐにチューリッヒ空港を目指した。なんの問題もなく空港についたとき、僕たちは考えるべきだったのだ、ちょっと順調すぎるぞと。ここまでの旅を思い返してみれば、思い通りに行ったことなんてなにもなかったではないか。どうしてここで僕たちは予想外のことが起こると想定しなかったのだろう。
チューリッヒ空港には出発ロビーが2Aから2Gまで7つある。このうち僕たちの向かうべき出発ロビーは2Gだった。看板の表示に従って進む。E,F,・・・
あれっ。
Fの向こうはなかった。というか壁であった。
おかしいな、2Gはこっちのはずなのに・・・。
振り返る。
あれっ。
2Gへの表示が、こちら側からは来た方向を指している。
通り過ぎたのかな?
注意して戻る。しかし2Gというカウンターは存在しない。おかしい。ここで僕たちは焦り始めた。しかし焦ってもしょうがない。とりあえずチェックインをしようと試みた。間違ってたら正しい場所を教えてもらえるだろうという打算があったのだ。しかし場所の訂正はされず、そのままチェックインカウンターへ通された。
なんだ、2Gってのはミスか?
そうではなかった。チェックインかウンターのお姉さんに止められた。どうやら2Gはあるらしい。そしてそれはN2から向かうらしい。英語のあまり話せない彼女からどうにかそれだけの知ると、僕たちはN2を目指した。
なんだN2って。
N2じゃないと2Gにいけないってどういうことだ?
謎が謎をよぶ壮大な旅行スペクタクルである。
10分ほどさまよったあげく、僕たちはN2が何であるか知った。それは2A~Fのある建物と2Gのある建物を繋ぐバスだった。二つの建物はバスの時間距離にして8分は離れていた。
そりゃ歩いて探しても見つからんわ。
ようやく2Gにたどり着いたとき、搭乗までの時間は残り一時間弱しかなかった。あわててPAULのパンを流し込み、搭乗口へ向かった僕たちを待ち受けていたものは、またしても困惑だった。ゲートの表示がないのだ。これでは飛行機に乗り込めない。時刻は搭乗開始の3分前を指している。
まずい。どうしよう。
時間は刻一刻とすぎてゆく。でもゲートはわからない。
おわた。
そう思った。
しかし周りを見渡せば、僕たちと似たようにゲート表示版を見上げる人々であふれていた。そうこうしているうちに表示版の一部にポッと数字が浮かび、待っていた人の一部がゲートに流れていった。どうやら、ゲートはぎりぎりmで表示しない空港らしい。しかもゲートナンバーの表示と同時に bording の表示がついている。
適当すぎんだろ。
結局僕たちの乗る飛行機のゲートが示されたのはチケットにかかれていた搭乗開始時刻の5分後だった。

寝ている間に飛行機はベルリンに到着していた。
ついにドイツである。どんな国なんだろう。
期待に膨らんでいた僕の胸は空港をでないうちにしぼんだ。ベルリンの空港は五角形の環状をしているため、適切な出口からでないといつまでたっても出られないのだ。とりあえず建物から出てみた僕たちを迎えたのは、数え切れないくらいの人が吸うたばこの煙と強面のおっさんたちであった。そのなかに空港職員をみつけた。
よかった、これでどのバスに乗ればいいかわかる。
なんていう期待はすぐに裏切られた。
英語が通じないのだ。
僕はドイツ語非対応である。
おっさんは英語非対応である。
ホウクはドイツ語の語彙はあるものの話せない。
おわた。
またもやそう思った。しかしそういう場面で煌めくのがホウクの冷静さである。淡々とガイドブックを読みなおし、バスの発着案内を見つめ、どうやら黄色い発券器で発券して、2番からでるTXLというバスに乗ればよく、運転手にチケットを見せながら前から乗ればよいのだということを突き止めてくれた。
内容のわからない発券器にもいい加減慣れてきた僕たちはチケットを買い、バスに乗り込んだ。バスが混みすぎていたので運転手に見せらなかったが。

バスから電車に乗り換え、無事YHに到着した僕たちは部屋に行って驚いた。ベッドが一つしかないのだ。
ダブルだかツインだか、そういやよく考えずに部屋取ったよな・・・
しかしまあ、こうなってしまったものはしょうがない。二人部屋であったし、宿としてのサービスはここまでで一番だった。






