柳本雅寛 +81新作公演2017「Que Sera」 | げみスタ・えっ?!日記

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荻窪でダンススタジオを営む、げみの徒然なる日常。

日曜日、スタジオを抜け出して、まずは二つ隣の高円寺へ。
 

舞踏家の向雲太郎さんに、
みなさんご存知の黒田育世さん、
さらにもっとご存知の熊谷拓明さんを配した、
柳本先生の意欲作。
 

カミテ奥、白い布に包まれて
ただの物体のようになっている柳本先生が、
徐々にその布から脱してゆくさまと並行して、
シモテからは暗闇の中、
雲太郎さんが足元だけを懐中電灯に照らされて、
そろりそろりと歩いてくるという幕開け。
 

そしてその後は、一見なんの脈絡もない、
賑やかで混沌とした場面が、延々と展開されてゆきます。
 

柳本先生の作品とは割と相性がいい方だと思うのですが、
よく判らない作品に出合うことも、ままあります。

「あー、今回はそっちのパターンかぁ」
と思って観ていたんだけど、
終盤のシーンになって、ふと閃いて、一気に世界が開けました。
 

それは柳本先生と、雨合羽を着た育世さんが二人で踊るシーン。
 

ときにユニゾンのように動きが重なる
その二人を観ているうちに、
「あれ、育世さんは柳本先生の少年時代なのかな」
という思いが、どこからともなく舞い降りてきました。
(でも、まさか育世さんは役作りのためにショートカットにしたんじゃないとは思いますが)
 

その前の雲太郎さんと育世さんのシーンが
あまりにも素敵だったので、
なんだか心が「地ならし」されて、
気持ちがフラットになっていたから、
思い至ったのかも知れません。
 

あくまで僕の解釈ですが、この作品は現在の柳本先生が、
過去の自分に寄り添って、導いていく話なのではないのかと。
(いいんです。観客は自由にモーソーしながら観ていいんです!)
 

最初に4人が同時に舞台に上がった時、
他の3人があまりにも勝手に動き回り、
柳本先生は閉口していましたが、
それはまさしく、自由奔放に生きてきた自分自身の姿。
 

育世さん演じる(?!)パブロワ先生に倣って、
ヘンテコなバレエステップを踏む雲太郎さんは、
幼い頃、バレエを始めたばかりの柳本先生。
 

「これだけは好きなんだよなぁ」と言いながら、
飛行機のようなリフトで持ち上げられると喜ぶ熊谷さんは、
さしずめ欧州時代、青年期の柳本先生だったのでしょうか。
 

たったひとつの「好きなこと=ダンス」を頼りに、
言葉でのコミュニケーション不足も災いしてか、
他人との距離も測れず、
苦悩の日々を過ごしていたのかも知れません。
 

そんな過去の自分に
「大丈夫か?」と心を寄せる現在の柳本先生。
 

終演後の客出し音楽にも使われていた歌、
ドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」で主人公は、
「将来、可愛くなれる?お金持ちになれる?」
とお母さんに問い、
「ふたりの未来に虹は掛っている?幸せになれる?」
と恋人に問います。
 

その問いの答えを知っている現在の柳本先生は、
過去の自分たちを励ましながら舞台を進めたのち、
現在の自分としてのソロに向かいます。
 

堂々と、凛として立つその後ろ姿には、
これまで歩んできた自分の人生に後悔はないという自負と、
この舞台はみんなの力を借りて成立しているのだけれど、
+81の名のもとに、その全責任は自分ひとりが負う、
という気概が感じられました。
 

このシーンで感動的な幕切れかと思いきや、
4人が現在の素に戻っての、
軽やかで楽しいエピローグがついていました。
 

こういう仲間たちと過ごせる、
現在の日々の喜びを表現したとも言えるでしょうが、
単なる「照れ隠し」かとも思います(笑)。
 

そう思い返すと冒頭のシーンは、
もがき続けてきた柳本先生自身の人生。
(それは現在も続いているのかも知れませんが)
 

でも過去から現在・未来に向かって、
足元を照らす、心許ないわずかな光だけを頼りに、
決して歩みは止めることはない…、
とも解釈できるような気がします。
 

因みに雲太郎さんは、
その全てを俯瞰して見ることのできる存在、
神的なものか、その風貌から守護霊か(笑)。
または本当に「ただの犬」だったのかもしれません。
 

舞台美術もステキでしたが、照明が変幻自在。
あらゆるシーンがキレイで、幻想的でした。
さすがは足立恒さんです!
 

さて、これからの柳本先生の未来には、
何が待っているのでしょうか。
答えはそのうちに判るでしょう。

とりあえず木曜日にはレッスンに来てください。
人生は「ケ・セラセラ」でございます。

みなさま、お疲れ様でした。

(2017.06.18 所見)