調査内容・日程】

5月29日(金)宜蘭(28℃位午前中曇り、午後から次第に晴れ)

4:00今朝、コンコンという音で目が覚めた。時計を見たら4時。「誰かがそんなに早起こしたんだね」と呟いてベッドでゴロゴロ。7時に起床。朝一のシャワーを浴びた。

7:50一階のロビーに降りた。夜の様子と違い、ロビーは「早点」という朝食の店に変わっていた。お母さんともう1人おばさんが忙しそうに「早点」を作っていた。美味しいそうな「土司?(サンド)」10元、「蛋餅」18元、「羅葡糕」25元、「豆漿/乳」12元、「緑豆湯」、「生煎包」、「煎餃子」などの朝食がいっぱい並んでいるのを見て、「わぁ~」と大興奮の私。「いいなぁ~、よし、みんな食べてみよう。」店には、もう3、4名のお客さんが美味しそうに食べていた。持ち帰りのお客さんが「早点」を買って、足早に立ち去った。私はまず一つずつ「早点」を取って食べてみて、口に合うなら、また取りに行くやり方にした。何回も往復して食べ物を取り、やっと満腹になった。お母さんが計算して、「なんだ、まだ40元(120円)だよ。もっともっと沢山食べて」とおっしゃったが、「満腹だ。これ以上食べ切れないよ。もう胃袋の限界だ」といい、お礼を述べておいとました。


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8:30お母さんの息子さん、即ち陳さんの旦那さんは林さんという。林さんが奥さんの代わりに私を駅まで見送ってくださった。駅に行く前、ちょっと病院に寄ってくれないかとお願いした。この2、3日、訳が分らないが、右足の親指が痛くて腫れている。自分が持っている薬を塗ったが、よくならない。今朝、シャワーしてから、もっとひどくなっていた。これ以上我慢できないので、先生に診てもらわないと。病院は連休中なので、近くの個人治療所を訪れた。台湾では「全民保険」という医療保険が充実しているので、国民がほとんど無料で治療できる。個人負担は高額になるということである。林建漳さんが貧乏な留学生の私の治療費を心配して「女房(陳さん)の保険証を借りてあげるよ」といった。ご好意はありたいが、「訛りが違うから、台湾人ではないことは先生にすぐばれるよ」といってお断りした。

9:00治療所の医師が甲溝炎(嵌入爪炎?)と診断した。足が高度的に化膿していて、爪を摘出する手術をしないと治らないとおっしゃったが、手術の恐怖症が罹った私は、「日本に帰ってから手術する。今は歩けるようにしてください」とお願いしたが、医師に「無理だ」ときっぱりと断られた。さらに、手術しないとますます悪化して、今夜から発熱反応し、明後日、空港に行ったら、インフルエンザと誤解され、隔離される恐れがあるという。怖い話しばかりだ。納得して手術を受けた。10分間くらいで終わる小さな手術と思ったが、そうではなかった。麻酔の注射も打ったが、生まれて始めて痛みが頭にまで着た。痛みに弱い私は涙だらけで思わず大声で叫んだ。煩い患者の私に、なんと医師は手術しながら鼻歌を歌っている。大騒ぎして取り乱して恥ずかしかったが、医師の態度に腹が立った。立腹しても仕様がない。患者は弱い立場である。多分、大陸の私に差別したと思ったが、林さんの話では、この医師の性格で、自分も叱られたこともあるといった。診断書と薬をもらって、治療代の合計約1000元。途中、靴屋に寄って、スリッパ(199元)を買って懐郷園に戻ってきた。

10:00陳秋女さんは怪我した私を見て、驚いていた。事情を説明して、午後の台北への帰りを変更する。痛みがまだまだ続いていた。屋外で、洗濯している林さんに話しかけた。国共(国民党、共産党)内戦で共産党党員が国民党に逮捕されて、受刑者の足に釘を打つシーンが映画によく出ていた。その時、共産党党員が肉体の痛みにどんなに忍耐力が必要なのか。いくら信念が支えていても、私なら、受刑されれば、すぐ叛徒になってしまうかもしれないと冗談交じりに話した。

① 陳さんの子供が飼っている豆々(トォトォ)という子犬が遊びにやってきた。偶然、ワンちゃんの名前は私のニックネームと同じである。母親は(トォ)という苗字で幼い時から、私は豆類が好物なので、嘗て「豆々」と呼ばれた。生後1ヶ月ぐらいの真っ黒の「豆々」は目がくるくるとしていて、体が丸々と可愛かった。それから園内で黒豆々と散歩もした。犬歳の私はワンちゃんと仲良しなのだ。

② 3人の子供が次々と帰ってきた。長女の林ちゃんがお母さんの手伝い(客室の掃除)をした。いい子だと思って、お小遣い(祝儀)1000元をあげた。正直な詩庭ちゃんが嬉しそうな顔をして父親の林建漳さんに報告したが、結局、お父さんは娘さんを連れて、返金しにやってきた。祝儀の封筒だけ娘さんにあげた。これは予算内のお金でほんの気持だから、ぜひ受け取ってほしいと説明したらやっと理解してくださった。