ベルギーに入る前に日記が終わっている!
確か22日に帰国したはずであるから、最後のドタバタにかまけて日記を書かなかったらしい。
ドイツからベルギーへ向かう電車の話、ベルギーで出会った日本人の話、様々なビールの話、ブリュッセルの街で観たあれやこれや、適当に歩いて迷子になったこと、その後も色々あったし、結局日本の家につくまでトラブルしかおこらなかったわけだが、それについてはまた今度、時間を見つけて記憶から掘り起こそう。できるだけ早いうちにやらなくてはなるまい。

ストレスが溜まったとき、それを打開する方法はどれほど存在するだろうか。

じつはあまりないのではないかと、そう思う。

万人に向く解決策は、恐らく誰一人として解決しない。

自分にあった解決方法を見つけたとき、人は本当にストレスから開放されるのだ。

人のことを想う気持ちって、どうしてこうも暖かいのだろう。

今日は千菅春香さんの誕生日だ。
22日のあいだ、数時間おきにソワソワしては千菅さんのことを考えていた。

自分の誕生日ほど興味がなく、他人の誕生日ほど興味がわく。
自分の年齢ほど興味がなく、他人の年齢ほど興味がわく。

これは不思議なことでも何でもなく、自分の死ほど実感できるものはなく、他人の死ほど悼むものであるのと同じように思われる。

自分がいるかいないか、歳を重ねる速度、そして生き方には、特別なときを除いてべつだん感慨を覚えたりはしない。そして誕生日は特別ではない。1年を過ごしたのだから、歳をまたひとつ重ねるのは当然のことと思う。それに、普段「私」は透明な存在なのだ。こうしてブログを書いている主体が私であり、私は手を動かしてキーボードを叩いているのだと、いったい1年で何回自覚することか(感覚の幽い風景)。そして気づいたところで興味をもったりはしないし、ましてや感動などなおさらだ。

しかし、自分にとって無関心ではない他者がいるのかいないのか、声を聞けるのか聞けないのか、その人を知ってからどれほどの月日が経ったのか(そういう点では他者の誕生日は自分の人生に感慨を覚える特別なときであり、やはり自分にとっては自分のよりも他者の誕生日のほうが特別なのだ)、「他者から見て」特別なこの瞬間を一体どう過ごし何を感じているのか、また1年間をどう過ごしていくのか、とても気になるものだ。

決して千菅さんだけに当てはまることではない。毎年必ず祝う(断っておくが、慣例化しているだけでなく本当にめでたいと思っているからだ)親友の誕生日だって、上記のような関心を寄せてしまう。それは、言葉を重ねるが、本当に「自分にとって」めでたいことだからだ。

あの時あの人はこうしてくれた、こう言ってくれた、あの人と知り合わなければ今の自分はなかった、あの人と知りあえてよかった、あの人が生まれてきて本当に良かった。

他人の誕生日を祝っているようで、結局はその人と知り合えた自分の幸運を祝っているわけだ。
真っ先に心に浮かぶ感傷は、1年間またあの人が健康に過ごせてよかった、これからも幸せな1年を送ってほしいという、当事者を思っての祝いであって、自分本位のものではない、と言うかもしれない。でも、もともとその人が自分にいい影響を与えれくれたから、そのことに恩を感じて、恩返しのような気持ちで相手の幸せを願っているのではないだろうか。


なぜここまで卑屈に考えてしまうのか、もっとも謙遜して言えば、それほど自分の千菅さんを祝う気持ちが純然なものであって、決して自分の益を感じて、あるいは見越しているからではないことを確認したいからだ、ということになるだろう。
実のところ、本当は自分が何を考えているのか、知りたかっただけなのだが。

この議論についてはまだまだ反論の余地がある。今日は眠いのでここまでにしておく。

とりあえず。

本当に千菅さんが生まれてきて、23年間生きてきて、いまの千菅さんであってくれて良かった。これからも1年間、病気にもならず、仕事もプライベートも充実した日々を送ってください。

この気持ちに嘘や偽りや傲慢のないことは、確かである。