調査内容・日程】
5月29日(金)宜蘭(28℃位➢午前中曇り、午後から次第に晴れ)
● 4:00今朝、コンコンという音で目が覚めた。時計を見たら4時。「誰かがそんなに早起こしたんだね」と呟いてベッドでゴロゴロ。7時に起床。朝一のシャワーを浴びた。
● 7:50一階のロビーに降りた。夜の様子と違い、ロビーは「早点」という朝食の店に変わっていた。お母さんともう1人おばさんが忙しそうに「早点」を作っていた。美味しいそうな「土司?(サンド)」10元、「蛋餅」18元、「羅葡糕」25元、「豆漿/乳」12元、「緑豆湯」、「生煎包」、「煎餃子」などの朝食がいっぱい並んでいるのを見て、「わぁ~」と大興奮の私。「いいなぁ~、よし、みんな食べてみよう。」店には、もう3、4名のお客さんが美味しそうに食べていた。持ち帰りのお客さんが「早点」を買って、足早に立ち去った。私はまず一つずつ「早点」を取って食べてみて、口に合うなら、また取りに行くやり方にした。何回も往復して食べ物を取り、やっと満腹になった。お母さんが計算して、「なんだ、まだ40元(120円)だよ。もっともっと沢山食べて」とおっしゃったが、「満腹だ。これ以上食べ切れないよ。もう胃袋の限界だ」といい、お礼を述べておいとました。
● 8:30お母さんの息子さん、即ち陳さんの旦那さんは林さんという。林さんが奥さんの代わりに私を駅まで見送ってくださった。駅に行く前、ちょっと病院に寄ってくれないかとお願いした。この2、3日、訳が分らないが、右足の親指が痛くて腫れている。自分が持っている薬を塗ったが、よくならない。今朝、シャワーしてから、もっとひどくなっていた。これ以上我慢できないので、先生に診てもらわないと。病院は連休中なので、近くの個人治療所を訪れた。台湾では「全民保険」という医療保険が充実しているので、国民がほとんど無料で治療できる。個人負担は高額になるということである。林建漳さんが貧乏な留学生の私の治療費を心配して「女房(陳さん)の保険証を借りてあげるよ」といった。ご好意はありたいが、「訛りが違うから、台湾人ではないことは先生にすぐばれるよ」といってお断りした。
● 9:00治療所の医師が甲溝炎(嵌入爪炎?)と診断した。足が高度的に化膿していて、爪を摘出する手術をしないと治らないとおっしゃったが、手術の恐怖症が罹った私は、「日本に帰ってから手術する。今は歩けるようにしてください」とお願いしたが、医師に「無理だ」ときっぱりと断られた。さらに、手術しないとますます悪化して、今夜から発熱反応し、明後日、空港に行ったら、インフルエンザと誤解され、隔離される恐れがあるという。怖い話しばかりだ。納得して手術を受けた。10分間くらいで終わる小さな手術と思ったが、そうではなかった。麻酔の注射も打ったが、生まれて始めて痛みが頭にまで着た。痛みに弱い私は涙だらけで思わず大声で叫んだ。煩い患者の私に、なんと医師は手術しながら鼻歌を歌っている。大騒ぎして取り乱して恥ずかしかったが、医師の態度に腹が立った。立腹しても仕様がない。患者は弱い立場である。多分、大陸の私に差別したと思ったが、林さんの話では、この医師の性格で、自分も叱られたこともあるといった。診断書と薬をもらって、治療代の合計約1000元。途中、靴屋に寄って、スリッパ(199元)を買って懐郷園に戻ってきた。
● 10:00陳秋女さんは怪我した私を見て、驚いていた。事情を説明して、午後の台北への帰りを変更する。痛みがまだまだ続いていた。屋外で、洗濯している林さんに話しかけた。国共(国民党、共産党)内戦で共産党党員が国民党に逮捕されて、受刑者の足に釘を打つシーンが映画によく出ていた。その時、共産党党員が肉体の痛みにどんなに忍耐力が必要なのか。いくら信念が支えていても、私なら、受刑されれば、すぐ叛徒になってしまうかもしれないと冗談交じりに話した。