③ 懐郷園の経営は陳秋女さんが一人でやっている。人件費を抑えるために従業員は雇っていない。お昼を食べた後、部屋の掃除がまだ終わっていない。もうすぐお客さんが戻ってくるので大変だった。家族全員で協力し合って掃除をやり終えることができた。かつて、私は高級ホテルの客室管理の仕方を習得した経験があったので、どんな風に客室を管理して合理化を図ればよいのかということについてアドバイスもした。

④ 懐郷園は田圃で囲まれている。野菜は自分で作って食べている。野菜を取りに行く手伝いしたいが、足が不自由なので止めた。今度、時間があったら、畑仕事のお手伝いをしてみたい。都市生まれの私にとっては、のんびりした田園生活はとても魅力なのだ。それから、自転車に乗って、さんの自宅と二龍村村弁公処に行った。今回の調査で大変お世話になったさん、村長と何さんに感謝とお礼を申し上げた。何さんに淇武蘭のTシャツをいただき、ついでに洲仔尾のTシャツ(300元)を買った。

16:30宜蘭に来る時、駅の切符が売り切れていたが、台北に帰る時は切符があるかどうか心配だったが、林さんは「心配しないでよい、買ってあげるから」と話された。実は、林さんは宜蘭駅の副駅長なのだ。「今度、遊びに来る時は声を掛けてくれれば、なんとかしてあげるよ」といってくれた。林副駅長のお蔭で、足の不自由な私は快適に座れた。列車が思いのほかに込んでいて、廊下で座席番号を持っていない乗者は立ちっぱなし。駅員が淇武蘭のTシャツを着ている私を見て、「昨日(龍舟競漕に)勝った?」と聞かれたので、「勿論、勝ったよ」と(私が)自慢げに返事した。無事順調で台北駅に到着した。

礁渓台北 自強号(1056)17:33発車~19:00到着 9車29号(205元)台湾鉄路局

● 19:30台北国際青年会館のロビーで、林さんが私の預けた荷物を持って、私の到着を待っていた。足が不便の為、隣の新光三越ビルの地下の飲食街で食事した。食事が済み、林さんが怪我をした私に慰問金(660元、6は縁起のよく順調の意味を表す)をくださった。大金ではないが、感激の気持でお守り金としていただいた。お礼として林さんに食事をご馳走した。優しい林賢亮さんに感謝!

● 11:00今夜は8人のベッドで6人が泊る。12時過ぎでもまだ3人が帰ってこない。1時に隣の若者が急に窓を開けた。疲れて寝たばかりの私は風に吹かれて目が覚めた。手術した後、「風邪を引かないように」と医師に注意されたのに、寝ついて間もなくして、起こされたので、機嫌が悪くなった。加えて、洗っていない臭いのする運動靴と汚い靴下を窓の台で干すのにも我慢できなかった。「靴をロッカーに入れてちょうだい」と注意した。彼女はぶつぶつと台(湾)語で喋りながら、靴をロッカーに収納した。1時半に1人帰ってきた。4時になって、2人がやっと帰ってきた。眠たいが隣の若者の鼾でなかなか寝られない。ベッドで寝苦しい思いをするより、起きた方が楽だと思ったので、起き上がってカウンターに行き、受付係に苦情をいった。それから、夜が明けるまでインターネットで時間を潰した。ついでに妹にメールして台湾で満喫していることを伝えた。

ペタしてね




【調査内容・日程】


5月28日(木)宜蘭(28℃位曇りのち雨、降ったり止んだり。日中晴れたり曇ったり)

0:10慌ただしい中で、日付が変わった。社区(公民館)の関係者の林国勇さんに送ってもらった。彼は宜蘭の出身で二龍村の夜道があまり分らないので、車がぐるぐる道を迷ってしまって、やっと無事に懐郷園に着いた。今日、6時の祭典科儀(祭祀儀礼)があるので、5時40分に私を迎えに来ると約束して帰っていった。「お疲れ様」。

1:40温泉風呂は気持が良さ過ぎるので、ついに風呂で寝ってしてしまった。温泉に滑り込んで溺れそうになったところで、目が覚めた。危ないから、さっさと風呂から立ち上がった。目覚ましがちゃんと鳴るかどうかをチェックして、明日は予定通り調査できるかどうかをいろいろ心配していた。ますます眠れなくなった。トイレに行ったり、応接間にお水を取りに行ったりして、すると3時となった。3時に過ぎてもまだ寝られない。4時になってやっと寝つけた。5時直前、急に目が覚めて、パッと携帯を見たら、もうしまった!6時になったとびっくりして、慌ててベッドから起きた。一気に服を着て、ぱたぱたと階段から降りた。あまり音が大きいので、陳秋女さんも起きてしまい、「どうしたの?」と聞かれた。「失敗だよ。寝すぎて、迎えてくれる人が多分行ってしまったのではないか」と勘違いしてしまったのだ。陳さんは「大丈夫だよ。まだ、5時だから。」「ヘェ?」ちゃんと携帯を確認したのに。日本時間と間違いしてしまった。悔しいと思いながら、陳さんにお詫びしてから、部屋に戻った。

