チブルスキーはポーランド版J・ディーン『灰とダイヤモンド』 | 徒然逍遥 ~電子版~

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『尼僧ヨアンナ』に引き続きポーランド映画特集。
第二弾は政治色濃い作品。当時の“ポーランド派”メンバーだったアンジェイ・ワイダ監督作のこれ。


『灰とダイヤモンド』 Popiół I Diament (‘58) 104分
梗概
第二次大戦ドイツ降伏の日、反ソビエト・メンバーのマチェクズビグニエフ・チブルスキーは仲間と共産党県委員会書記シュツーカを暗殺するも人違いだったことが判明。改めて機会を窺うマチェクは、ホテルのバーで働くクリスティーナエヴァ・クジイジェフスカと出会う。廃屋となった教会の逆さづりのキリスト像の前で、本当は生き方を変えたい。と彼女に打ち明けるマチェク。彼女との生活か。テロリストの道を往くか。心が揺れ始める。

しかし暗殺に成功した彼は逃走中、警備隊に銃を所持しているのを見咎められ撃たれてしまう。激痛に身悶えながらも歩き続けたマチェクは、遂にゴミ溜めの中で虫けらのように息絶えた。

イェジ・アンジェイェフスキといふ作家の原作小説あり。未読。ちなみに、彼はワイダ監督と共に自ら脚色に当たっている。


さて、本作の背景だが、1945年4月8日ナチス・ドイツの無条件降伏により欧州での戦闘が終結した日。ポーランド新政権は親ソ連の共産党が担うことに。そこで反ソ連グループによる共産党へのテロ行為が発生。戦中は反ナチス。戦後は反ソ連。と、政治的闘争が止まない時代のことだ。


歴史的には1939年にドイツとソ連がポーランド侵攻。亡命政府は外国を拠点に司令塔となり、祖国では激しい抵抗運動が盛んになった。そんな来歴もあり、反ナチ・反ソ連を唱えるレジスタンスの言い分も分からないではない。


その一人マチェクに扮するのがポーランドのジェームズ・ディーンと謳われたチブルスキーである。
自分は中学・高校時代、ジミーが大好きだったので彼の名を冠するとは畏れ多きこと。と、チブルスキーを歯牙にもかけなかった。俺って何様。
まあ、誰が呼んだか知らないが、そんな風に言われることの多い役者である。実際、39歳の若さで事故死した。

 *『理由なき反抗』っぽいか?*
それはさておき、十代の頃より祖国解放の抵抗運動に身を投じてきたこの若者は、ワルシャワ蜂起以来地下水道での活動が多かったせいか目を悪くし、昼夜を問わずサングラスを着用している。
そんな彼が初めての経験ともいへそうな恋愛に心揺れる様がたまらなく切ない。


祖国解放といふ大義ゆへにテロリストを続ける道を選ぶか。愛する女性を伴侶として市井の人の生活を選ぶか。大をとるか小をとるか。公私どちらを選択するか。
極めて政治色の強い作品と言って間違いないものの、そこには矮小な一個人の煩悶する姿が描かれている。観る者はそこに自己投影し、同情し、シンパシーを感じる。


大上段に構え難しい顔をして鑑賞しなくても全く構わないのだ。政治とは庶民の日常生活に内在するものであろう。


ワイダ監督の脚本・演出も32歳の若さゆへ、思いっきり力こぶ入りまくりである。しかし、実力が伴っているおかげで滑ることがない。

ダミアン・チャゼル監督『セッション』(14)や『ラ・ラ・ランド』(16)も、監督の思い入れが最高度に反映されている力作だが、それがやや独りよがりな印象を与えかねない。


でも、本作はそんなところは微塵も見られず、どこか冷徹なまなざしを感じさせる。激しいパッションを内に秘めつつ表層的には主人公を突き放した感覚だ。それは国家体制による検閲を意識しての影響なのか。


確かに、無残な死にざまを晒す反共産党レジスタンスの姿を描くことは反体制的とはみなされ難い要素である。彼に肩入れしている印象は極めて薄い。
しかし、マチェク=チブルスキーの最期を見届ける我々にはそんな薄情な感覚とは無縁である。全力で彼を応援してしまうのだ。同情してしまうのだ。噫無情。

誤認で暗殺された人物が倒れこむ礼拝堂の中に一瞬マリア像が見える。
クリスティーナとの逢瀬では廃墟と化した教会に逆さづりとなったキリスト像が映り込む。名場面である。

 *火薬の配合ミスか?発火!*


ここらも宗教に否定的とみなされれば検閲を通りやすくなるだろう。が、ワイダにそんな意図はなかった。「大戦で宗教をはじめ世界のすべての価値観が変わったということを表した」と手元の資料で述べている。


ところで、映画史に刻まれるエンディング・シーンには茫然とさせられるだろう。
マチェクの死に際の嗚咽と身悶えの臨場感は『理由なき反抗』(55)のジミーの悶絶を想起。ここはポーランドのジェームズ・ディーンと呼ばれるのも分かる気がするがどうだろう。
その姿は巻頭部で牧歌的景観の中で陽の日差しを浴びて横たわる彼の姿とダブって見える。この結末を予告していたのだろうか。


そして、本作ではモノクロフィルムの効果が目一杯発揮される。光と闇のコントラストが極めて美しい。フレームの切り方も抜群だ。カメラの移動もスムースで的確である。32歳の手腕とは思えぬ技量と言へよう。


ついでだが、このフィルムは『世代』(54)『地下水道』(56)と併せて“抵抗三部作”とも呼びならわされている。前者は奇才ロマン・ポランスキー監督が俳優時代の作品。


 

本編中に引用される墓碑に刻まれた詩も美しい。

「永遠の勝利の暁に、灰の底深く燦々たるダイヤモンドの残らんことを」


タイトルはここからの引用だ。

 

本日も最後までお読み下さりありがとうございました。

監督:アンジェイ・ワイダ    『大理石の男』(77)『鉄の男』(81)『カティンの森』(07)
撮影:イェジー・ウォイチック  『尼僧ヨアンナ』(61)『太陽の王子ファラオ』(70)『遠雷』(74)