先日、仕事で横須賀に行った際に、日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃退した戦艦三笠が保存されている三笠記念公園に行ってきた。
連合艦隊司令長官として旗艦三笠に乗り込んだ東郷平八郎の銅像が戦艦三笠の前に立ちはだかるように立っている。
この艦には、参謀の秋山真之も乗艦しており、日本海海戦の作戦を立て、日本を大勝利に導いた。
出港にあたって大本営に打電した「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という文句が有名である。
屋根もない吹きっさらしの艦橋に、東郷は戦闘の間じゅう立ち尽くし、戦闘を指揮した。戦闘が終わって艦橋を降りた時には、はね上がった海水でびしょ濡れの床に東郷の靴の跡だけ乾いていたという。
1905年5月27日午後2時8分、ロシア艦隊を目前にして、「取舵一杯」を命令した。有名な東郷ターンの瞬間である。
三笠の上に立ちつくし、100年以上前の当時に思いをはせる。東郷ターンの際にロシア側からの砲弾が48発も命中したという。その時には、この甲板の上は炎と煙に包まれ、死傷者が大勢いて、床も血みどろになっていただろう。
黒船に恐れおののき、刀剣しか持たなかった日本人が、明治維新からわずか38年後にロシア帝国を下した。
日本海海戦は、二日間続く。しかし秋山真之は終生、
「最初の三十分だった。それで大局が決まった」
と語った。さらにこうも語っている。
「ペリー来航以来五十余年、国費を海軍建設に投じ、営々として兵を養ってきたのはこの三十分のためにあった」(司馬遼太郎著『坂の上の雲』より抜粋)
日本海海戦から3か月後の9月11日深夜、佐世保港にとどまっていた戦艦三笠は、弾薬庫の火災・爆発により沈没し、その後引き上げられたそうだ。
今は、ひっそりと平和に保存されている三笠だが、何とも劇的な舞台となった戦艦であるし、日本人が忘れてはいけない遺産でもある。