5:50林国勇さんの車が着た。林さんは疲れた顔をしている。「元気がないね。どうしたの?また迷子になったの?」と聞いたら、「お家に帰って、寝ていないから」との返事。今日の展示物の設計図がまだ終わっていないため、徹夜で頑張って仕上げたという。「よく頑張ったね」と褒めてあげた。今日は下庄(下の村)洲仔尾の祭祀儀礼の見学に連れていってあげると言った。上庄(上の村)淇武蘭は類似の儀礼をする。昨年は、社区用の下庄淇武蘭の写真を撮った。今年は、上庄洲仔尾の写真を撮影することになる。村民の話では、洲仔尾のほうが面白いそうだ。「僕に付いて来い」と林国勇さんがいった。それでは、「宜しくね」とお願いした。

6:05間もなく下庄洲仔尾の村民の儀礼が始まる。台北からやってきた撮影軍団はもう10何名か集まって、開始を待っている。儀礼が始まって、撮影軍団のある男性が映画監督のような態度で、儀礼をしている被写者(村民)にこうしなさい、ああしなさいと煩く指導した。村民に対して大変失礼だし、邪魔されたと思う。村の神聖な祭祀儀礼の現場で他人が演出をすることは失礼で、やってはいけないことなのだ。他所の私達がやってきて、村の方々に迷惑を掛けていることを知らず、村の方々が祭祀儀礼を見せてくれるのはどんなに恩恵を与えてくれているのかを理解してほしい。どうしても私は我慢できなくて、邪魔な男性に「監督はお上手ね!」と皮肉の口調でいったが、私の言っていることの意味は全然分っていないようだった。「どんな風にやるか、次に何をやるか僕がよく知っているから、ここで何回も見たんだもの」と自慢しそうにべらべら喋っていた。林国勇さんも私たちの会話を聞いて、多分、私と同様にずっと我慢していたと思う。林さんはつい堪忍袋の緒が切れてしまった。口喧嘩が爆発した。撮影軍団は男性の味方になった。台(湾)語がちっとも分らないが、お互いの表情を見てなんとなく分る。私は喧嘩の止めに入った。やっと向こう側は自分の悪いことに気が付いたようで、抑えるようになった。「林さん、ごめんね」
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6:00 ①祭祀儀礼 ②舟の調整が無事終了。(省略、調査報告書に纏める)

7:20 下水儀礼 ①爆竹 ②銅鑼敲く ③舟浮かべ ④舟に童子(男の子) ⑤献紙

8:00 二龍村村弁公処の展示室で赤紙に「譲礼一寸 得礼一分」を掛けてある。

(書者は童子・男子中学生)

中国伝統思想=土着信仰(儒教)

深い文化の内面の意義

9:30 ①龍舟の展示現場で ②龍舟(船)公と龍舟(船)婆に贈り物 ③伝統武術の披露 ④祥獅献瑞の披露 ⑤献紅包(祝儀) ⑥紙銭を焼く

10:00 龍舟競渡の体験組(龍舟競漕の体験)番号は11-(1)

* 礁渓郷公所の職員の勧めで申し込んだ。

郷公所の婦人会(男女混合チーム)に編入された。

漕ぎ手の人数が決まっていない。

漕ぎ手は全員が救身衣を着ること。

郷公所が漕ぎ手の全員に生命保険の加入手続をしてくれた。

体験舟上では、皆さんが楽しそうに冗談交じりで喋っている。私達の舟は母舟といい、向こうの舟は公舟という。

体験舟は誰でも乗れるが、伝統的な競渡舟には女は乗ることができないし、触ることもできない。競渡舟を見たら回避する(遠い廻し)。そうしないと不吉だからという禁忌がある。

スタート。一所懸命に漕ぐが、うまく漕げないので、前のおばさんの櫂にぶつけてしまい、文句を言われた。

一回戦で礁渓郷公所の職員(男女混合チーム)が勝った。私たちは2位となった(実際には負けた)負けても参加賞品がある。

郷公所民政課の課長が、わざわざ琉球からやってきて負けた私に、特別に勝ったチームにあげる賞品(礁渓二龍競渡のTシャツ)と2位の賞品(豚のソーキ燻製)をくださった。2位の賞品をお土産として陳さんにあげることにした。

環境保護のイベントデスクでゴミ分類のミニテストがある。全問回答が正しいなら、賞品は石鹸2枚もらえる。郷公所の職員に連れられて参加した。嬉しいことに、全問回答が正しいとは思わなかったが、お負けで、また石鹸2個をゲットした。懐郷園に戻って、石鹸も陳秋女さんにあげることにした。

12:00二龍村村弁公処から職員弁当をいただいた。開けてみたら、ハンバーグ弁当だ。ハンバーグは苦手なので、無理やり林国勇さんの魚弁当と交換した。祭りの屋台へ揚げ臭豆腐と田螺炒めを買いにいった。そして林さんと静かな所で食べながら話しをした。私より3歳年下の林さんは何年間も付き合っていた彼女と別れたばかりだという。原因は同居していたにもかかわらず、彼女が結婚しようとしないので別れたようだ。彼にとっては大変辛そうな失恋の話であった。「私は卒業しないと恋なんかしないよ」と話した。「同病相連」という熟語があって、可哀想な二人は心の距離が縮まるような気がした。

