【神人靈媒日記】2018.7.29 | GTENさんから皆さんへ”伝えたい事”

GTENさんから皆さんへ”伝えたい事”

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〜亡き母との対話 五十日過ぎて〜

世間では当たり前に執り行っている四十九日法要と墓への納骨をすることで、故人はどのように変わってゆくのか?6月9日に亡くなった母に聞いてみました。

母: 四十九の法要の後に白装束の女性6人現れて、「一緒に向こうへ行きませんか?」と訪ねてきたよ。

私: それでどうした?

母: 「まだしたいことがありますから、こちらにいます」と答えたら、「そうですか」と言って消えて行ったよ。

私: 黙って消えていったのか?

母: そうだね。無理に連れてゆこうとする感じもなかったな。

私: そうか、それは良かった。

母: それから、お経を聞いたのと墓に骨を入れる場面を見た後から、気分が悪くなって身体が重くなったような感じがする。自分でもどうしたら良いのか分からなくなった。

私: そうか。それじゃ、浄靈してやろうか?

母: そうだね、してもらうかな。

(神人が浄靈する)

私: どうだ?楽になったか?

母: ああ、凄くスッキリした。元に戻ったね。これで2回目だな、やってもらったのは。こうやってあなたにやってもらえるから私は良いけれど、そうでないとずっとそのままなのかな?良い気持ちがしないな。

私: じゃ、お経はあまり良くないな。気持ち悪くなるだけじゃないか?もちろん読む人にもよるのかもしれないけど、少なくても今の和尚のお経じゃ駄目だということだな。

母: そうだね。それからね、法要というのは、みんながまた悲しい想いになるから、死んだ時の気持ちに引き戻されるのような感じになる。せっかく気分が楽になって軽やかな状態なのに、みんなが悲しむ度に気分がまた暗くなるから、法要というのはやらない方が良いと思うよ。死んだ後にだけみんなが集まって悲しめばそれで良いんじゃないかな。お経も1回聞けばもうたくさんだ。何回も聞くものじゃない。相変わらず意味も分からないしね。

私: そうか。聞きたくもない歌を何度も聴かされるのと同じだな。確かにみんなが何回も集まって暗い顔している場面を観させられる方は、暗くなるし申し訳ない気分にもなるしな。

逆に何回でも集まって哀しんでもらいたいという人は、やってもらえば良いってことだな?

母: そういうこと。私は辛気臭いのは好きじゃないから、悲しい時ほどみんなで楽しくしたい方だから。

私: それもやっぱり個人差があるよな。

母: 暗いのはもう十分だ。それから、墓に骨を入れたことで、これから私はお寺の世話にならなければならないのか…という暗い気持ちにもなったかな。親族のみんなが気が済むならそれでいいとは始めは思ったけども、私にとっては嬉しいものではないな。余計なお金がかかるなとか、ずっと仏教徒ではないけど関わらなければならないのかとか、家族に色々世話かけることになるなとかね。

私: つまりは、お寺に関わることで余計に気分がすっきりしなくなったということだな。

母: そうだね。死んでみるとみんな分かると思うよ。人に面倒かけたくないのよ。特に家族には負担はかけたくないというのが、一番の願いだからね。

私: 世間の人たちは、やはり世間体を考えてとか、成仏させるためには必要だとか、色々言うからな。

母: 好きなようにして良いと思う。人それぞれだから。私は何も要らないと思ったな。こんなもんか…って冷めたような気持ちかな。あなたが言いたい気持ちはある意味では死んだ人の代弁になるんじゃないの。言っていって良いと思うよ。きっと変わってゆくでしょう。良い人も悪い人もいる。分かる人分からない人それぞれだ。あなたの言うことを聞いてくれる人は縁のある人だと思うから、その人たちが伝え広めてくれるでしょうね。

私は暫くはこうして必要に応じて言うから分かったことは教えるからね。

私: そうか。もう50日も過ぎたからな。それじゃこれからも宜しく頼むよ。

母: はいはい。

 

 

2018.7.29 神人 拝