ハルのバイク「オレンジ号」に、父ちゃんがボトルホルダーを付けてくれた。自分用のを買うのと一緒に、同じようなボトルとセットで買ってくれたのだ。ハルは豊科あたりまで自走で往復できるようになったし、MTBであるからにはお山へだって行くし、やっぱり「形」は大事だよね。

ということで、オレンジ号にガシッとボトルホルダーが付いた。父ちゃんとおんなじ、というトコロがまた嬉しいらしく、父ちゃんが「ハル、ちゃーちゃん(おばあちゃんのこと)ちに行くけど、お父さんと一緒に自転車で行く?」と訊かれると大喜びで「うんっ!」

ボトルには父ちゃんと同じプロティンのドリンクを入れて、すぐ近くのちゃーちゃんちへ出かけていった。

そしてまた別の日、同じようにちゃーちゃんちへと2人で連れ立って出て行ったが、帰宅するとしょんぼり「こわれちゃった・・・」。

ナント、ボトルホルダーは使用2回目にして、根元からポッキリ折れちゃったのである。

後にはホールドしてくれる腕を失ったボトルが残された。

市内のとある自転車屋さんで購入したものだったのだが、ダンナ曰く「ロクなの置いてない」らしい。

バイクのことでいつもお世話になっているかなこさんはじめ「キチンとした」バイクを扱うところから入手したなら、こんなことは起きるまい。扱っているモノが違うからだ。けれども、自転車1台を数千円で購入できるご時勢に、「教育された顧客」を持たない自転車屋さんは、量で勝負するしかないのだろう。生き延びるために安い物を置くしかないのかもしれないなと切なくなった。

安い自転車を買って、乗っている間も「それなり」でしかなくて、壊れたらまた安い物を買い直して・・・というサイクル、イイ加減にやめたほうがいいと思う。

良い物の値段は張るんだもの。使う人のことをイメージしながら、心をかけて丁寧に作ったら間も手間もかかるんだもの。そうやって作られた良いモノを丁寧に長く使えば、結局は「高く」ない。使っているときの満足度だって全然違う。バイク関連のものならばモノ如何で命を救われることもあると思う。(ワタシはまだMTBのコトはほとんど知らないが)

作り出される時に心を、手をかけられて、大切に使ってもらえるモノはシアワセだと思う。だから自分が使う物は、そういうものを出来る限り選ぶ。

いい加減に作られて、乱暴に使い捨てられるモノと、それに関わるヒトの事を思うとホントに悲しくなってしまうのだ。勝手な思い入れと言われればそれまでだが、自分が手にするものでなくても、それこそこの地上からそういうモノが一切消えてほしいなあと思いながら、無残に折れてしまったボトルホルダーを眺めたことである。

後日、松本のバイクショップに行くというダンナに頼んで、来月届くことになったワタシのバイク用にもボトルホルダーを買ってきてもらった。ワタシのは、いつもバイクのことでお世話になっているMさんのバイクに付いているのと同じメーカーのものだそうな。それならきっと大丈夫だな~。

オレンジ号にも新しいボトルホルダーが取り付けられ、保育園から帰ったハルは外は真っ暗なのに「見てくる!」と叫んで、ライトを持って物置に飛んで行ったのだった。