13:00いよいよ本場の伝統競渡が始まる。二龍村の上庄淇武蘭と下庄洲仔尾が3回目で競渡する。2回目の時、気紛れに雨がしとしと降り始めた。そのため「奪標」という勝利旗を取る状況が遠くてよく見えないので、雨の中で、林国勇さんが私を連れて本部の観礼席(要人と関係者の席)から降りて、河の岸へ移動する。既に10何名の撮影家が待機していた。二人はその中に割り込んだ。競渡することを待っている間、ある撮影家が声をかけた。大陸の私が台湾に来られることがとても珍しくて、「彼氏(林さん)が招いてくれたのでしょう?」と私に聞いた。「違います」と林さんが替わりに応答した。恥ずかしそうに赤面した男をちょっと可愛いと感じた。私は誰かにどう言われようと、全然平気だから。

14:00 郷公所の李志傑さんを通じて、文史研究者の林さんを紹介してくださった。林錦賢さんには二龍競渡の現場でテレビの生中継が終わってから、二龍競渡に関するインタビュー(聴き取り調査)に協力していただくことにした。

14:40競渡が終わる。「遊河」という河の周りを廻って、観衆にお礼をする。その時、上庄洲仔尾の漕ぎ手が赤い布で横幅という横立ての掛け軸のような物を開けた。なんと「劉我愛請嫁給我(劉さん、愛しているよ。結婚してください)」と書いてある。会場の両岸、「わぁ~」と歓声が波のように湧き上がった。皆の気分が一気に盛り上がっていた。「こんな場所で、冗談じゃないか?劉は誰?」と思わず言ったら、隣の誰か「冗談じゃない。本気なことなのよ」と返事した。その時、遠くの観礼台で女性が手を賑っていた。「ほら、見て、劉は観礼台にいるよ」と誰か言った。遠くてはっきり見えないが、確か、劉さんがいるはずだ。林国勇さんは、男として二龍村の祭り現場でプロポーズした漕ぎ手の勇気に感心していた。「この二人はその後、どうする?」と尋ねた。「きっと結婚するよ。皆が祝福してあげるから」と隣の方が返事をしてくれた。女として「羨ましいなぁ~」と私も感心した。「あなたならば、こんな風なプロポーズされて、どうするの?」と聞かれて、「きっと結婚してあげるよ」と私はきっぱりした態度で答えた。本当におめでたいことだ。お二人は今日の出来事を忘れずに幸せな家庭を作ってください。


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15:00二龍村村弁公処の展示室で林さんは生中継収録後、地域の関係者の取材を終えて、2時間程聴き取り調査を協力してくださった。林さんは地域研究者として、10何年間をかけて二龍競渡の研究を続けているという。そして林錦賢さんは地元の研究者の責務として、代々継承している文化に誇りを持ち、基本的に歴史を忠実に記録して、事実を人々に伝えるべきではないかと言った。現在は、郷政府では観光と地域文化を宣伝するため、事実を歪めた言論が沢山出ている。林さんは長年の調査結果で、良し悪しを問わず、歴史を忠実に記録し、事実を人々に伝えることを理解してもらいたい、間違えた言論を訂正してもらいたいと強く訴えていた。

二龍村の舟漕ぎ儀礼でもう一つ重要な機能的意義は、相親(恋人を探す)の役割があるという。今日、見た二龍競渡の現場でプロポーズのシーンは古風な延伸と考えられる。

(詳しい聴き取りの調査内容は(2)調査編に纏める)。

17:30「龍舟祭典儀式曁扛船下水典礼」。淇武蘭の現場で龍舟を龍舟厝(龍舟専用の収納屋)に収める儀式を見学した。

① 端午節にお水で龍舟を洗う。(特別な意義と思われる)

② 漕ぎ手が龍舟を担いで龍舟厝に収納する。

③ 龍舟を龍舟厝で大事に安置する。

龍舟厝の対聯

上聯 「二木成舟聊学楚国之俗」 訳:二木で舟に成り、楚国の習俗を学ぶ。

下聯 「龍争虎斗因施屈原誠忠」 訳:龍攘虎摶し、屈原が忠誠を尽くした。

横批(中央)「渡 風調雨順 吊忠魂 国泰民安」 

礁渓二龍村の二龍競渡は、号令者無し、スタートライン無し、太鼓の音も無しの裁判員も無しの「試合」である。競漕する二つのチームがお互いに舟の舟尾が同じかどうかをチェックし合う。そして、銅鑼を叩いて、競漕がスタートする。銅鑼の音がすれば、一回の競漕を数える。もし、どちらかのチームのスタートが遅い場合には、銅鑼を叩くのを止めて、中途半端になっても一からやり直すという競漕ルールである。150年あまり古い歴史を持つ二龍競渡は、二龍村の上庄淇武蘭と下庄洲仔尾の村民が老大公(龍舟公)と老大媽(龍舟婆)或いは好兄弟(水死者)という魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)を祓う為に行われている。現在では、二龍村の重要な年中行事の一つでなり、伝統的な風習となっている。二龍競渡村民の心と心を緊密に繋いでいる。また、二龍村の人々としてのアイデンティティを強化する役割も果たしている。2001年に台湾の10大伝統民俗祭りの一つとなり、重視されている。二龍競渡代々傳」(二龍競渡は代々伝承していく)。


