映画という形で「気づきの裾野」を広げるという選択
語れない時代に、エンタメが担う役割
映画監督・なるせゆうせい氏との対談
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1.なぜ「映画」だったのかという問い
今回のライブで一貫して語られていたのは、
「正しさを押し付ける」のではなく、
気づく人のパイをどう広げるかという視点だった。
重たいテーマほど、
真正面から語ると拒否反応が出る。
専門用語が増えれば増えるほど、
人は無意識に距離を取る。
だから映画。
しかも、硬すぎないドキュメンタリー。
音楽、ユーモア、少しポップな演出。
深刻な問題を扱いながらも、
「最後まで見られる」ことを最優先にする。
正論で殴るより、
まず席に座ってもらう。
そこに、映画という手段を選んだ意味がある。
2.ミニシアターと口コミが持つ力
大手シネコンではなく、
ミニシアターを軸に広がっているという現状。
これは妥協ではなく、戦略だと感じた。
現場の判断で上映を決められる場所。
横のつながりで評判が伝播していく構造。
「ここで話題になっている」
その一言が、次の劇場を動かす。
さらに、
映画館という場所には偶然性がある。
もともとこのテーマを追っていなかった人が、
たまたま足を運ぶ可能性が生まれる。
配信では届かない層に、
物理的な空間で届く力。
これが、上映を最優先する理由なんだと思う。
3.説明できない家族に、映画を渡すという選択
印象的だったのは、
「家族に説明するのが一番難しい」という言葉。
親だからこそ聞いてもらえない。
子どもだからこそ、否定される。
その壁を越えるために、
自分の言葉ではなく、
映画という第三者の視点を使う。
一緒に見て、
その場では何も言わなくていい。
全部理解しなくてもいい。
でも、
「何かおかしいかもしれない」
その小さな引っかかりが残れば、それでいい。
説得じゃない。
目覚めさせることでもない。
気づくきっかけを置いてくるだけ。
それができるのが、
エンタメの強さなんだと思う。
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💡まとめ
・重いテーマほど、入り口の設計が重要
・映画は「正しさ」より「気づき」を運ぶ手段
・ミニシアターと口コミが裾野を広げている
・家族にこそ、言葉ではなく作品を渡す
「語れない時代だからこそ、物語が必要になる」