レイニャアクバル | ごまおファンド

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 最近、なるほどと感じたブログを紹介。

 何もないならアッラーを信じればええやん
http://arabic.kharuuf.net/archives/1212

いや、実際のところ、唯一者を信じればそれで良いと思っています。もちろん、唯一者を信じたところで、「群馬のマイタケは危ない」とかそんなことは教えてくれません。もしかすると、どこかの学者がファトワーを出して「三陸沖の魚はハラーム」とか言い始めるかもしれませんが、そんなものはヒゲのオッサンがテキトーに言っているだけですから、我らが主の御言葉でも何でもありません。自分で考えて信用できると思うなら信用すればいいし、そうでなければオッサンの寝言だと思っておけばいいでしょう。
 これはかなりアホな想定ですが、原発(でも何でも)を巡って色んな学者が色んなことを言っていて何が本当か分からない状況で唯一者を信じるというのは、人の言うことを何も信じないのと一緒です。要するに何だかよく分からないのだから、自分で考えて自分の責任において「こんなもんやろ」というのを選んでおけ、という、至って常識的というか、身も蓋もないものです。

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 神を信じる、とは、つまり、己を信じるということなんですね。イスラム教というか、一神教の根底にあるのはいわゆる西欧的な個人主義なんではなかろうか。イスラム教的にいえば、神がいて、それ以外は神の奴隷という位置づけなわけで、つまり、神以外の存在の全ての言説などアテにならないということになるわけですね。だからこそ、神という真理に近づくために科学技術が発展したんでしょうが。神を信じるということは、実はとても哲学的な問いなんだと思いました。一神教徒と日本人は対極の思考をもっていますねえ。ほんと。こういう根本的な思考が社会を発展させるためには必要なんでしょう。