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18:00 淇武蘭の二十世(代)賴さん(1947年生)の自宅で、二龍競渡の龍舟厝の保持者賴さんとの対談。賴さんが出資して、今年の5月出版したばかりの『礁渓 二龍龍舟競渡活動略述 譲礼一寸 得礼一分』を3冊いただいた。端午節の家宴に誘ってくださったが、ご好意に感謝して、総幹事の何政儒さん宅の招待に行くことにした。夜(日が暮れる)になると、龍舟厝の前では歌仔戲(地方劇)の公演があるので、「ぜひ観に来るように」と賴さんが誘ってくださった。

18:30林さんがわざわざさんのお宅に迎えに来てくれたので、一緒に何さんのお宅に行く。何さんの自宅前で、彼の若い奥さんと出会った。奥さんはもう妊娠8か月で、男の子が誕生するという。従姉の赤ちゃん(10か月)を抱っこして、お母さん体験で赤ちゃんにミルクをあげていた。元気な女の子で、食欲旺盛で満足そうにミルクを飲んでいた。飲み終わったら、機嫌よくにっこりと笑っていた。とても可愛いので、ご飯を食べにくることを忘れ、赤ちゃんを抱っこして遊んだ。何さんと林さんに何回も催促され、ミルクの香りがする赤ちゃんとお別れして、お家に入った。「お待たせしました」と皆にお礼した。

18:50いよいよ宴の開始。何政儒さんは皆の前で林国勇さんと私が力合わせて、社区の仕事を手伝ったことを褒めてくれた。ご褒美として招待されたのだ。何政儒さんのお母さんが作った「母の味」の家庭料理に舌鼓を打つ。川の中で獲れた新鮮な二龍河限定(笑)、お皿いっぱいの大きいな魚のメイン料理を皆が食べた。白身の魚で甘くて上品なお味。最後に骨に付いているお肉は林国勇さんが片付けた。端午節の家宴はとても楽しくて料理もなかなか美味しい。

20:00龍船厝から戻ってきて、歌仔戲の舞台演出を観た。5、6人の俳優が舞台で劇を演じているが、3、5名の観衆しか観ていない。「えぇ?人が寂しいな、勿体ない」と思った。先程の賑やかな光景とは全然違う。舞台の写真を撮って林さんに聞いてみると、「この劇は神様の為に演じるから、人は見ないよ」といった。私は納得した。その後、この件について文史研究者の林錦賢さんに確認した。昔は、村民が舞台の劇を楽しんで観たが、今は龍舟の片付けた後、皆が、自分のお家でテレビやカラオケなどを楽しんでいるということだ。


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20:40 林さんに懐郷園まで送ってもらった。車の中で別れたのが辛かった。今回、無事順調に調査できたのは、林さんが大変お世話をしてくれたお蔭である。早朝、迎えに来てもらったり、夜は宿泊先まで送ってもらったりして、いつも側にいて支えてくれて、林さんがいるから安心できた。困った時には、すぐ助けてくれた。恋人関係ではないが、彼氏のように守ってくれたことに対し、心から感謝する。名残惜しいが、中国では「天下没有不散的宴席」世の中では、上がらない宴がないという俗語がある。私は林さんに「早く新しい彼女(運命の人)が見つかったら、人生が面白くなるよ」と祝福していた。彼は私に「さよならといわず、縁(運命)を信じる」といった。「袖振り合いも他生の縁」(一期一会)。なかなか微妙な時に、懐郷園のオーナーの陳秋女さんが外に出てきて、お客さんを見送る。それから、止まっている車を見ていた。私は誤解されないように車から降りた。陳さんから「送ってくれた男の人はお知り合いですか」と心配されそうな口調で聞かれた。「知らないはずがないでしょう。彼は社区の関係者で林国勇さんという。この2、3日二人でペアを組んで、社区の手伝いの仕事をしたよ」と返事して、お家に入った。何だか陳秋女さんはお母さんのような気がする。

20:46又吉先生からお電話が入った。近況報告。先生に安心していただけるように最後まで頑張る。台北での最後の日、31日に故宮博物院で合流すると約束した。「ご心配を掛けてご免なさい」。

● 21:20荷物を持って、懐郷園から陳さんの旦那さんのお母さんの民宿へ移動。今日は端午節で懐郷園はもう大満員で、私が今日予約した時には、他のお客さんが既に予約してあった。車で10分もかからない所にあるお母さんの民宿に送ってもらった。広いツインベッドで、同じ値段で一泊1000元。お母さんは台湾語しか話せない。少しだけ国語(標準語)が分る。お母さんに挨拶してシャワーを浴びた。上がってから下着を洗濯している私を見て、お母さんがハンガーを持って来てくれた。そして、ベランダの干し場まで案内してくださった。お互いに言葉は通じらないが、心は通じる。よく気が付くお母さん。「ありがとうね」。

