先日司馬遼太郎記念館を訪れた際に求めた『空海の風景』を読んだ。
1200年以上前の平安時代初期の政治状況や遣唐使の実際、空海の天才ぶり、奈良仏教と平安仏教の違い、真言密教の教義、空海と日本における天台宗の宗祖である最澄の確執などなど、楽しく理解できた。
歴史の彼方にかすんでいた平安時代がより身近に感じられた。
しかし、空海の高野山も、最澄の比叡山も、1200年という茫々たる時間を経ても残っており、気が遠くなりそうになる。
何年か前に高野山を訪れたことがある。
高野山の町並みや風景が思い出され、懐かしくもあった。
そのとき興味本位で結縁潅頂(けちえんかんじょ)という真言密教の儀式に参加したことがある。
暗いお堂の中でお経を唱えながら目隠しをして、諸仏が描かれている曼荼羅の上で手に持っている花をポトリと落とすのだ。
花が落ちた所に描かれている仏様と縁を結ぶことができるというが、誰が投げても真ん中に描いてある大日如来に落ちることになっているのが、フィクションであった。
目隠ししていることをいいことにポトリと落ちた花をお坊さんが真ん中に置きなおしてから目隠しを外して、「あなたは大日如来です」と言われるのだ。
まあ、ある種のエンターテイメントになっているのかもしれないがかなり興ざめした。それよりも、自分の落とした花が曼荼羅に描かれているどの仏様に落ちたのか気になる。
まあ、真っ赤なフェラーリに乗ったお坊さんが爆音を響かせ走り去っていく光景も目の当たりにしたので、あまり細かいことにこだわらずにエンジョイすればいいのかもしれない。
真言密教では、高野山の奥院で弘法大師空海が今もなお生きたまま修業をしていることになっているという。なんとも妖しげな話である。
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