僕は閉ざされた場所に住んでいる。
僕だけでなく、きっとあなたも閉ざされた場所に住んでいる。
不可視の、しかし絶対に破れない、社会という壁の内側…あるいはコンパートメントの中で生きる以外、きっと普通に生きる道はない。
ならば、とうぜん人間関係だって限定されてくる。
偶発的な人との出会いを求めるなんて、夢物語もいいところだ。
たとえば合コンやインカレ、何らかのイベントなど意図的な交流会、壁のチャネル的存在ともいえる知人を介する以外に人と知り合う機会なんてそうはない。
しかし果たして、そのような限局的な環境において、本当に自分と馬が合うパートナーを見つけられるのか?
たぶん、7割くらいは合う人が見つかる、と思っている。
全体の7割の人が見つけられるのではなく、自分と7割合う人が1人見つけられる、という意味だ。
日本に関して言うなら、きっとどこの義務教育機関においても似たような社会が構築されているのだ。お調子者がいて、真面目くんがいて、可愛い女の子がいて、かっこいい男の子がいる。一昔前では全国的に放映されている、つまりは大人も口の端に上げるようなテレビ番組を中心とした話題が、ネットの普及した世代においてはネットで持ちきりの話題が、それぞれのコミュニケーションの中核をなしたりするだろう。
だから、というと論理の飛躍になるけれど。
自分と似たようなキャラの奴が、同世代だけでも全国に何千と生み出されているのだ。
似たような境遇に育って、あるいはそうでなくとも似たような思考を持つようになる人が。
そして、似たような嗜好を持つ人が自分の嗜好と近似する要素をもつ同集団内の異性(に限定するが)に「恋をしている」と思うのだ。
浮気はそういうことで起こる。
近似値の高い、あるいは同程度である、もしくは認識していなかっただけでより自分の本来の嗜好に沿う別集団の異性に興味を抱く。
それは仕方のないことじゃないだろうか。
唯一無二だと思っていた存在がそうでないと知れば。
レアリティが下がる――大切に想う気持ちが摩耗する。
どうでもよくなる。
だからつまり、僕が言いたいのはこういうことだ。
自分が好きだと認識している相手が本当に自分にとって最上の相手かどうかは、それを超える存在に出会うまでわからない、と。
結婚という社会的ステータスの関わらないただの恋愛の場合、だから僕はそんなに本気になれない。相手に対しても、恋愛そのものに対しても。
所詮「暫定一位」でしかないのだから。
「あなたのことが誰よりも好き」なのも当然、「こんな気持になったのははじめて」なのも当然。
いままで付き合ってきた、数えるのも面倒なほどの女性たち。
等しく愛を振りまき、好条件の相手が出現すれば捨て、あるいは捨てられ。
そういうゲームに興じるのにもほとほと飽きた。飽きている。飽きてしまう。
興味を持てなくなる。
いっそ、こんなことを考えることもせずに、ただ自分の選択し、自分を選択した異性こそが無上の存在であると、信じて疑わずにいられるほど僕も単純であったならと、思う。
ただ、わがままなだけなのだけれど。