① 陳さんの子供が飼っている豆々という子犬が遊びにやってきた。偶然、ワンちゃんの名前は私のニックネームと同じである。母親は竇という苗字で幼い時から、私は豆類が好物なので、嘗て「豆々」と呼ばれた。生後1ヶ月ぐらいの真っ黒の「豆々」は目がくるくるとしていて、体が丸々と可愛かった。それから園内で黒豆々と散歩もした。犬歳の私はワンちゃんと仲良しなのだ。
② 3人の子供が次々と帰ってきた。長女の林ちゃんがお母さんの手伝い(客室の掃除)をした。いい子だと思って、お小遣い(祝儀)1000元をあげた。正直な詩庭ちゃんが嬉しそうな顔をして父親の林建漳さんに報告したが、結局、お父さんは娘さんを連れて、返金しにやってきた。祝儀の封筒だけ娘さんにあげた。これは予算内のお金でほんの気持だから、ぜひ受け取ってほしいと説明したらやっと理解してくださった。
③ 懐郷園の経営は陳秋女さんが一人でやっている。人件費を抑えるために従業員は雇っていない。お昼を食べた後、部屋の掃除がまだ終わっていない。もうすぐお客さんが戻ってくるので大変だった。家族全員で協力し合って掃除をやり終えることができた。かつて、私は高級ホテルの客室管理の仕方を習得した経験があったので、どんな風に客室を管理して合理化を図ればよいのかということについてアドバイスもした。
④ 懐郷園は田圃で囲まれている。野菜は自分で作って食べている。野菜を取りに行く手伝いしたいが、足が不自由なので止めた。今度、時間があったら、畑仕事のお手伝いをしてみたい。都市生まれの私にとっては、のんびりした田園生活はとても魅力なのだ。それから、自転車に乗って、賴さんの自宅と二龍村村弁公処に行った。今回の調査で大変お世話になった賴さん、村長と何さんに感謝とお礼を申し上げた。何さんに淇武蘭のTシャツをいただき、ついでに洲仔尾のTシャツ(300元)を買った。
● 16:30宜蘭に来る時、駅の切符が売り切れていたが、台北に帰る時は切符があるかどうか心配だったが、林さんは「心配しないでよい、買ってあげるから」と話された。実は、林さんは宜蘭駅の副駅長なのだ。「今度、遊びに来る時は声を掛けてくれれば、なんとかしてあげるよ」といってくれた。林副駅長のお蔭で、足の不自由な私は快適に座れた。列車が思いのほかに込んでいて、廊下で座席番号を持っていない乗者は立ちっぱなし。駅員が淇武蘭のTシャツを着ている私を見て、「昨日(龍舟競漕に)勝った?」と聞かれたので、「勿論、勝ったよ」と(私が)自慢げに返事した。無事順調で台北駅に到着した。
* 礁渓➠台北 自強号(1056)17:33発車~19:00到着 9車29号(205元)台湾鉄路局
● 19:30台北国際青年会館のロビーで、林さんが私の預けた荷物を持って、私の到着を待っていた。足が不便の為、隣の新光三越ビルの地下の飲食街で食事した。食事が済み、林さんが怪我をした私に慰問金(660元、6は縁起のよく順調の意味を表す)をくださった。大金ではないが、感激の気持でお守り金としていただいた。お礼として林さんに食事をご馳走した。優しい林賢亮さんに感謝!
● 11:00今夜は8人のベッドで6人が泊る。12時過ぎでもまだ3人が帰ってこない。1時に隣の若者が急に窓を開けた。疲れて寝たばかりの私は風に吹かれて目が覚めた。手術した後、「風邪を引かないように」と医師に注意されたのに、寝ついて間もなくして、起こされたので、機嫌が悪くなった。加えて、洗っていない臭いのする運動靴と汚い靴下を窓の台で干すのにも我慢できなかった。「靴をロッカーに入れてちょうだい」と注意した。彼女はぶつぶつと台(湾)語で喋りながら、靴をロッカーに収納した。1時半に1人帰ってきた。4時になって、2人がやっと帰ってきた。眠たいが隣の若者の鼾でなかなか寝られない。ベッドで寝苦しい思いをするより、起きた方が楽だと思ったので、起き上がってカウンターに行き、受付係に苦情をいった。それから、夜が明けるまでインターネットで時間を潰した。ついでに妹にメールして台湾で満喫していることを伝えた。