● 11:00ベッドの中でふわふわした毛布を掛けて、インタビューした録音を聞きながら、資料を読んでいた。いつの間にか知らず知らずの中にぐっすり寝込んでしまった。


【調査内容・日程】


5月27日(水) 台北(28℃位曇り時々小雨、終日じめじめ、風弱し)

8:30起床。目が覚めると、相当蒸し暑く感じる。胸の周辺、腿の内側にインファント湿疹が出ている。

9:40国立博物館に寄る。10時に開館という。台北の朝は遅い!二二八平和公園を抜けたら、総統府が目前にある。

10:00総統府前に着いた。素晴らしい建物であるが、警備が非常に厳しいそう。近くで写真を撮るなと注意されたので、遠く離れた所からこっそり写真を撮った。この建物は日本人により設計され、戦後、中華民国総統府となっている。館内の一部分が見学可能というので急いで申し込んだ。安全検査は日本の国会議事堂よりかなり厳しくチェックされた。手荷物などは一切持ち込み禁止。

案内係員は義工というボランティアをしている年配の方で、林賢亮さんというガイドが笑顔で私達グループ7名を迎えてくれた。府内の説明が分り易く、お洒落で、すぐ私達の心を掴んだ。褒めてあげると、もっと詳しく紹介してくれた。途中、私が質問して、答えられなかった分は、宿題として調べた結果をメールで知らせてくれるという。仕事に対する熱心さに感心した。林さんは台湾で生まれ育ち、正真正銘の内省人という。気が付いたら、もう11時半になっていた。急がないと。午後2時半宜蘭に行く予定。

総統府員工消費合作社(総統府内部の店)で、外で売っていない総統府限定の真空ケータイマグカップ3つと、総統府の府紋に付いたネクタイ2本を購入した(合計1,370元)。日本よりずっと安い。真空ケータイマグカップやネクタイは、店員は勿論のこと、馬(英九)大総統を始めとして、職員も使用しているということだった。総統府の好い記念品である。

11:35総統府と別れた時、ガイドの林賢亮さんと名刺交換。林さんはよかったら、私が台北にいる間、時間を作って案内してくれると話していた。嬉しいことだが、欧米化した林さんの気さくな性格が行過ぎて、初対面の私には過度な親切で困ってしまった。ご好意はかなり意外だった。ちょうどお昼の時間なので、お礼としてご都合がよかったら、一緒にご飯でも如何?と林さんを誘った。喜んでOkしてくれた。林さんは退勤手続が終わってから、12時10分総統府前の電話ボックス前で待ち合わせを約束した。その間、私は近くの中山堂を見物した。

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12:20林賢亮さんが安くて満腹できるお店に連れて行ってくれた。バイキング形式の店で自分が食べたい物を取って計算する。好物の鮒の煮付をすぐ発見。素早く丸一匹をお皿に取ったぞ!メイン料理として真ん中に置く。食いしん坊の私は、美味しそうな食べ物には目がない。お皿がいっぱいになるまで入れる。計算すると、ご飯を含めて、なんと150元(450円)。林さんの方は80元。蜆沢山の海鮮スープとお茶は飲み放題。料理は今一。結局、おかずを取り過ぎてどうしても食べきれなかった。「神様、許してください」林さんに奢ってもらった。「ご馳走様でした」。

食事中、林賢亮さんが色々な話をしてくれた。林さんは定年退職する前、大学のドイツ語の先生で、現在は中徳技術合作研究会の理事を務めている。週に1回(水曜日)総統府でボランティアとして府内のガイドを担当している。

林賢亮さんは台湾に愛着があり、内省人として誇りを持っている。彼は台湾の歴史と文化を紹介したい、定年しても社会に貢献したい、と語っていた。林さんはドイツに留学した経験があるが、隣の中国大陸に行ったことがない。大陸の人と付き合ったことがないが、何時か大陸に行ってみたいとも話していた。

さらに、林賢亮さんの息子は浪人していて、「喰老族」親の脛かじりになっている。でも、彼は日本に憧れていて留学する希望があり、今は一所懸命に日本語を勉強している。親として息子を日本に留学させてあげたい。それで、日本に留学している私にアドバイスしてほしいとも話していた。

林賢亮さんの奥さんは株に嵌ってしまって、胸無大志という向上心が無くて、だんだんと趣味が違ってきて、同居してもお互いに無干渉主義となり、別々の人生を歩んでいるという。

