西部劇の消失点『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』 | 徒然逍遥 ~電子版~

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こんにちは。行政書士もできる往年の映画ファンgonzalezです。

訪問ありがとうございます。

 

自分はずっと『砂漠の流れ者』のタイトルで記憶していたのだが、今はスラッシュの後に『ケーブル・ホーグのバラード』といふのがくっついている。

だったら最初から原題名の直訳で良かったんじゃないのか。『フロイド』(‘62)も『フロイド/隠された欲望』と表記される。なんだかスラッシュが気に入らない。などと不愉快を感じるのは歳のせいか?

『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』 The Ballad of Cable Hogue (‘70)

121分

梗概
時代はフロンティア消滅間近。砂漠に置き去りにされたケーブル・ホーグ(ジェイスン・ロバーズ)は死を覚悟した瞬間に水源を発見する。折よくそこは駅馬車の街道沿い。10セント(馬は25セント)で水を売り始める。偽牧師ジョシュア(デビッド・ワーナー)の話にヒントを得て、土地の権利を取得。銀行から100ドルの融資もゲット。その町で娼婦ヒルディ(ステラ・スティーヴンス)に一目惚れ。彼女とは因縁浅からぬ間柄となる。
ホーグとジョシュアは休憩所を建設。駅馬車経営者と契約して中継駅の経営者となり、自分を見捨てた二人組が現れるのを待ち続ける。三年余り経過、遂に二人と再会する。復讐心に燃えるホーグは一計を案じ彼らを罠に陥れるが・・・。

バイオレンス描写ばかりが喧伝される傾向のあるサム・ペキンパー監督だが、本作にそんなものはほぼ見られない。撃たれて死ぬ人は二人だけで、お得意のスローモーションも使用されない。むしろ早送りが多用されており、コミカルな味付けがなされている。


ざっくり言えば西部劇に分類された“男の復讐譚”なのだが、陰残な雰囲気は微塵もない。むしろ全編に亘って喜劇調に仕立てられている。


なので、前作『ワイルドバンチ』(‘69)、次作『わらの犬』(‘71)、そして『ゲッタウェイ』(‘72)のような派手さはない。人情劇的ハートウォーミングさが際立つ。安心してご覧ください。


 

先ず、のっけから大きなトカゲを喰おうとする場面からしてちょっと可笑しい。
砂漠脱出を目指し水無しで放浪するも軽いノリである。それに輪をかけてインチキ牧師まで登場させる念の入れよう。
人間嫌いの田舎者で口のきき方もロクに知らないホーグと、吟遊詩人のように女性の心を魅了するポエムを紡ぎだす詐欺師めいた好色漢ジョシュアのコンビが笑いを誘う。

 *ジョシュア:デビッド・ワーナー*


町で出会ったヒルディの胸元アップのカットばかりが呆れるほど繰り返し挿入されるのにもちょいと笑える。
銀行家も凄い眉毛の恰幅の好い漢。見かけどおり豪放磊落で太っ腹。ホーグが2ドルかそこらで購入した土地を担保に35ドルの融資を申し込むと100ドル出してくれる。よく見かける銀行家、インテリ風のステレオタイプとは大違いで気持ち好い。

 *ヒルディ:ステラ・スティーヴンス*

 *豪快な銀行家:ピーター・ホイットニー*
 

一方、ホーグを見捨てた二人組タガートとボウエンは、昔からの類型的な痩せとデブみたいな印象。C-3POとR2-D2のコンビを思い出させる。
しかも、この二人は『ワイルドバンチ』でもコミカルなキャラでタッグを組んでいたL・Q・ジョーンズストローザー・マーティンである。殊に、マーティンはトリックスター的立ち位置でほどよく楽しませてくれる要素満点。素晴らしい役者である。

 *ホーグを荒野に置いてけぼりに*
 

で、肝となる復讐はどうなるか。それが意外な展開を見せるのだ。が、ホーグらしいと言えば言えぬこともない処置。詳細ネタバレ回避します。

 *ここで遭ったが3年目*
 

では、そんな彼のキャラクター描写はどうなっているのだろう。
巻頭一番荒野に放り出されるエピソードは、お人好しな彼の性格を開示する。人を撃てない腰抜け野郎。と蔑視されるちょっと気弱な一面を垣間見せる。
が、水の代金請求に応じない男(最初の客)を撃ち殺すことをやってのける。ここは、同じ轍を踏まないぞ。との彼の決意表明だ。そして、あの二人を殺るまでは死ぬもんか。との意思の表れでもあろう。


銀行で威勢よく融資を申し込んだものの断られるや、しょんぼりと出て行こうとする姿と表情は、やっぱりこの人は根っからの悪タレではないことが知れる。
自分の名前もスペリングが分からず容易にサインできないところは、やや哀れを誘う。
まあ、融資を申し込むのにぶっきら棒で高飛車に出るのは、彼の自信の無さの裏返しでもある。無教養で気後れするのを虚勢を張っているだけで。


もう分かりやすい人なのだ。なんとも朴訥な好人物に思えてくる。ヒルディを見る目はもうハートマーク点灯だし。彼女の自動車を支えて下敷きになるのもお人好し過ぎる。

 *彼女に荒野の一輪の花を・・・*
 *クルマに轢かれて痛い目に・・・*

 

他方、機を見るに敏感な感性も持ち合わせていて街道沿いに出店したり、自動車時代の到来を予想して商売を切り上げてヒルディと共に出て行こうとするなど機知に富む。


我々はホーグというキャラクターに好意を寄せるように誘導されていく。脚本と演出が主人公を生き生きと魅力的に造形するのだ。勿論、J・ロバーズの名演あってこそだが。


そのロバーズは劇中では髭面で彼であることを忘れさせるルックス。声色もややだみ声で、喋り方も不調法。無言で情けなさを醸し出す佇まい。悪役で発揮される凄みとは真逆。


悪役と言えば、悪役での出演しか思い出せないくらいのR・G・アームストロングが駅馬車経営者クイットナーとして顔を出している。

 *『ミスター・ノーボディ』*

 *『白熱』*

 *『超高層プロフェッショナル』*

 

『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)を控えたステラ・スティーヴンスもコメディエンヌの才を発揮。見せ場も多い。

『オーメン』(‘76)で首を切り飛ばされる写真家を演じたデビッド・ワーナー『博士の異常な愛情』(‘64)で水素爆弾にまたがって落ちてゆくコング少佐に起用されたスリム・ピケンズ、前述L・Q・ジョーンズストローザー・マーティンなど印象的な俳優の共演も大いに楽しませてくれる。
主人公から脇役に至るまで命の息を吹き込まれたような人物群だ。


 

西部劇というにはあまりにも風変わりな本作。自動車やオートバイの登場に皆が驚き惑う時代。フロンティアの終焉がすぐそこまで迫っていた。ホーグが自動車に轢かれて寝込むことになるのもそれを暗示する。


今までウェスタン専門に撮り続けてきたペキンパー監督も西部劇の落日を感じ取っており、斜陽ジャンルへの葬送曲として本作を捧げたのかも知れない。いわば映画界のフロンティア消滅である。

あるじ亡き無人の駅馬車中継所でコヨーテが水を飲むエンディングシーンは明確に、監督にとっての古き良き時代が終わりを告げたことを指し示していた。


ちなみに、本作も前述『フロイド』もジェリー・ゴールドスミスが作曲担当。決して出しゃばらず、ドラマに寄り添う控えめな楽曲群に心温まる思いがする。

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本日も最後までお付き合い下さりありがとうございました。