ハルの骨、随分良くなってきました。腕を吊っていた三角巾は、学校では「完治していませんというアピールのためにしといてください」と言われましたが、帰宅後は外して、リハビリの方法も教えていただいたので思いついたように家の中で腕をぶらぶらさせたり「もうこんなに上がるよー」と腕を上げて見せたりしています。

まじまじは寝る前に、たまにする程度ですが、「はい、まじまじの玉を入れるよー」というと腕を出してよこします。布団に横になっているのでもう眠くて、まじまじが気持ちいいのか眠くてふわふわなのかよく分かりませんが、少なくともイヤではないようで嬉しそうな顔をしています。

ハルの骨折が今月初め、その一週間後から、ワタシは肩の痛みに苦しむことになりました。自分の肩関節の中で何が起きているのか、という不安、ぶつけたりしたわけではないのにナゼこんな痛みに襲われるのかという怒り、間断無く続く猛烈な疼痛に苛まれながら、思い付いたことがあります。

「シアワセかどうか考えてるヒマなんて、本当は無いはず。」

その前の週に、ひょいと時間ができたので、86歳の蝶の先生のお宅に押しかけました。

子供の時から蝶を追いかけ、人生を蝶の生態研究とフィールドワークに捧げてきたと言って良いその人は、昨年奥様を亡くされてお一人暮らしです。

庭に植えてある蝶の食草や幼虫、蛹のこと、頼まれている標本の整理、これから出版する予定の本と、死ぬ前に出さなきゃと思っている本のこと、観察会のこと…お話を聞いていて改めてすごい人だと思いました。

まだまだやるべきことがあるから忙しいですよ。病気しちゃいけないから毎日歩いて観察して、ゴハンもちゃんと食べて、早寝早起きしてますよ、とおっしゃる目が力強い。

そして「人生は短いのですから、軽くちゃいけない。重く、濃く生きなければ。」と。

あ、これがwant toで動くってことなんだと思いました。

ご本人は特に意識しておられないけれど、生涯を通じて設定されたgoalをお持ちなのですね。だから「やるべきこと」はhave toではなくwant toなのです。

力んでおられません。そう、いつも先生は力んでいません。熱いけど。そして淡々としていらしゃいます。シアワセかどうかなんて考えるより先に、淡々と粛々とやるべきことに取り組んでこられた。

そして奥様の介護から逃げずに向き合ってこられたのは「結婚したその日の、最初の約束でしたから」。何年もの間、ご自分の研究に時間を割けず、辛いこともあったけれど最後まで看たから悲しいですけれど悔いはありません、と。

昨年の先生の落ち込みようは本当に気の毒で、それを見てきたワタシは先生を憐れんでいたのだと思います。でも、先生はそんなの必要としておられませんでした。(大体、失礼ですね)

痛みの中で、やりたいとこもできないようと嘆きながら、ふと浮かんだのは先生のことでした。シアワセですかとお訊きすればあるいは「はい」とおっしゃるかもしれませんが、普段先生はそんなコト考えていないと思います。

昨日の夕方、帰り道をジムニーで走りながら、シフトチェンジを左手でできるようになりました。ずっと左手が使えなかったのが、できるようになりました。

肩関節の可動域が広がって、右手で支えたり掴まったりしなくても90度まで腕が上がるようになりました。