「台湾問題について独立派と統一派のどちらを支持するか」という厳しい質問された。私は次のように答えた。留学前は言うまでもなく、台湾は古くから中国の一部(台湾省)であり、中国大陸と分割することができないと考えていた。しかし、留学後は同じ植民地統治された澳門、香港とは違うと考えるようになった。特に、内戦で国民党と共産党が対立し、なかなか国共(国民党と共産党)和解の見込みがない。統一するなら、かなり道程は遠い。台湾は歴史上、原住民族の紛争やら、海賊の出没やら、ずっと中国皇帝の頭の痛い地域である。肉が付いている骨のように、食べると硬くて、捨てると肉が付いているので勿体ない。同じ中国人(炎皇の子孫)とはいえ、生活様式、社会的制度や背景などがかなり異なり、政治教育の下でお互いに理解し合うまで時間がかかるではないだろうか。統一するなら、50年代に中国共産党の方では「解放台湾」、台湾国民党の方では「解放大陸」と言った時期があったと思う。しかし、今はもう遅いし、その呼び掛け(言葉)を使うには時代遅れであると思う。国共両党による「中台統一」の契機として歴史的変遷によって時代も変わっていたと思われる。国民党が一所懸命に頑張って新しい「台湾」を創り出した。中国政府は一方的な両岸(中国と台湾)の統一政策で、いったいどんな政治的な目的があるのか、私にはあまり分らない。中国大陸の現実を見れば、海外の華人が思っているより厳しくなる所もある。「宝の島」と言われている台湾の国民が豊かに暮らしている姿を見て、大陸の私はどんなに羨ましいか。現在の中国では、政府は経済発展より人権や社会的安全の方を優先的に考慮してほしい。例えば、人民(国民)の生命、財産、食品の安全など。歴史上、国の政治的需要の為に、我々(人民)が犠牲者になってしまう。以上が私の発言であり、それを聞いていた林賢亮さんは納得したようだ。

また、林賢亮さんは年配の台湾人の大陸への(郷愁)ホームシック情緒が音楽作品の中で侘しげに漂っているといった。等々...。

お互いに話しに夢中になってしまって、あっという間に1時半となった。急いで勘定する。今朝、台北国際青年会館をチェックアウトした後、ロッカーに預けた荷物を取りに行く。それから2時半に発車の宜蘭行きの電車に乗る。

13:40林賢亮さんは道で見た日治時代の史跡建築(合作金庫国泰金融大楼合作金庫銀行)をいちいち案内してくれた。台湾の日治時代は日本人のお陰で経済の発展期となり、今でも沢山の素晴らしい建築がまだ残っている。これは事実なので、否定することができないと林さんが日本に感謝の気持をこめてそう話していた。その気持はよく分る。何故、台湾は親日なのか、年齢層によってかなり見方が異なっている。以上、林さんのお話によると、これは台湾の内省人が親日の一因となるかもしれない。振り返ってみると、沖縄の方は日本政府に対して、どんな民族情緒(感情)を持っているのか。興味津々。

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13:50台湾商務印書館(出版社の専売書店)。この書店は中国の知識人達によく知られている。中国民国時代(1910年頃)から、大陸では学術書物などの評判の高い書店(出版社)である。蒋介石が戦敗後、商務印書館の設備や、技術者を全部台湾に連れて行った。大陸では遺跡だけが残っている。早速、本2冊(1.祭壇神歌 2.龍の身世)を購入した。割引で合計581元。本屋の前でいい香りする白い桂花を林賢亮さんがプレゼントしてくれた。懐かしくて、夏のいい香りである。早速、ネックレスに付けて首に下げてみた。小さい一束は4本で20元。

14:05台北国際青年会館でロッカーに預けた荷物を取った。自分の荷物より、台湾で購入したお土産のほうがずっと重い。青年会館でロッカーに荷物を一時的に預けるため、林賢亮さんのお宅で預かってもらうことにした。そうしないと、宜蘭に持っていくしかないから。「ありがたい。ありがたい。」林さんと知り合ってよかった。助かるわ!お礼として林さんに沖縄からのお土産を差し上げた。おまけに、お見送りまでしてもらった。

14:10林賢亮さんに案内してもらって、急いで駅の切符販売の窓口に行く。台湾では切符の購入はやはり駅で直接買うのが基本。ちょうど休日の前(端午節に5月28~31日連休)なので、自強号(1063)14:30発車の切符がもう売り切れてしまった。休日、どこの列車でも込む。前日、切符を購入するのが基本だと林さんが教えてくれた。彼は私が既に切符を購入したと思っていたらしい。次の列車は(1016)17:23発車。宜蘭県礁渓郷公所は5時半に閉まるので、表敬訪問と担当者の李志傑さんと面接があるから、5時頃に到着しないと困る。

14:30台北高速バスターミナルへ移動。バス切符販売の窓口まで乗者の行列が長い。10何分も並んでいて、やっと葛蘭客運の切符を買った。(15:40台北駅礁渓駅)金額104元。座(席)号は30番。乗り口で先着順に並んでくださいと注意された。疲れ痺れている私は、「もう切符を買ったのに、どうして並ぶの?」と林賢亮さんに尋ねた。「これは台湾の文化で、台湾の若者が並ぶのが好きだから」といった。全く日本と一緒だと感心した。私の代わりに優しい林さんが並んでくれた。車内の飲食物といって寿司と台湾緑茶(砂糖入り)を買ってくれた。大変お世話になり、涙が出そうな感謝の気持をこめて、宜蘭に行ってきます。

15:40台北駅から発車。隣席のおばさん(宜蘭出身)がおっしゃるには、2年前、高速道路の雪山隧道が開通以来、宜蘭までの運行所要時間は約1時間。今日は、台北で買物して高速(バス)で家に帰るのだという。おばさんと私の二人はお寿司を食べながら楽しく大喋りした。暫くすると、礁渓郷に着いた。タクシーに乗り換えて、(タクシー代は100元)やっと予定の時間で礁渓郷公所に到着した。

17:05礁渓郷公所の李志傑さんに連絡を取ったら「二龍競渡」の現場からすぐ戻って来てくれた。二龍村村長の林義成さんと総幹事の何政儒さんの連絡方法を教えてくれた。二龍競渡に関する資料をいただいた。お忙しいところお邪魔して申し訳ないと、お詫びとお礼を申し上げた。

17:35那覇で予約した懐郷園温泉渡假別荘のオーナーの陳秋女さんが、礁渓郷公所に車で迎えに来てくれた。二龍競渡の現場まで案内してもらった。目の前の二龍河で2艘の龍舟競渡を妄想した。懐郷園は一軒家で日本の温泉旅館のようである。陳さんは日本の温泉旅館についてのテレビ番組をよく見る、何時か日本へ行って見学したい、今は自分流の旅館を経営していると話していた。私の予約した部屋は元々1,900元で、留学生が遠路遙々日本から龍舟を見学にやってくるので、半額値段の1,000元に安くしてもらった。部屋は新婚さんのhoney room(蜜月の寝室)のように感じる。一人ぼっちの私は淋しくなった。「親切な陳さん、ご好意、ありがとうね」。

18:10荷物を置いてから、陳秋女さんの車で「龍船祭典儀式曁扛船下水典礼」の現場に連れて行ってもらった。総幹事の何政儒さんが現場にいらっしゃったので、紹介してもらった。本場の前、龍舟を化粧したり、演習したりして、大忙しそうだ。何政儒さんは、夜、二龍村村弁公処で二龍競渡の写真と龍舟道具を展示するので、見学に来てくださいと誘ってくれた。「よかったら、ボランティアとして手伝っていただけないでしょうか」と何政儒さんにお願いした。

18:50懐郷園へ戻り、お風呂に入った。湯船は広くて、二人が入っても余裕がある。少し濁った温泉が出ている。急いでシャワーを浴びて上がった。お風呂は寝る前の楽しみにしよう。その時、「ご飯だよ」と陳秋女さんに呼ばれた。自家のように何も手伝ってあげられないのに、ご飯を食べさせてくれるなんて久しぶりの幸せだと感じる。濡らしたままの髪に毛布を巻いて、部屋から降りた。台所には料理研究家の陳さんが手作りでお肉入りの粽を用意してある。自分で育てた瑞々しい野菜の炒め物も美味しそうだ。陳秋女さん、旦那さんと私の3人で和気藹々の家庭の雰囲気で食事した。3人の子供たちは(長男は大学、長女は高校、次男は中学校)近くのお婆ちゃんの処で食事とるとのこと。全ての料理が美味しかった。ご馳走様でした。

台湾の宜蘭県礁渓郷の附近では、古くから温泉地として名を馳せている。日治時代の約50年間に、日本人の手によって何20か所の温泉が開発されたという。台湾日治時代の活化石(遺跡)と言われ、現在、あっちこっちに残されている。ちなみに、日本人の地方高官の官邸や別荘が残されているという。日治時代の宜蘭と言えば、温泉旅館や「花(柳)街」所謂、歓楽街のイメージが強かった。何故かというと、日本で上演した映画『さくらん』のような芸者や遊女が集った街といわれているからだ。日本敗戦で台湾から去っていって、宜蘭の温泉旅館は一時的衰退の時期を迎えることになったが、現在、宜蘭県の観光の柱産業として利用されている。中国の漢民族(儒教文化圏)では人前で裸に曝す行為を野蛮人として看做すので、基本的に老若男女で裸共浴(温泉)することが禁止されている。しかし、漢民族の以外、男女の性別意識或いは性道徳が厳しくない少数民族地区では、自然と調和し、日本人と同じように裸で温泉に入る風俗習慣がある。

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 ● 20:40二龍村村弁公処に到着。展示室で手伝したお蔭で、他の人より早く龍舟道具の写真が撮れた。道具の名前と役割を聞いてメモを取った。近くの村民がよく見学に来てくれた。子供たちが写真を見て、漕ぎ手の1人を指差しながら、「これはあたしの父ちゃんだよ、それは誰々おじさんだよ」と友達に自慢する。会場内でワアワアと騒いだ。村民が撮った龍舟競渡のビデオを実況放送していた。1人可愛い女の子に飴ちゃんをあげた。すると、あのお姉ちゃん(私)がお飴を持っているからと、すぐ他の子供に伝えた。そして、その女の子がなんと5人の友達を連れてやってきた。あっと言う間に、私は持っている飴を全部皆に分けてあげた。そうしたら、満足そうな子供たちはどこかに遊びに行った。手伝いは深夜11時40分頃に終了。